働かない自由~労働は暇つぶしと考えるといいかも~
労働とは暇つぶしである
現代における労働(他人に対する労働)とは何か、暇つぶしではないか。
またひろゆきさんやホリエモンさんのようなことをいうとか言われるが、どうもそう考えるとすっきりする。
お金の仕組み
実はお金は働けば温泉のように湧いてくるわけではなく、国家のの供給力(他人に対する労働はここに含まれる)を上限に、政府が自らの信用を使って必要額のお金を作って国民に配ってくれるもの(信用創造、credit creation)。労働で生まれるものではないんですよ。国民の大半を占めると思う雇用労働者はピンとこないものですが、そういうものなんです。
働いてもお金はもらえるとの保証はない
上記の作業は他人のための立派な土木作業、労働だと思うけど、お金は生まれていないですよね。翌日とか毎月5のつく日に銀行通帳を印字してみたらお金振り込んであったということはないですね。これから考えると労働は必ずお金を生まない性質です。
市場原理で決まる
では労働ってなんだろう考えると単なる暇つぶしで、市場原理で需要の大きな暇つぶし(他人、つまり消費者がお金払ってもいい暇つぶし)にはお金が支払われ、あまり需要がない暇つぶし(消費者がお金払うまでに至らない暇つぶし)にはあまりお金が支払われない、ゼロもあるよというだけです。
自由なので自由が成り立つ
暇つぶしをするしないはそれぞれの自由ですよね。誰でもわかりますよね。転じて働かない自由が成り立ちます。
人間にとっては暇は苦痛である
参考までに人間にとって暇は苦痛なものです。誰でもつぶそうとするでしょう。だからすべての人は働かなくなるなんて絶対にありえません。
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