「話す事」について最近の考え
場面緘黙のモリナガアメから私を知ってくださった方と話すとき、良く「今はもう全然話せるんですね~!」と言われるんだけど、それは私が人と会う時に「話せる自分モード」を表に持ってきて、人生の積み重ねで学んできた会話パターンを当てはめて話しているだけ…要は普通に話せる人のフリをできるようになっただけなんだよな、と最近思う。
今でも話すテンポが遅めなのでよく「おっとりしてる」とか言われるけど、おっとりしているのではなく、自分の中にプログラミングされたパターンから会話を導き出した上で喋っているから話すのが遅くなってしまうだけだと思う。
イベントとかで沢山人と話した時は楽しいけど、家に帰って一人になってから気持ち悪い気持ち悪いああ~気持ち悪い…(※自分が)って丸一日位は思っている。
その気持ち悪いって思いは自分が嫌いだとか、そういう理由だと思ってた…いやそれもあるんだろうけど、もっと自分にとっては当たり前の理由なのかもしれないとも感じている。
基本的に私は数カ月チップ君とスーパーの店員さんとしか話さなくても大丈夫…というかそれ位の方がものすごく心身共に安定する、引きこもりがめっちゃ向いているタイプだと在宅ワークになってから改めて実感した。
(私が在宅ワークになった流れとかはFANBOXでリアルタイムに書いてます。)
それは元々の性格もあるんだろうし、一般の人の前ではわかりやすいように「私はコミュ障だから」なんて言っているけど、一番は聴覚の問題…聴覚の過敏さによって人の会話を聞き続けると自分でも思っていた以上に消耗するというのも大きいようだ。
普通の人間なら生きて行く上で大切で必要な「会話」というものが、私にとっては聴覚の過敏さのせいで相手から言葉を発せられるだけで自分のHPを削られてしまうものらしい。
人と話すときは声によって頭がぐわんぐわんして思考力も落ちてしまい、長時間話さなければならないときなどは最後の方はそれっぽく相槌を打つのに精いっぱいで相手の言葉が全く頭に入らなくなっているという事も、今思えば小さな頃から結構あった。
それは私が集中力がないからだと長年自分を責めていたが違うな!!!???
ものすごく集中して聞こうとしても頭が痛くなって言葉の意味が理解できなくなってくるな!!!???
と今になってようやく実感する日々である。
学校の授業もさされそうな時は死に物狂いで聞いていたけど、後の時間は先生の話ちゃんと頭に入ってなかったな今思えば…。教科書見て自分で理解してた。
勿論私も人間なので、会話は必要だし楽しさも感じるけれど、と同時に話すという事は確実に自分が心身ともに削られる事がわかった上で行わなくてはならないのである。
う~ん、これは多分私と似たタイプの人にしかわかり辛い感覚だとは思うんだけど、他人と話している時の自分を後から見返すと外身は確かに自分なんだけど、内面は自分の聴覚の過敏さからくる脳の負担を軽減するために、本来の自分はちょっと遠くにやって、会話パターンを覚えさせたロボットを動かしている、みたいな…
どこか自分じゃない自分が他の人からはモリナガアメと認識されている…だから後々思い返して他人と話してる自分に気持ち悪さを感じているのかもしれないと思った。
勿論誰だってある程度表面的だったり、素の自分を出せないことはあるだろうけど、その根本の理由や度合いが違うのだ。
自分の話せなさは場面緘黙の後遺症…なんて過去には言っていた。(それも確かにあった。)
でも過去のトラウマだとか会話の経験値の低さとか、そういうものを取っ払ったとしても、私は私のこの特性を持って生まれてきてしまった以上、多分ある程度の訓練を積んで「話せる人」を自分自身で作り上げる事はできても、本当の意味で延々と心置きなく人と会話を楽しむ、何も思わず当たり前に会話する、という事はできないのでは…?と話せなさの要因を考え続け・取り除き続けてきた今感じている。
この人生で本当の意味で会話を楽しむのは無理…と実感しちゃうなんて、なんだか自分の人生に絶望しているみたいなってしまったが、今は直接の会話がなくても色んな手段で(SNSとかメールとか)やりとりができる時代で、心を通じ合わせる事もできる。
それに個室とか静かな場所で少人数でなら消耗も少ないのもわかったので、環境を整えてからさあ話すぞ!!!とできるだけ素の自分を出して時間制限つきで会話を楽しむ…という事もできるようになった。
まあ相変わらず色々しんどみを感じたり虚無ったりもしているけど、でもこうやって言葉以外で声を伝えられる時代に生まれてよかったな~と思った。
※ちなみにこんな事書くとイベントとかで会う機会のある方が気を遣ってしまうかもしれないのですが、イベント時は大抵「さあ話すぞ!」と会話も楽しむ気持ちで、翌日動けなくなるの承知の上で参加しているので私が見るからにゲッソリしているとき以外は普通に話してくださって大丈夫です。
むしろ状況によっては人と話している方が雑音による刺激から気を逸らせて楽だったりもする。
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