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かんもくフォーラムの配信を見て&自分の気持ち

10月4日に第5回のかんもくフォーラムが行われました。
コロナの影響もあり、今年はオンライン開催です。

私は日曜日は仕事だったので、リアルタイムでは見られませんでしたが、
見逃し配信もしてくれるという事で申し込みをし、昨日見る事が出来ました。
私は土日は仕事だったり、感覚の過敏さなどによって遠くへ出かけるのは色々と準備と覚悟がいる上に、集団の中へ入るのも苦手なので、オンライン開催で気軽に参加できるのはとてもありがたかったです。

いやしかし、質問に事前にFacebook で高木先生が長文で答えていたり、場面緘黙について最新の情報を全部無料で見られてありがたいな…!?と思いました。
コメント欄で参加者の方たちが話し合ったり教え合ったりと交流が生まれていたのも良い事だなあ…!と感じました。
私の本に反応してくださった方もありがとうございます!
聞いていたら高木先生が宣伝してくれてびっくりしましたw


以下はフォーラムの内容というよりは、配信を見たうえでの自分語りのようなものになります。

私自身は場面緘黙をもっと知って欲しい!自分の経験が参考になれば…!と思いながらエッセイ漫画を描き続けてきました。
たまに質問などもいただきますが、私自身はいち当事者でしかないので、相談や診断は専門機関で行ってくださいと答えているし、診て貰える専門機関がもっと増えて欲しい事も漫画の中で描いてきたつもりです。

しかしそうやって場面緘黙の啓発活動のようなものをしたり、専門機関をすすめているにも関わらず、いまだに自分自身が誰かに助けを借りたり、当事者の方の集まりや輪の中に入ったり交流するのはとても苦手です。
かんもくネットの会員にもなっていて、いろんな情報に助けていただいていますが、交流企画的なものには参加したことがないし、今回のかんもくフォーラムも申し込みはしたものの、いざ視聴するまでの足取りは結構重かったです。

なぜなのかというと、仕事が忙しかったり元々の気質的にあまり多くの人と交流するのに向いていないというのも大前提としてあるのですが、
「一番支援や治療が必要だった時に誰も助けてくれなかった・自分の話せなさを都合よく利用された経験がある」「どうせ誰も助けてくれない」という気持ちが根底にあるからなんだろうなとも感じています。

場面緘黙時代の色々は漫画ですでに読んで貰っていると思うのですが、他にも場面緘黙で話せなかった頃、仲良くなろ~と近づいてきた子が実際は私の宿題を写すのが目当てだったり、先生が親の前では私に理解のあるフリをしているのに、学校では他の子達の前でもの凄く邪険に扱ってきたりという悲しい出来事が沢山ありました。
「私は人より劣っているのだから仕方ない」とずっと思っていましたが、今になっていやいややっぱりそんなことなかったな!?酷いな!?と思い出してびっくりする事も多いです。

また場面緘黙以外で言うと、親たちが揉めて殴り合いをして収集がつかなくなり警察が来た時も、警察の人達は家の中を玄関からのぞき込んで気を付けてくださいよ~程度の注意で対応は終わり、しかも父や祖父は何も注意されず、殴られてボロボロになっている母と祖母がひたすら警察の人に謝ると言うシーンに遭遇したこともありました。
警察は民事不介入なので仕方はない部分もありますが、子供からしたら頼りになる助けが来たかと思ったら何もしてくれず、ましてや被害を多く受けた人たちを謝らせるという理不尽な出来事を目の当たりにし、ああいざという時に頼りになる存在なんていないんだ…という気持ちが強くなりました。

私ももう大人だし、勇気を出して声を挙げれば力になってくれる人がいる事・実際にそうした人たちによって場面緘黙の認知度が上がってきた事は頭では十分にわかっています。
実際にやりとりをさせていただいた事のある支援サイドの方たちは皆良い方でした。

でも経験してきた事が、素直にそこに自分をゆだねるのを邪魔しているというか…

実際の人達の人間性だったりはもはや関係なく、
何か支援をしようとしている人達や、私に興味を持ってくれる人・力になりたいと思ってくれる人に対して、「これは絶対に何か裏にあるに違いない」「どうせ私を何かに利用するために近づきたいだけなんでしょ」
といった考えを持ってしまう所がいまだにあり、基本的には疑ってかかってしまいます。
なので自分から交流したり集団の中に入る事に対しては滅茶苦茶腰が重いんだろうなと思います。

