泣いた赤鬼の僕の話

みんなに言われる、自己犠牲が過ぎると。

僕のおばあちゃんは仏教徒で、現世でいいことをするように言っていた。僕はおばあちゃんが大好きだったし、ファミリーパックのお菓子を独り占めしないことをおばあちゃんは褒めてくれるのがうれしかった。

だから僕はウソを言われても言い返さない。泣いた赤鬼でいいんだと自分で言い聞かせる。

ただ、見えるところで延々と嫌なウソを言われ続けるのは心が疲弊する。
人間は自分の都合のいいように人を陥れるためにウソをつく。
いつかきっとメッキははがれるのに。

ウソをつくなら墓場まで、いや地獄まで持って行ってくれと常に僕は思っていて、綺麗なウソがつけないくせにウソをつくのは自分の心が痛むと僕は知っているからこそいつも思っているんだ。
カルト宗教の人たちに高学歴が多く、それでも悪行を否定できないのは自分が信じているものが違っているはずがないというプライドのせいだと読んだことがある。
それほどに自分自身に持つプライドは邪魔をする、ウソさえも平気でついて人を傷つけ、陥れる事さえも容易なんだ。

先日逮捕された頂き女子とその担当もうまくウソをついてきたのなら、お互い地獄までもっていったらよかったんじゃないだろうか。
それで幸せを見せてあげていたというならなお。
昔の病気を告知しないままと言うくらいにキレイにウソをついて、心の中はずっと一人じゃないままにしておけと思う。
決して事件を肯定しているわけではない。
歌舞伎町なんて虚飾の世界で生きるなら、虚飾は作り続けなければならないし、そこに哀れみとか同情とか持っちゃいけないと思う。

バカッターのクレーマーにはある程度成功して地位がついた年配の方が多いというのもプライドが邪魔をしているというもので、変なプライドがあるから人を罵るとかもできるんじゃないかと思ってる。
地位や金があっても間違えて生きてることはいっぱいある。ルールやモラルを守らず生きていいわけじゃない。それの理解が追い付かないのかもしれない。

そんな人たちの中で今日も僕は泣いた赤鬼としてヒールのままで生きる。

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