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僕はきっと文通は出来ない【日記】

 唐突にどこかの知らない誰かと文通をしたい気持ちが湧いてきた。インターネットが普及した現代では、文通は逆に新鮮で面白い気がする。文房具店で便箋や封筒を選んだり、どんなペンを使えばいいのか考えたり、きれいな文字を書こうと気を使ったり、切手を買ったり、ポストに投函するために遠回りしたり、いつくるかわからない返事を待ったり、どれももどかしいけれど、素敵な時間なのではないだろうか。けれど、落ち着いて考えてみたら、僕の性格上、多くても3回くらいのやり取りでフェードアウトしてしまいそうだ。まずはお互いの自己紹介、次はお互いの近況報告、それから……。何を書けば?時間や気持ちに余裕があれば、有意義な話が出来そうだが、もし忙しい日々が続いていたら返事を書く時間は取れないし、取れたとしても疲れから愚痴っぽい内容になりそう。それなら書かない方がマシである。落ち着いたら書こう、そうこうしているうちに日々が過ぎていき、余裕が出来た頃には、今更書いても仕方ないかとなって、フェードアウトである。
 最近の僕はこうやって、何かを思いついては、どうせ無理かとやる前から諦めることが多くなった。限られた時間を有意義に使いたい。トラブルも避けたい。穏やかに平和に暮らしたい。変化のない毎日だっていい。退屈上等である。
 刺激的な経験は、これまでの人生を振り返れば、数多くあった。だから、もうお腹いっぱいである。当たり前の日常の中に幸せがあると、もう十分過ぎるほどわかった。退屈でも平穏な日常がありがたい。
 しかし、本当にそれでいいのかと、自問する声が聞こえる時もある。とても小さな声だけれど。このまま、何の挑戦もせずに生きて、年老いた時後悔しないのかと。
 僕はその声に反論する。これまで幾度も挑戦してきた。打ちのめされたこともあったけれど、学びや成長もあった。だから、挑戦する大切さは知っている。だけど、今の僕にはそんな余力はない。とにかく疲弊している。平穏な暮らしを維持するだけでも、毎日大変な労力を使っているのである。
 それは、きっと、僕だけではないと思う。すれ違うあの人やあの人だって、仕事や勉強や家事や育児や介護や、様々な事に疲弊し、それでも歯を食いしばって戦っているのかもしれない。だけど、そんな毎日の中で、何かに挑戦している人はいるのだろう。尊敬する。
 僕が疲弊している原因は仕事だ。休みの日は回復に努めたいのに、仕事の事を考えて不安になってしまっている。何かを創作することで、気持ちが紛れるのだけれど、最近の僕は、創作する意欲も湧いてこなくなっている。これは良くない兆候である。創作をしていないと、ネガティブな僕は、どんどん悪いことを考えてしまい沼にはまってしまう。だから、僕は今、この文章を書いている。
 創作する。絵でもマンガでも文章でも何でもいい。何かを創作していないと、僕はきっと、光の中を歩けない。闇の中で膝を抱えて動けなくなってしまう。だから、創作する。
 僕が何か創作したところで、誰かに認められるわけでもないし、誰かの役に立っているわけでもない。というか、誰かに認められたり、誰かの役に立っていたとしたら、それはそれでプレッシャーである。好きなように創作出来なくなってしまう。批判はもちろん嫌。批判されても貫き通すくらいの意志はないので、逃げるだけだ。書いていて思うが、つくつぐ面倒な人間である。もしこんな僕を応援してくれる方がいたとしたら、適度な距離から見守っていただけるとありがたい。
 今年も半分は過ぎたけれど、何かに挑戦できるだろうか。挑戦したい気持ちがないといったら嘘になる。今は疲弊しているし、明確な目標がないので、多分、マイペースに、ぼちぼちやっていくと思う。
 めちゃくちゃな文章になってしまいましたが、ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

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