今まで集団生活になじめなかった人間なので、例え場面緘黙当事者・元当事者という自分と似たタイプの人達が多く集まる場所だったとしても、自分がなじみ切れないだろうと言う自信のようなものがあって、仲間意識を持つことにも気持ち悪さを感じてしまう。


…と言ったものの、いざ重い腰をあげてみると(今回はフォーラムを視聴してみると)
皆さんの真剣さに圧倒されて、ああ全然怖いものじゃなかった!
皆が一丸となって一つの事について話し合ったり、考えるのも良いものなんだな~!
場面緘黙につていもこんなに力になろうとしてくれている人がいるんだ!
と実感したりして、オイ!人なんて信じられない…とか言ってたのにその変わり身の早さ何なんだよ!?とセルフツッコミを入れたりする羽目になっています。(笑)
(根は結構単純な性格なんだと思います。)

自分が「他のやつに分かってたまるか!」みたいな気持ちで生きてきた所もあるので、誰かに感情移入したりわかる!なんて気軽に言うのは失礼だ!みたいにも思っているくせに、
香梅さんが話している所を見て、
練習では無理でも本番なら話せそうって気持ちわかるよ~~~~~~!!!
うう~~~~!!!話せてすごい!!!頑張ってる!!!!!
と香梅さんに自分の子供の頃を重ねて泣いたりもしました。


結局いつも頭で難しく・疑い深く考えすぎて、でも現実はそんなに恐ろしいものじゃなかったという経験を繰り返している気がします。
(まあ実際に現実は考えている以上に恐ろしかったという経験も子供の頃ありすぎたから、そこまで人を疑うようになってしまった点もあるのだろうけど。)
でもそうした経験を繰り返す事で、人への懐疑心みたいなものも少しずつほぐれていくんだろうなとも実感しています。
今後も疑い深い所はそう変わらないとは思うのですが、今ならいける…!と思ったタイミングの時に、他の方との交流の場を持ったり何か参加したりしてみたいなあと思います。


そしてフォーラム内で場面緘黙を知って貰うために・支援を広げるために自分たちにできる事が話題にあがりましたね。

私自身は今後やっていく・自分でできそうな事として考えているのは、
「エッセイ漫画の内容を場面緘黙以外にも広げて、そこから当事者以外の人にも場面緘黙漫画を読んで貰う事」です。

場面緘黙のエッセイは当事者の方に共感を貰えたり、当事者周辺の方に参考にしていただいているものの、場面緘黙という字面が何か難しそう・近寄りがたい印象もあってか、何かきっかけがある時以外で積極的に読んでくれるのは、当事者周辺止まりな印象があります。
場面緘黙を全面に押し出した漫画だけでは、実際に場面緘黙を知って欲しい層まで届くのには限界があるなかもな…という。

そもそも私の漫画が一気に広まったきっかけは、pixivisionで取り上げて貰った事と、「自信の膜」についてのツイートがバズった事・他にもnoteで注目記事に上げていただいたりと、当事者以外の人達の目に入る場で取り上げて貰った事が大きいと思っていますし、
今すでに場面緘黙以外の自分の話を描き始めていますが、最新話の伸び方とブクマ数の比例などを見ていると、場面緘黙を知らない層にも新たに私の漫画を読んで貰っているなと感じています。

今後は場面緘黙以外のメンタル的な漫画などをあげる事も多くなると思いますが、そちらの漫画から気にかけて貰えた人に場面緘黙の漫画も興味を持って貰えるようにできたらな…というのが今の私にできそうな事です。

これからも無理しすぎない範囲で漫画は描き続けられたらなと思っているので、
今まで読んでくださっていた方も引き続き応援いただければ嬉しいです。


サポートいただけた場合、ありがたく場面緘黙についての資料の購入費・漫画を描くにあたっての画材費等に使わせていただきます。個人で制作している為、少しでもサポートいただけたら幸いです。