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水を

水をひとくち分けてくださいませんか。

「申し訳ありません。私もこれで最後なのです」

お金ならあります。

「お金などいただいても仕方ないのです」

何を差し上げたら水を分けてくださいますか。

「食べ物となら交換いたしましょう」

あいにく、持ち合わせておりません。

「申し訳ありません。私も生きるのに必死なのです」

そうですよね。こちらこそ、無理を言って申し訳ありませんでした。

朦朧とする意識の中、歩き出しました。

足元の横たわる人々の呻き声に、必死で耳を塞ぎながら。

耳を塞ぐ指の間から、それでも、声が進入して来ました。

無力な私にさえ助けを求めて来ます。

生きたいのだと叫び、鼓膜を震えさせるのです。

何も分け与える事など出来ません。

手を差し伸べることさえ出来ません。

例え、助けたところで、あなたは私に、水の一滴でも分け与えることが出来るのでしょうか。

歩く気力さえ失い、崩れ落ち、膝をついた地の冷たさは、凍てつくほど。

痛いほどの冷たさも、徐々に麻痺し、震えに沈んで行きます。

沼のように、ゆっくりと、しかし確実に、沈んで行きます。

雲の切れ間から僅かに見えた陽の光が、帯のごとく垂れ下がっていました。

手を伸ばすのが遅かったようです。

指先が、陽のぬくもりに触れたのは、ほんの一瞬でした。

#掌編 #小説






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