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死にたがる主人公たち

ごきげんよう。雨宮はなです。
ホラーやサスペンスを好んでよく観るのですが、ほとんど毎回思うことがあります。
「なんでそんなことしちゃうの?あなた(登場人物)、死にたいの?」

その詰めの甘さや隙の多さが次の展開や迫力のラストシーンを生むと、頭ではわかっているものの、どうしても死にたがってるようにしか見えなくて。
今回はそう見えてしまう3つの理由をお話します。

1.背中ががら空き

何か異常を察知したとき、何かに追われているとき、必ずと言っていいほど背中ががら空きなんです。
何かから逃げた後、どこかに隠れたとき、知らない場所の探索中…。
絶対に、背後を気にしてない。

一人のときはまだわかるんです。
恐怖で気持ちに余裕が無くて、前に進むだけ、前を見るだけで精一杯なんだろうなって推測できる。
でも、複数人いるときにだーーーーーーれも後方に気を配らないのはなぜなの?!
それで結局、扉と鍵が閉まって退路を断たれたり、最後尾の人間がひっそりと絶命していたりするじゃないですか。

ファッションと同じ。
背中…自分から見えない部分にはもっと気を配るべきなんですよ。

2.武器をとりあげない

これはですね、先日『黒い家』を観ていたときにふと思ったんです。
人間相手の話になりますが、相手がちょっとよろめいたり、倒れた後の反応が無くなった場合、被害者側…つまり、主人公たちは武器を取り上げずに逃げることが多いんです。
海外のアクション作品なんかだと、慣れた手つきで武器を奪って脱出を図るたくましさがあったりしますが。

相手に武器を与えたまま逃げるって、「殺してください」って言ってるようなものじゃないですか。
自分の命を狙う異常者に対して、あまりにも性善説で対応している…違うな。
ずいぶんと呑気だなぁって思うんです。

っていう、テンションのままお次です。ドドン。

3.とどめをささない/拘束しない

これです。「とどめをささない」んです。
なので、ずいぶんと呑気だなぁって思っちゃうんです。

確かに息が荒かったり、顔ぐちゃぐちゃにしながら泣いてたりはします。
でも、身の安全が保障されない内にのんびり歩き始めたり、なんならそのまま腰を下ろして足を延ばして休んじゃったりする。
本当に命の危機が訪れたら、そんな判断になるだろうかって不思議で仕方がありません。

どんなにお人好しな考え方をしたとして、命を奪うのが怖いといったって、それこそ「武器をとりあげる」ことくらいはしておこうよって。
本当に生き延びたいなら、とどめをさしておこうよって。
最悪…拘束しておこうよっておもいます、これは武器を取り上げるのとセットで。

無題36

クライマックスに死にたがり行動がみえる映画

『黒い家』
監督:森田芳光
出演:内野聖陽、大竹しのぶ

このクライマックスシーン、かなり鬼気迫る演技で確かにすごいんです。
内野聖陽さんが体と声が震わせて恐怖を表しているのも、大竹しのぶさんの目の焦点があっていないというかふわーっとした狂気も、すごいんです。

ただ、ただですね。
やっぱり、「なんでそこで油断しちゃうかなー」って思っちゃうんです。
何か所も。
これは邦画だけでなく、洋画もなのですが、この作品はそう思うタイミングが特に多かったので紹介しました。

今回は、必死に見えるように逃げ隠れする登場人物たちが、どうしても「死にたがっているようにしか見えない理由」を紹介しました。
ちょっと前に公開した「ホラー映画あるある」に近い感じがします。

私がホラーやスリラーをあまり怖がらずに観られるのは、この考え方のせいなのかもしれません。

今回も最後まで読んでくれて、ありがとうございました。
また次の記事でお会いしましょう。ごきげんよう。

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