先生と僕(7)「トレンチ先生」
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今朝、校庭の冬木立に雪が降り積もっていた。枝に雪の花が咲いたように見えた。
午後になると、陽の光のあたたかさで、雪の花が消えていく。初めてあたたかさを知ったというのに、この世界から消えなければならないのである。花よりも儚い雪の花。枝から雪解け水が涙のように滴り落ちていた。
今日は水曜日だ。購買では水曜日限定のミルクパンが販売される。濃厚なクリームがたっぷり入ったミルクパンが僕は好きだ。焼きそばパンほどの競争率はないので、今のところ毎週購入出来ている。しかし、念には念を入れて、早めに購買に向かいたいところだ。
昼休みのチャイムが鳴ると、僕は真っ先に教室を出て購買へ向かった。
廊下は走ってはならない。学校のルールを守ったうえで、僕はミルクパンに辿り着きたい。卑怯な真似をしてまで手に入れたミルクパンなど美しくはない。
早歩きで歩く僕を背後から追い越した者がいた。
スーツの上にトレンチコートを着ている。コートの襟は直角に立てており、顔半分が隠れているものの、僕には正体がすぐにわかった。
美術教師の岩清水拓郎先生だ。
先生はコートのポケットに両手を入れながらも、颯爽と廊下を歩いている。そして、歩くスピードが速い。小走りしているのかと疑ってしまうほどである。
僕は先生に引き離されないよう、背中を追う。すると、今までにないほどのスピード早歩きすることができた。これならいつもより早く購買へ到着するかもしれない。
前方に男子グループがふざけあっているのが見えた。彼らの一人が廊下の窓を開ける。その途端、突風が窓から吹き込んだ。
「うう……」
うめき声がする。先生が立ち止まっていた。トレンチコートの襟を必死で押さえている。
「襟は直角なんだ。直角じゃなければ美しくないんだ」
そんな先生の言葉に、何か共鳴するものを感じた僕は、先生を追い越し、さりげなく窓を閉めた。
風が止んだ。
無事、購買でミルクパンを購入した僕は、教室へ戻った。席に着き、ミルクパンを食そうとした時だった。
「あの、よかったら、これ」
椿ちゃんが僕に小さな紙袋を手渡した。中を覗くとカップケーキが一つ入っている。
「どうしたの?」
「家庭科の授業で作ったんだけどね。あ、でも、ミルクパンに比べたら、全然美味しくないと思う」
「そんなことないよ」
僕はミルクパンを食べるのをやめ、カップケーキを一口食べた。柔らかく甘い生地が、僕の口の中に広がっていく。ミルクパンも美味しいけれど、椿ちゃんのカップケーキの素朴で優しい味も好きだ。
「無理しないでいいんだよ」
「ううん。美味しいよ。陽だまりみたいに優しい味がする」
蜂蜜のような光が窓から差し込み、椿ちゃんの頬を艶めかせた。僕は思わず、彼女の頬に触れてしまう。
「ごめんね、あまりにもきれいだったから」
To be continued.
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