事務のおねーちゃんになって思う

書く力が衰えている。
まず、400字以上の文章を書くことがない最近。
最近、日常で自分の書く一番長い文章は業務メールだと思うけど、
今ざっとメールボックスを見て長めの文章の文字をカウントしてみたら
たった124文字。
もはや文章と言えない。

前職では編集とライター、翻訳をしていて、とにかく書くことが一日の全てだった。
単語を選び、文章の流れを整えて、必要に応じて内容を膨らませ、
緩急をつけ、そのうえで整合性を確認して、
表記の乱れはないか、語彙の使い方は間違っていないかなど一日に何度も辞書を引き、文字数を数え、文章を作り上げることに心血を注ぎまくっていた。

今となっては、事務のおねーちゃん中のおねーちゃんで、
代表電話を取り、来客対応をし、秘書をして、電卓を叩いて経理をこなす。
会議になればお茶も出すし、ボールペンがなくなれば注文する。
それはそれで企業にとっては欠かせない仕事だ。
けれども、私の文化的な知的レベルがダダ下がっている気がするのである。
業務メールで培った単純すぎる日本語の繰り返しで脳内が埋まっている。
構成・校正力・語彙力・表現力のいずれも衰えている、確実に。

中学生の頃、まだPCも携帯電話も普及していなかったため
お小遣いで買ったお気に入りの手帳に、
自分でも見えないほど小さい文字でびっしりと日記を書いていた。
今となれば何をそんなに書くことがあるのかと思うけど、
ただただ今日嬉しかったこと、好きな人と話したこと、嫌だったこと、
本当に「今日自分が感じたこと」をそのまま書いていたんだと思う。
さて今の私は毎日「今日自分が感じたこと」を文章にできるだろうか。
自分の感情を、平易な文章でも適切な語彙と表現方法で書き表すことができるか?
答えは「怪しい」かつ「危ない」。
10年前の自分が知れば、情けないにもほどがある状況だ。

かつての自分は知的作業という意味では「理想の自分」だった。
文章に携わる仕事に就き、一日中文字と向き合う。
今は真逆の世界にいるけれど、安定した人生という意味では今こそ「理想の自分」だ。
潰れる心配のない職場で暮らしていけるお給料があり、家には大事な人もいる。
私の相反する「理想の自分」が脳内でせめぎ合っている。
しかし、今の私はもう前者の意味での「理想の自分」にはなれなさそうだ。
軽易に転職ができるような環境でもないし、やはり尻込みする年齢になった。

しかし、私は焦っている、この状況に。
そういうわけでこれからは隙を見て何でもいいから文章(しかも長めの)を書いていきたいと思う。(ちなみに場所は移すかもしれない)
もう理想に戻れないなら、近付ける努力くらいしないと
私は本当にこのまま田舎の片隅で、
よくありがちな大多数のように腐っていってしまう。

腐ってたまるか。

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