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ためし石

仕事で聞いた話だ。
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東京のとある神社の境内に石がある。その石は社殿の脇の地面にぽつんと置かれている。ラグビーボールより少し大きいくらいで、楕円形のつるっとした見た目だ。
神社が管理しているようには見えず、説明書きの看板や囲いもないので、普段は人に踏まれるのか、靴跡や泥が付いている。
ある時、遠方から来た人がこの石を気に入って、家に持って帰った。それから、その人の家ではガレージから火が出たり家の窓が割られたりとおかしなことが続いたので、この石の祟りだと思い、神社に連絡をし石を返してお祓いを受けた。その後、異変はなくなったという。
実はこの石が神社から持ち去られるのは一度や二度ではない。まだ樽で漬物を漬けていた時代、漬物石にちょうど良い大きさからか、よく持ち去られていたそうだ。しかし、決まって持ち帰った人の家で人死の出ない程度の不幸があった。それで、どの人もこの石を神社に返しにくるのだ。
神社の管理をしている人によれば、この石は昔から「ためし石」と呼ばれているらしい。殆どの人はこの石を見ても何とも思わないが、ごく偶にこの石が欲しくて堪らなくなる人がいる。そういう人が石を我が物にすると、石は悪さをして、その人がどこまで耐えられるのか試すのだという。これが性の悪い美人のようだから「女石」とも言う。

東京に限った話ではないが、江戸期から人口の多かった地域の神社境内には「力石(ちからいし)」が残っている事がある。見た目は楕円形のつるっとした物なのだが、これは数十貫、今で言えば数十キロから百キロほどの重さで、かなり大きい。

昔は若者の力試しに使われており、「この石を持てたら一人前」という通過儀礼に使われた物や、当時の最大記録の記念として神社に奉納された物など、同じ「力石」でも大きさはまちまちである。
案ずるに、「力石」を「力試し石」と呼ぶことがあるので、「ためし石」も「力石」だったのだろう。当時、力試しをしていたのは男だけではない。女が持ち上げた「力石」も残っている。「ためし石」が「女石」とも呼ばれるのは、大きさから見ても女性の力試し用だったからではないか。
明治以降、娯楽や儀礼としての力試しが絶え、「ためし石」「女石」という名前だけが残った。そこに石にまつわる不思議な出来事が続いたので、「人を試す魔性の石の物語」が生まれたのではないか、というのが私の感じたところだ。

他所から石を持って帰るのは良くないと、誰しもどこかで聞いたことがあるだろう。それは、石がその土地の神の所有物だからとも言われている。
昔、伊勢神宮の神職からもこんな話を聞いた。

神宮宛に匿名で石が送られてくることがある。初めはなぜか分からなかったが、ある時、「石を盗んでから家に不幸があった。神さまの祟りだと思うから返すので許してほしい」と書かれた手紙が同封されており、そこで初めて石が盗まれていることを知ったそうだ。この石というのは正殿の御垣内に敷かれた石らしい。
所謂パワースポットやパワーストーンブームが始まった頃は特に多かったそうで、盗まれた数は分からないが、返ってきた石だけでもかなりの数になったそうだ。
その神職は「大勢の人が心を込めて敷いた石なので、やはり盗めば障りがあるのだろう」と言って微笑んでいた。

大きい神社では鳥居脇あたりに定書(さだめがき)があり、「一、境内で草木鳥魚を採取することを禁ず」と書かれている。境内にあるものは全て神の所有物だからだ。なるほど、神も勝手に持ち物を盗られては気が悪いだろう。
子どもの「お食い初め」の歯固めのために神社から石を借りてくる習俗があるが、終わり次第返すことを前提としたものなので訳が違う。

道路工事で迂闊に古い石を動かして祟られる話などは飽きるほど聞く。これは石自体に魂魄や思念・神が宿るからと説明されがちだが、「土地神の所有物を勝手に移動させた罰」という解釈もできよう。祟りを恐れて慌ててお祓いを受けたとて、謝罪の相手を石とするか土地神とするかでは全く違うと思うが、お祓いさえすれば異変がなくなるというのだから、やはり人の「お気持ち」が重要なのだろうか。

最後に余談だが、先の「ためし石」は今ではコンクリートで固められている。
石が一番よく持ち去られたのは昭和の頃。その後は祟りの話が近所に広まったおかげで長らく無事だったのだという。それが平成も半ばを過ぎた頃、遠方から来た人に盗まれて、また祟りを為したということで、近隣の人には随分なショックだったようだ。
近所の出来事ならば気にしすぎ、笑い話で片付くが、他所の人が巻き込まれたとなれば、やはり事態は深刻である。それで、「ためし石」はこれまで置いてあった場所にコンクリートで固定され、「祟る石に説明書きなんていらない」と何の表示も囲いもないまま、人に踏まれるままになっている。

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