「回復する」という事

先日行わせてもらった場面緘黙トークイベンの打ち合わせの際、会話の中で担当の方(Sさんと呼ぶことにする)に「回復するってどんな感じですか?」と聞かれた。

トークイベントレポでも書いたが、Sさんとお会いして話すのは二年以上ぶり。
以前お会いしたときは私の緘黙傾向が今以上に強かったので、今回久しぶりに私と会ってみて以前との変化を感じての事だろう。
…というかそもそも前の私だったら、Sさんとそういう何気ない(?)会話をする雰囲気ではなかったのでは?と思う。

その時は、そうですね、日々の積み重ねで少しずつ良くなっていっているので、自分では回復した!みたいな実感が常にある訳ではないんですけど、ふとした時にそういえば以前だったらこの状況になった時に精神が不安定になってたな!?とか言葉に詰まってたな!?ってハッとして、改めて自分が良くなっているのを実感する感じですね…
というような事を答えたと思う。
(いやもうちょっとたどたどしい返答だった気もするけど…)

その後Sさんと別れた後で電車に揺られつつ、改めて自分が回復したという事について考えてみた。

場面緘黙で話せなかった十数年、そしてその後話せるようになりつつも生き辛かった十年近くを考えれば、確かに今の私は「回復している」と言えるのだろう。
しかし自分では回復という言葉にどうもしっくりこない所がずっとあるのも事実である。

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