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【私の選択】キャリア形成とお母さん業

30歳の時、初めて起業をしました。
所謂IT系の会社で、前職の取締役に誘われて共同経営という形でした。

私は経理財務などを担当するCFO(財務最高責任者)でした。

最初はシェアオフィスからのスタート。

まだ、私と社長の2人会社だったので、ほとんど自宅で仕事をしていました。

3ヶ月ほどして1人目の社員を雇用。
小さなマンションを借りて、オフィスとしました。

SOHOマンションで働く様子

起業してからは、本当にがむしゃらに働きました。

人脈開拓にも積極的に出かけ、経営者の勉強会にもたくさん参加しました。

勉強会に参加する様子

小さいながらも社員一丸となって頑張り、売上は2倍、経常利益は3倍のスピードで成長していました。

社員も少しずつ増えて、社員教育や組織体制の構築にも力を注いでおりました。

私自身も、講師として経営者の前でお話する機会が増えました。

講師をさせてもらった時の様子

社会貢献のために寄付する余裕も出てきました。

とても充実した毎日でした。

しかし、30歳を過ぎていた私には、1つ焦りがありました。

それは、「将来子どもを持つことができるのだろうか?」ということ。

私自身は、子どもが大好きで、将来は絶対に子どもは欲しいと思っていました。

むしろ、当たり前のように子どもを産んで育てるものだと思っていました。

しかし、気づいたら既に33歳。

漠然と「私、この歳で妊娠できるのだろうか?」と不安になりました。

小さな会社なので、私がお休みを頂くというのはとても負担がかかります。

せっかく育ててきた会社、大丈夫だろうか?と不安がよぎりました。

ある日、経営者仲間に「そろそろ子ども産まないの?」と聞かれました。

世の中的にはNG発言かも知れないですが、何でも話せる仲間のような存在だったので、私も本音を話しました。

「子どもを産みたい気持ちはあるのだけど、会社の事が心配で…。」

するとその経営者仲間は、言いました。

「会社の事を考えてたら、いつまで経っても子どもを産むことはできないよ。もう、なるようになるって思うしかないから、一度きりの人生だしやりたい事をやるのも大切だよ。」

無責任と思われるかも知れないですが、本当そうだなって思いました。

社員を雇用してる以上、会社経営に全力を注ぐのは当然のことです。

しかし、子どもを産めない年齢になってしまった時に嘆いても、会社が子どもをくれるわけではありません。

まずは当時お付き合いしていた人と結婚しました。

すると、他の経営者の先輩方からも「すぐに子どもは作った方がいいよ」と助言頂くことが多かったのです。

ありがたいことに、34歳にも関わらずすぐに妊娠することができました。

オフィスが自宅から歩いて5分という距離だったので、つわりで死にそうな時期も、何とか部下と連携して乗り切ることができました。

生産期まであと1週間

出産予定日まであと1ヶ月。

私が出社しなくてもある程度回る体制は整え終わり、資金調達も終えました。

私の自宅に来てもらい、社長と今後の事業計画についてもみっちり話しました。

そして、緊急帝王切開手術にて出産。

赤ちゃんの手と私の指

出血多量で手術中に気絶、なかなか大変なお産でした。

出産直後からお手伝いさんに来てもらいつつ、パソコンを開いて仕事をする事もありました。

出産による身体のダメージが大きかったのと、頻回授乳による寝不足と疲労、さらには合間で仕事をしていたこともあり、自力で立ち上がれないほど身体は追い込まれてしまいました。

その後夫が育児休業に入ってくれたため、少しずつ私の身体は回復していきました。

保育園入園も無事に決まり、あと2ヶ月で仕事に完全復帰できるというタイミングのこと。

共同経営者である社長から、驚きの事を言われました。

「会社を清算したい」

思考が止まりました。

何を言ってるんだろう?

今まで頑張って会社の業績を伸ばしてきましたが、その期は少し業績が落ち込んでいました。

しかし、経営をしていれば波があるのは当たり前の事。

会社を清算したい理由を尋ねると「クライアントが嫌だから」と答える社長。

いやいや…なんというか、ツッコミどころが満載すぎて、何から質問していいのかわからなくなりました。

その後、何度も話し合いをしましたが、社長は「会社を清算したい」の一点張り。

着々と準備を進めておりました。

私は出産してまだ半年ちょっとで、身体のダメージがやっと少しマシになったかな?ってところ。

更には、まだ保育園に入る前の赤ちゃんを連れた状態です。

こんな事を言うと甘いと言われるとは思いますが、貧血でろくに頭も働かない状況で、身体のダメージも残ったまま、更には赤ちゃん連れという状態で社長に代わり経営を存続していくというのは無理でした。

Itエンジニアは引く手あまたなので、条件よく取引先に雇用してもらいましたが、社員に対して何もできなかった自分を今でも悔いています。

しかし、あの時子どもを産むという選択をしたことは、全く悔いておりません。

その後、ソーシャルビジネスを展開しているベンチャー企業に取締役CFOとして参画。

ソーシャルイノベーターとして登壇したり、メディアに取材していただく事もありました。

日経doorsに掲載していただいた記事

しかし、上場に向けてしばらく頑張っておりましたが、忙しさが祟ったのか体調を崩す事も増えました。

突然の嘔吐、悪寒と高熱で病院へ

そして、子どもが2歳になり、私はフリーでお仕事をする選択をしました。

子どもが成長するに連れ、「このまま仕事に忙しいお母さんでいいのだろうか?」と考える事が増えました。

仕事は大好きだし、やりがいも感じています。

しかし、仕事を頑張りすぎると子どもとの時間は減ってしまいます。

そして「仕事はまたできるけど、子育ては今この瞬間しかできないなぁ」と思うようになりました。

フリーになったらもう少し自由かな?と思っていましたが、実際は軌道に乗るまで物凄く大変でした。

考えが甘いと言われればそれまでですが、どうしても「子どもが小学校に上がるまでに、自宅である程度稼げるようにしておきたい」という想いがありました。

その想いから、必死に仕事頑張り今に至ります。

ありがたいことに、今は第二子にも恵まれ充実した2人の子育てをしております。

コロナ太り+babyの私のおなかと、全日本マスター柔術選手権マスターで優勝したくらい鍛えている夫のbody

第一子は習い事が大好きで、5つも通っています。

自宅でそろばん教室の宿題をする様子

私からお勉強を教わるのも大好きで、毎日のように教えています。

子どものために自作した知育プリント

フリーになっていなければ、習い事の送迎もお勉強を教えるのも難しかったかも知れません。

第二子を授かることもできなかったかも知れません。

第一子は来年小学校に上がりますが、ありがたいことに私は今ある程度自宅で稼ぐことができるようになっています。

これで小学校から帰って来た時に「おかえり」と笑顔で迎えてあげることができます。

「自分が歩みたい人生」のために「今」を変えることはとても大変なことです。

しかし、その大変な選択をしたからこそ、自分の人生を歩めてるいるような気がします。

はじめて撮った家族写真

#あの選択をしたから

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