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コンビニ

気分の沈みを、身体の右斜め後ろあたりから眺められるようになった自分は、とても大人になったなぁと思う。

仕事を終え、胃の奥あたりに重さを抱えて駅に着き、あぁあのことがそうさせているんだと電車の中で熱をさまし、自分の街に辿り着く。

しかしそれはいつも諦めで無理に締めくくられ、解決とはまた違う。そしてその積み重ねが軋み、危ない音が聞こえた日は、あのコンビニに行く。

そこには母くらいの年齢の女性が大抵レジにいて、その人に当たると、なんとも言えない安らぎを感じる。

別に会話をしたりしないし、顔を知られている感じでもない。

温めますか?お箸は入れますか?レジ袋はいりますか?

いたって普通のやりとりしかないのだが、その端々はきちんと私に向けられている。この街でほぼ透明になってしまっている私の輪郭が、ジュースがストローに伝うように、メキメキと戻ってくる。

家を出て、初めての街で、初めての夜に入ったのもこのコンビニだった。何を食べていいかわからず、とりあえずコンビニに入ったあの日の私は怯えていた。でもあの女性がレジにいて、なんとか一人でも頑張れそうな気がした。

でもふと思う。勝手に安らぎを貰って、寄りかかっている私は、あの女性の傷をつくってやしないかと。みんながみんな、幸せになることはない、何にでも代償がつきまとう世界の構造が、このささやかな間にすら当てはまってしまわないか。

それが怖くて、これ以上は踏み込めない。心の中にある、ありがとうございます、の一言以上のことが伝えられない。

さみしい世界だ。

自動ドアをくぐって見える星が物悲しく揺れる。

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