【試写】『ミナリ』の興味深い4つのこと
ごきげんよう、雨宮はなです。
3/13(土)、Filmarksでの抽選に当たり『ミナリ』を鑑賞してきました!
ネタバレあり
A24作品って個人的には当たりハズレの差が大きくて、しかもあまり当たりに出会えないのでちょっとドキドキでした。””アメリカに住む韓国人家族”という設定も馴染みが無いし、一応現実世界の日常が描かれるとはいえ理解や共感はできるのかと不安もありました。試写会だから「お金もったいなかったな」となる心配がないとはいえ。
結論をいえば、それらの心配や不安は杞憂だったわけです。
どんな箇所を楽しんだか、気になったかを4つに分けて紹介します。
1:「やりたいこと」と「やらなければならないこと」の描き方
この作品は「やりたいこと」と「やらなければならないこと」の重なりでできていると思いました。それが家族全員分用意されているのだから、驚かされます。出番が少ないにしても、手が抜かれていない。
父は「農業がやりたい、成功した姿を子供に見せたい」けど「投資と支払いをしなければならない」
母は「安定した生活が送りたい」けど「片田舎で経済状況が不安定な中で生活しなければならない」
娘は「もっと羽を伸ばして過ごしたい」けど「弟(時には祖母)の面倒をみなければならない」
息子は「走りたい、自由に過ごしたい」けど「心臓に気をつかって生活しなければならない」
自分が姉であり、女性であるため、娘と母の気持ちや行動に非常に共感しました。
ですが、たったひとり例外がいます、同じ家に住む祖母です。彼女は決して無理をせず、やらなければならないことも適当か後回し。けれど、全く悪びれることはありません。そんな祖母の存在に良くも悪くも、小さくも大きくも振り回され家族の中に変化が起こります。
2:「におう」という台詞にも表れる”違い”への反応
祖母と初めて顔を合わせるも、母親の陰に隠れて挨拶もろくにしないデビッドがこっそり主張したのは「おばあちゃんは、におう」というものでした。このシーンを観ていた私は台詞を聞いた瞬間、「やったな」と思いました。よくその表現を使ったな、と。「だって…」「なんかやだ」「ちがう」等、濁し方も表し方も他にあったはずなのに「におう」をチョイスしたのはすごい。
実際に嗅覚で感じ取れる部分でいえば、「老い」や「血」のにおいのことでしょう。デビッドは祖母と紹介された人物が今まで自分に縁のなかった年代の人間であること、違う文化圏で生きてきた人物であることを敏感に感じ取っています。とくに子供の感覚は敏感ですから、ちょっとしたにおいにも反応できるでしょう。
食べるもので血液のにおいはだいぶ変わりますが、「こちらではめったに手に入らない」香辛料を使ったものを毎日食べていた祖母は、彼からしたら「におう」と表現するのが妥当だったように思えます。
物理的なにおいだけでなく、感覚や感情・考えの表し方もかなり違います。お行儀や品の良さならお姉ちゃんの方が明らかに上。本当に自分たちの面倒をみられるような人物なのかと信用をおけなくても仕方ありません。自分たちの感覚と違う、違うにおいがするよというのはこどもからの純粋な報告であり、状況が違えばシグナルでもあると考えられます。
3:祖母という存在
この作品は父親が主人公でありながら、祖母とデビッドなしでは成立しません。最後には彼女のおかげで難を逃れ、ハッピーエンドで物語は終わります。問題行動の多い彼女ですが、どんな存在としてこの作品における役割を与えられたのでしょうか。
私の考えでは、祖母は一種のイマジナリーフレンドのように思えました。なので、モニカ(主人公妻、デビッドの母、祖母の娘)とデビッドとの交流がメインだったのではないかと。モニカとデビッドには身近で自分をみていてくれる存在が必要だったのです。
モニカの場合は実際の母親ですから、そりゃ見守っててほしいでしょうと思えます。ですが、「友達母娘」だの「ビーナッツ母子」だのいうように、まるで友達のような関係を築いている母子もいます。友達のいない新しい土地で、友達とまではいかないまでも生活を楽にするためにコミュニティをつくろうとすれば「コミュニティが嫌で集まった人たちなのよ」とその望みを却下され、頼れる人間が全くいないモニカがすぐに親友レベルで頼れる人間を欲するのは当然のこと。彼女のイマジナリーフレンドの具現化こそ、自分の母親:祖母だったのです。
デビッドも友達づくりは難航します。せっかく仲良くなれたと思った子がいても、やっぱりなんとなく文化や感覚が違ったり、親の方とそりが合わなかったり。自分の成長を助けるような見守るような存在であり、悪友でもある…そんなデビッドにとってのイマジナリーフレンドだったように思えるのです。
ジェイコブとアン(デビッドの姉)はそこまで必要としていない、別のことに意識が向いているため、祖母は「親戚の一人」という位置づけから外れることがなかったのでしょう。
4:「ミナリ(セリ)」タイトルになった理由
これは監督のインタビューやら何やらを探せば公式のものがすぐに出てくるのでしょうが、あくまで鑑賞した私が考えた理由を紹介します。
1.花言葉にちなんで「貧しくとも高潔、であれ」というメッセージ
祖母のイメージアイテムともいえるミナリ。もはや祖母=ミナリなんじゃないかとも思えてきます。そんなミナリが作品全体を通して訴えているメッセージは花言葉にちなんでいるんじゃないかなと思うのです。
ジェイコブが一番わかりやすいのはもちろん(水道代が払えないほどに資金が枯渇している)、お金がなくて余裕がないと焦るのはモニカも同じ。それでも”高潔であれ”と。”貧しくとも高潔”な人物としてアイドル化されたキャラクターがポール(農業の手伝いをしてくれている)だと思います。服はいつもボロボロ&土まみれ、自ら十字架を背負って歩く彼はその象徴なのでしょう。
2.きれいな水を吸って、根をはって生きろというメッセージ
祖母が選んだ川べりにしっかりと根を張って、立派に育ったミナリを終盤にみることができます。あれは、その時点でのジェイコブたちの状態を表現しているように感じました。きれいな水を吸って、しっかりと根を張って、たわわに実った状態。
きれいな水というのは、言うまでもなく比喩で「自分達にとって本当に良い、シンプルなもの」を指すのでしょう。人間や気持ち、お金だってそうです。祖母からの贈り物であり、ジェイコブ達を表す手段であり、おそらくですが観客へのメッセージでもあるのです。きれいなもの、濁っていないもの、シンプルな状態を吸って育て、実れと。きっと、そんなメッセージなのです。
おわりに
派手な衣装もセットも演出も特にないのに圧倒されてしまう作品でした。
ちなみに解釈を楽しんだり、作品に必要な人材だと感じてはいますが個人的にあの祖母は嫌いなタイプです。下品で稚拙でデリカシーが無い。モニカがしっかりしているのは母親を反面教師にしたせいな気がするけど、母娘のやりとりをみているとだらしなかったのは父親でないとなんとなくブレるんだよなぁ…。そんなことも考えています。
それを差し置いても興味深く観ることができる作品ですし、上映館も多いので観に行きやすいと思います。彼らの置かれている環境はぜひ大きいスクリーンで観て欲しい!自然の雄大さがとてもよく感じられます。
今回も最後まで読んでくれてありがとうございます。
ではまた次の記事で。ごきげんよう。
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