スマホが出てこない映画が好きだ。
ごきげんよう。雨宮はなです。
先日、会話の中で「どんな映画が好き?」と聞かれました。「映画鑑賞が趣味です」というとほぼ必ずといっていいほど聞かれる質問ですよね、これ。その後5分はひっぱれるぞ、しめしめ、という声さえ聞こえてきそうだと思うのは私だけでしょうか。そうですか。
よくある質問への返答を変えてみた
今までは無難にジャンルを答えていました。「よく見るのはミュージカルと、ドラマと、ゾンビものです」なんて答えると、最初二つは「へー!」「うんうん」と聞いている人の顔が最後に「んんっ?」に変化するまでがお約束になってました。なんとなく盛り上がったっぽい、ネタも出たっぽい流れになるもののあまり映画を観ない人ってそこからの会話は楽しめないことが多いです。とても残念です。会話しようよ、知らなくても!こっちを語らせておいてうんうん聞いてればいいなんて思わないでよ!正しく興味を持つってことをサボる人が多いなぁなんて感じる今日この頃。
なので最近は返答を変えてみました。「そうですね、自分でも最近気づいたんですけど…スマホが出てこない映画が好きみたいです」。
「スマホが出てこない作品」とは
「えっとそれはつまり、昔の作品ということ?」と大抵聞き返されます。私が観るジャンルでミュージカルなんかは比較的現代を舞台にすることが少ないですし、たしかにスマホは出てきにくいです。そういうこと、と言い切れないというのが正解です。
スマホがない時代、そりゃぁ出てきようがありません。その時代に作ったら自然とそうなります。確かにその時代に作られた作品には好きなものが多いですが、そうでなく…そんな時代を描いた作品が好き、スマホが無くても成立する作品が好き、といいたいのです。物理的に存在しないだけでなく、必要のない作品。現代が舞台でも結構たくさんあるものです(連絡手段としてちょろっと出てきてしまうのは大目に見るとして)。
『前科者』
『わたしは、ダニエル・ブレイク』
『その日、カレーライスができるまで』
『マークスマン』
『ラストナイト・イン・ソーホー』
これらはFilmarksに私が登録した作品の新しいものからピックアップしただけですが、先頭10作品のうち半分はスマホが出てこない現代を舞台にした作品です。そしてそのどれもが面白いと思える作品でした。
どうして「スマホが出てこない作品」が好きなのか
考えてみましたが、これは「なぜスマホが出てくると嫌なのか」の方が答えやすかったです。結論を言ってしまえば、私は「スマホを使って他人の権利を奪う無知な人間が嫌い」なのです。
海外の作品ではわりと一般的な演出(日本も増えてきましたが)、事故の現場や誰かがステージで何かをしているところ、何かを失敗した様子に無言でカメラを向ける人が現れます。ひとりふたりいたのが、段々みんな群がってくる。一定の距離を置いて遠巻きに、すぐに捕まらない逃げやすい距離からカメラごしにニヤニヤしたり、何もせずに眺めてる。高みの見物を決め込んでいて、助けが必要な人に手を貸さないか、悪意をもって記録し続ける。たいていは「シェア」して自分が「いいね」をもらうために。
私、あれ、ものすごく嫌いなんです。『ザ・サークル』や『ディア・エヴァン・ハンセン』にちょうどそういうシーンがあります。そのシーンを観ているあいだはものすごく不快でした。『ザ・サークル』ではその後、撮影された動画がSNSでシェアされて、それをひとつの理由に悲しい事件が起こってしまいます。
SNSでなかったとしても「シェア」するのが現代人にはかなり価値があるという感覚になる行為なんだなと思ったシーンがあります。『クレッシェンド 音楽の架け橋』でシーラ(イスラエル人女性)とオマル(パレスチナ人男性)がベッドで寄り添っている写真をシーラが彼女の”親友”にシェアしたところ、その親友が「とんでもない!」と親族や友人たちにそれをばらしてしまい起こった親族に「私たちひきはなされちゃうわ!」とパニックになるシーンがあります。
オマル「なんであんな画像を送ったの?」
シーラ「だって、親友だから”シェア”しようと思って…」
もうね、あきれ果てて口あんぐりでした。どこまでも馬鹿みたいでしょうもなくて。勝手に人の写真を撮るだけでなく、他人に見せるという行為が個人的には理解の範疇を超えていました。
『ザ・サークル』『ディア・エヴァン・ハンセン』『クレッシェンド 音楽の架け橋』これらの作品を観て私は「スマホが出てこない作品が好きだ」という考えに至ったのです。
スマホ時代にはロマンがない
スマホやPCが浸透し、インターネット社会になってその仕組みを使ったネタや演出で面白がらせてくれるものはもちろんたくさんあります。でも、そこにロマンがないと思うのです。
監獄や町からの脱出も、友人や恋人とのすれ違いも、知識や情報の共有も。人間が自分の目で見て、口や身振りで話して、待ち合わせや手紙の緊張感にドギマギして…といったものがなかなか起こりえない。「そんなのむりだよ」「メッセを送ればいいのに」「SNSやグーグルですぐわかるよ」とそれで終わってしまう。スマホにロマンはあるのか?あるのは承認欲求だけじゃないか。
ちなみに、『あと1センチの恋』を現代ロマンスだという人もいるだろうけど、あれにはロマンスもロマンもないというのが個人の意見です。
ただ、私が観てない作品でスマホ×ロマンが成立している作品もきっとあると思うのでもし知っている方がいたらぜひ教えてほしいと思います。ただ、やっぱりスマホって…電池切れてからロマンを感じる展開になる気がするんですよねー。
おわりに
日頃スマホを使うし「なくなればいいのに」とは思いませんが、私は映画作品の中でまでスマホを見たくないなぁというのが正直な考えです。スマホを良識的な扱い方をする登場人物により物語が好転する流れなら歓迎しますが、今のところろくでもない使い方をする人間しか観た覚えがないもので…。
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