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慈悲死と尊厳死

私が良く拝読する
幡野広志さんのブログで
よく書かれているのだけど
幡野広志さんは安楽死や尊厳死について
さまざまな発信をしている。

3年前NHKでスイスで安楽死をした
女性のドキュメント番組を放送していた。

それを見た直後私の感想は
ベッドの周りで泣いていた彼女の家族の姿を見て
何とも言えない・・複雑な気持ちになった。

もし仮に自分がそれを望んでいたらなら
望みが叶ったわけだが
送り出す家族の心を思うと
それでよかったのかとずっと思い続けるのかなと思ったりもした。

しかし幡野広志さんの発信を読むと
やはり当事者でないと
そんなことを他人がとやかく言うものでもないなと思う。

昨日、ネットフリックスで
ブレインゲームというのを見た。

これは連続怪奇殺人事件の犯人(超能力者)(コリン・ファレル)とそれを追い詰める
超能力者である医師(アンソニー・ホプキンズ)の話だ。

そして被害者の共通にどの被害者も不治の病や
また近い将来その疾患にかかることがわかっていたというのがあって
犯人は「ここで殺人をすることは、不幸な人間を減らすことに繋がる」
大義名分のもと、殺人という形で他人の人生を強制的に終わらせる=怪奇殺人となるのだ。

医師は「そんな行為は神でもないお前がする必要はない」といって
彼の犯罪を食い止めようとする・・

しかし・・最後の方で
実は医師(アンソニー・ホプキンス)はかつて
自分の娘が白血病になり
苦しみ悶えていた時に、彼女を楽にしてあげたい一心で
安楽死の薬を投与する・・というシーンが盛り込まれていて
「究極の愛の行為はこの上なく辛い」というセリフがある。

そしてこの映画の中では、慈悲死という言葉が
使われていた。尊厳でも安楽死でもなく
慈悲死だ。
最後に苦しむ娘に薬を投与するのは慈悲死なのだろうか。

もし自分が不治の病であぁ苦しむのは嫌だと思ったら
おそらくそういった選択肢を考えるだろうが
これが自分以外、たとえば家族だった場合
本人の意思を無視して
どんな形でも生かしておきたいと思うのだろうか。
たぶん、幡野広志さんは
健康なあなたならそんなこと考えないで
毎日暮らしたらいいさっていうかもしれない。
うん。
ただ、そのやはり
わたしは死ぬのも生きることも
最後に選択できればと・・思う。
そう思って生きていたいと思う。




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