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ガン、私の場合 ①激痛

 最近は聞いたことのない生命保険会社のテレビコマーシャルを目にするなぁ、と思っています。一応バブル世代の私としては、生保、損保 あるいは証券会社が次々と倒産した時代の記憶があるので、漠然と今昔の念を抱いていました。
 私は癌サバイバーで、あと何年か過ぎないと、癌治療にも適用される医療保険には加入できないと思っていました。
とある会話のなかで、私が今加入している共済保険が終身ではないことを知り、あらためて生命保険について考えていました。

2015年9月3日、たしか木曜日だったと記憶してますが、仕事を終えていつも通り夕食を食べた後、下腹部に激痛が走りました。呻きながらも、よくある差し込みだと思い、通り過ぎるのを待ちました。しかし痛みは収まるどころか股間まで広がり、今度は吐き気と寒気が襲ってきました。フラフラしながら何度も布団とトイレを往復し、ついにトイレのドアの前に倒れ込みました。
 そして力を振り絞って大声を出して妻を呼びました。私は汗をびっしょりかいて、どれくらい異変と戦っていたのでしょうか、妻は幸いまだ起きていて、私を見るなり驚いて、
「どうしたの⁉️」
と声を上げました。

 こうして、私の癌との戦いが始まりました。実は、私にはおもい当たるふしがありました。2013年秋の集団検診で、大腸ガンに要精検が出ていたのですが、仕事の都合で予約していた内視鏡検査をキャンセルしていたのです。

その夜は呻きながら痛みが軽くなるのを待って、かねて妻が習得していたボディライトニングの施術を受けて、なんとか眠ることができました。が、翌日も痛みは酷く熱も出ていたので、お店を休んで近くの評判が良い胃腸科のクリニックに行きました。
 クリニックは予想通り混んでいて、私は明らかに具合の悪い病人の体でした。待合所が空いてきたところで待ち椅子に横になっていました。
 妻に付き添われて診察室に入ると、先生も心配そうな表情になり、超音波検査を指示しました。先生はどうやら胆石を疑ったようで、検査後に画像を示しながら、「パチンコ玉ほどの大きさの石があるね、でも悪さはしていないようだ。」
と言って座薬を入れてくれて、
「明日も同じようだったら来てください、お大事に。」
と診察を終えました。帰宅してからも具合のは良くならず、消化の良いものを少しだけ食べて、また妻のボディライトニングの施術を受けて、痛みを我慢しながら眠りに就きました

 翌日は土曜日で、まだ痛みと熱は治まらず、やっとの思いで入ったクリニックは昨日よりさらに混んでいて、痛みと震えに耐えながら診察に呼ばれるのをまちました。
 診察室に入ると、先生はすぐに点滴を手配してくれて、痛みが引いていくのを感じながら少し寝ました。目が覚めると先生が来て、お腹の辺りを押しながら、
「これは重いかも知れないから日赤病院に紹介状を書くから行ってください。」
とのこと。また待ち椅子に横になって紹介状を待ちました。

 日赤病院に着いてからのことは、意識が朦朧としていたので、断片的な記憶になります。処置室で寝ていたところ、
「CT!、CT!」
と叫ぶ声が聞こえて、次はストレッチャーでCT室へ。その次は、誰かの声で、大腸ガンです。すぐに手術をしますと聞こえて、ざわざわとしているなか、よくテレビで見る手術台の上の照明が見えてきて、ナースの方が私の手を握って、
「大丈夫ですよ、大丈夫ですよ、」
と何度も繰り返してくれるなか、私の意識はとおくなっていきました。(つづく)
      

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