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"であう"ということ

【出会う、出合う、出逢う】

子供の頃、"出会う"と"出合う"の違いをどこかのタイミングで教わった記憶があり、その使い方を意識してきた。

ざっくり言うと、前者は対象が"人"の時、後者は"物"の時と認識している。

"であう"という表現は日常の中で割と使用頻度が多い言葉のように思う。そして、私は圧倒的に"出会う"を使うことが多い。

"であう"ということが、対象が人であれ、物であれ、とても人間味を帯びているもののように感じるので、感覚としては"出会う"なのだ。
だから、物でも人に寄せて、"出会う"を使いたくなる。

わかりやすいところで言うと、対象が"本"の時。
私は、"本との出会い"とする。本と出会う時の心の動きは、明らかに"物"という感覚ではない。それどころか、それを超えてしまうことも多々ある。

そんな時は"出逢う"が登場する。

そしてこれは、人だろうが、物だろうが、服だろうが、国だろうが、動物だろうが、自らが選んだもの、自分の意図していないものなどの線引きはなく、あらゆる"であい"に当てはまる。

"であう"という言葉自体はネガティブな感情をほとんど含まないように思うが、"出逢う"を使いたい時は、温かみ、心の動きの振れ幅、言葉にはできない感覚の含有量が圧倒的に多いように感じる。

"出逢う"の使用頻度が多くなっているのは、単に歳を重ねたからだけではなく、これまでのさまざまな"であい"がそうさせているのだと思う。

"であい"は自分の意思や行いとは関係ないところからやってくるスペシャルなものも時々あるけれど、朝起きた時から、日常のすぐそばにいつもあるということをこれを書きながら改めて感じた。


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