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私が死を思う時1

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今回は今までのかんもく漫画の補足も兼ねて、漫画の中で描いてきた「死」の意味についてです。

頭の中で「死ね」と言われ続けていた頃は、自分自身としてはそれが自分の中で自然発生した出来事な訳で特におかしい事だと思ったことはなかったのですが、
(これは鬱なのでは…?という自覚は一応ありましたが)
「自分の頭の中で死ねという声がするけどそれは自分の声ではない」という経験は珍しいことなのでは…?と改めて考えていて思ったので描いてみました。

この瞑想した時はいわゆる、機能不全家族・アダルトチルドレン系の意味を調べていた時で、瞑想しながら今の生き辛さとも関係しているであろう傷ついた子供の頃の自分と向き合って癒してみよう的な記事を見て自分も試しに瞑想してみた…といった感じでした。

当時の事をそこまで鮮明には覚えていないのですが、瞑想してしばらくすると自分の中に泣いていて傷だらけの小さな頃の自分のイメージが浮かんできたのですが、その子の前に自分じゃないなんだか怖い人がいて、小さな自分をひたすら傷つけていたんですよ…。
で、びっくりして小さな自分の前に立ちふさがってお前誰だよ!?とその人に声を掛けたらふっとその人がいなくなりました。

…と書くと滅 茶 苦 茶 怪 し い な…!!???

あくまでそれは自分の心の中のイメージではあったのですが、多分「自分を否定し続けている事は自分の本心や実際の自分の実力とは関係ない、もはや癖になっている」という事に気が付けて、自己否定を否定できた瞬間だったのだと思います。
その後も自己否定的になってしまう事は多々あったけど、自分を否定し続ける頻度はどんどん減っていきました。
(この後さらに色々調べていく中で自分が場面緘黙だった事も知りました。)

それからはなんか怖くて瞑想をしたことはないのですが、まあ私は妄想力はだいぶ豊かな方だと思うので、セルフで催眠療法っぽいことをしてしまったのかな?と思っています。
(しかし色々危ないので自己流でやるものではなくちゃんと心理士さんの元でやるべきだと思いました。)

「死ね」という自己否定をする自分の中の人は確かに最初は自分が作り出したものではあったのだろうけど、
最初は自分が普通の良い子でいるために周りの大人たち(主には母ですが)に言われた事をその人に覚えさせて反芻していたのがどんどんと歪んでいって、次第に独り歩きをしだしたというか…自分の全てを否定するものになってしまったのだろうと思います。

そういう事もあり、瞑想の中で見た(感じた?)イメージはかんもく漫画内の母のキャラデザにもちょっと反映されてます。


その2に続きます


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