"ことば"のまわりで
あと数日で47歳になる。
誕生日は特別な日だけど、47までくると普通に過ぎゆく日とそんなに変わらない。
けれど、47歳になった私は、数ヶ月後に海外で短期間暮らしてみるということを実行するだろう。
海外にこれっぽっちも縁のない家庭に生まれ育ち、ぼんやりと大人になった私が、数十年後に海外を旅したり、外国人の友達が出来たり、暮らしてみたいなどと思っているなんて…、人生は不思議なものだとつくづく思う。
周りの同級生が勉強している時も、私はぼんやりし続けていて、大学に行ったものの、勉強をがんばらなくてよさそうな実技系の学校を選んだ。
だから、私の英語力は中学生ぐらいだと自覚している。それでも海外へひとり旅をしてしまう度胸はいつ培われたのかわからないが、ある時突然旅に出始めたのである。それが37歳の時。
実際、行ってみるとどうにかなってしまったので語学力を気にしないまま、コロナ禍前までひとりで旅をした。
言葉がなくてもどうにかなるのは変わらなかったけど、「言葉があれば」と思うことも多々あった。一期一会の出会いの中で、お世話になった方々、その後も縁が続いている方々に、自分の気持ちを伝えたいと思うようになるのは当然だし、生まれ育った環境も言語も文化も違う人たちと年相応の会話ができたら、どんなに豊かだろうかと。
ということで、今は細々語学の勉強をしている。
そんな中で、他言語を習得することの難しさを感じるとともに、言葉とはなんだろうか?言葉がなくても通じ合えるってどういうことなのか?ということが常々よぎる。
ひと言で言えば、
【"ことばのまわり"の感覚の共有】
なのだろうと思う。
言葉にできなくても共有できる心地よさ、それをもう少し言葉に近づけてみると。。。そんなことを考えたり感じたりしながら、日々の駒を進めてみようと思っている今日この頃である。