僕は意外と勉強家であるということの話

周りに気を使えない人間、特に「ありがとう」と「ごめんなさい」の言えない人間のことについてはこれを読んでいる方の周りにも普通に存在していると思う。
僕の周りにもたくさんいるのが現実。

あ、雨塔ですこんにちわ。
一人称「僕」は名前のない雨塔の脳にも自覚のある別人格です。
(これに関しては担当医も認めてくださっていますので、どうかお優しく見ていただければと思います)

僕が就職するところや関わるところには大体そういう人が多く、上司の方はそれでもちゃんと僕が感動するような理由や説明をしてくれるし、必要な時はきちんと謝ってくださった。
謝ることを知らない人は大体自分がなぜかヒエラルキーの上位にいて、それで僕を上から見ようとする人だ。
そういう時僕は大体正論ぶちかましでさらっと何事にも反応してしまうが、その陰ではもの凄く努力を課せられているのだ。

まず危なそうな人がいたら心理学的な考察を交えて接しなければならないと、学生時代に学んだ心理学をベースに社会心理学なども自分で学んで対処しなければならない。
学生時代に使った教科書を引っ張り出して、さらに社会心理学の本を購入し、心理学や精神医学の動画を見ての比較検討…からの自分の行動に反映させてその人が下手に動かないようにするという何とも痛ましい努力だと自分でも思っている。
だってやるべきこと他にもいっぱいあるので、それの為に睡眠時間さえ割いていたんだから。

でもそこまで僕が学んだところで自分はすごいんだ!みたいになって調子に乗る方も多く、そうなるとやはり一人では手に負えなくなってくることも確かなことだ。

ふと僕は思ってしまった。
「なんで周りがこんなに気を使わなきゃいけないんだ?」と。

僕は媚びるということは嫌いな性質なので、絶対に媚びることはないのだが、そういう方は1つを褒めると自分は全知全能!くらいの勢いで僕にマウンティングしてくる傾向が高く、どうだ!自分に媚びろ!くらいの態度を見せ始めることも多いのだ。

もう代表取締役の何かになったつもりかなにかなのでしょうか?
そこのところ起承転結を交えてタイトル付きで400字詰原稿用紙3枚程度にまとめて提出して頂きたいと心底思ったものだ。

いろいろな本や動画を見た上で僕が印象に残ったのは「IQが10違うと話がかみ合わない。100を平均としたところで110の人は1を知れば10知れる人、100は1を知って1を知る人、90の人は10を知って1を知る人。だから110と90では会話が成り立たなくて当然なところはある」というものだ。
どっちがどっちだの、僕が優れてるも劣っているも言わないが、どこかしらそういう境界線が生まれてしまっているんだろうと悟らされたのだ。
ありがとうやごめんなさいが言えない人も言えない感覚の中に100という平均があって100が平均的に言える人、110がきちんと使い分けられる人、90がありがとうやごめんなさいの使い方を知らない人だと異世界が生まれても仕方がないんだと思わされたのだ。
僕だってそういうことに線引きはしたくない。でも、そういう風な境界線を引くことで自分の中でなにかすっと腑に落ちた感覚があったのだ。

僕が尊敬している人たちはありがとうとごめんなさいがちゃんと使える人ばかりだ。喧嘩をよくする彼氏でさえ、自分の至らないところは謝れる人間だし、僕がなにかしたことに対してありがとうが言える。
僕も彼の優しさにありがとうと言えるし、喧嘩して言い過ぎた時はきちんと話し合いをした上で、言い過ぎたねごめんなさいが言えるという自負だけはある。
僕は自分が経験してきたこの人生の中で大切なものとして、ありがとうとごめんなさいが言える僕を作り上げてきたのだ。

僕の中で人生経験というものもすべて勉強で、経験の中での取捨選択、そして僕が僕を好きでいられるよう、僕の周りの人が僕といてよかったと思ってくれるように成長させるために経験も学びとしようとしている。
でも、僕の経験が周りの人すべてに当てはまるものではない。各々の経験の中から生まれ、そして気づき、学んでいくものだと思っている。

僕は自分でもまだまだ経験も勉強も足りないと思っている。
ニートをしていた期間もあるし、入院していた期間などを考えるとまだまだ足りないと思ってしまうのだ。
でも、そんな僕がこの人は周りの人に対して脳みそを使っているのか?と考えさせられるということが多いということは、僕はまだ勉強しているほうなのではないかと思う時もある。ただ吸収能力が低く、経験はあるのにそれが実現化できていないのではないかと。

しかし、自分だけが努力したところで自分の努力値だけが上がってしまうのだ。
これだって境界線になってしまう。人間とは恐ろしく難しい。
楽しく生きるのは人間として生まれてすべての者が思い、願う事だろう。ただ、自分だけが楽しいは第三者から見たら自己中心的なのではないかと僕は思うのだ。

僕はまだまだ勉強する。日々いろんなことを吸収して生きる。
これを読んでいる人がいたら、自分には何が足りないか考えてほしい。

心から素直にありがとうとごめんなさいが出てきますか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?