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自分が死ぬ日を知りたいか

ワニくんが約束の100日を終えて亡くなりました。

100日後に死ぬワニ(1日目)

100日後に自分が死ぬことを知らずに、当たり前に続くと信じている日常を生きているワニくんの、その姿を「あと何日で死ぬか知っている」神様の視点で毎日見届ける4コママンガ。
最期の日が近づくにつれ話題になっていたから、きっと知ってる人も多いと思います。
私も毎日ではないけど、時々思い出しては見にいったりしていました。

あぁ、そろそろだぞという2〜3日前のツイートを見てから、人間は「自分が死ぬ日」を知っているのと知らないのではどっちが幸せなんだろう、ってことを考えています。
どっちにもメリット・デメリットがあって、間違いなく答えなんて出ない。それをわかった上でなんとなくぼーっと考えている。


「箱庭」という小説を今書いていて、戦争と介護に関わる作品なのでどうしても「死」について考えることが多いから、それもあるのかもしれない。

戦争について調べていると、命の重さや、逆に軽さが今とは全然違う形で登場します。
自分のために使う命は軽く、それでいて死ぬことの意味は今よりも重い。いや、大きい、の方が正しいのかな。
そんなに簡単に、あっという間に決意して死んでしまうの? と、今の私には感じられてしまうような死に方が次々に出てくる。
それは本人の手によるものもあるし、他者の手によるものもある。

たとえば、戦況悪化でする集団自決とか。
本心なんてわからないけど、記録の上では尊厳のために死んでいく。
この時代に生まれ育った私なら一縷の望みにかけて生きることを選択しそうな気がしてしまうけれど、彼らは手榴弾を抱えて、海に飛び込んで、頭を撃ち抜いて死んでしまう。
あと数日我慢していたら戦争なんて終わったのに、捕虜になってもそんな風にはされなかったのに、そうやって死んでしまっても何にもならなかったのに……。
未来の住人である私はそう思ってしまう。

それはもしかしたら現代の中高生、なんなら小学生で自ら命を絶った子供たちに対する想いとも似ているかもしれない。
学校を卒業したら全て終わるのに、家を出たら全て終わるのに。外から見たらそう思う。
でも、彼らにはそれを待つだけの心の余裕はなくて、待つより先にこの世界から去っていってしまう。
たぶん口で説明したって伝わらない。
自分だってそうだったからわかる。
そういうのって過ぎてしまわないとわからないことだ。


人には未来は見えない。
少なくとも見えないということになっている。
いつ自分が死ぬのか、それは誰にもわからない。

同じ出来事に陥っても、そこで死ぬ人もいれば、そのあとも生きる人もいる。
もし今生きるこの世界が漫画や映画なら、その主人公が自分なら絶対に死なないとわかるのに、そうじゃないからわからない。
わたしは主人公かもしれないし、その辺を歩く通行人Aかもしれない。
もしも今いるドトールから家に帰るまでの道のりで事故にあったとして、わたしが前者なら確実に生きられるし、後者なら簡単に死んでしまうかもしれないのだ。


でもだからと言って死ぬ日を知りたいかと言われたら、それはなぁ……どうだろう?
確実に死なないということなら知りたいけれど、あなたはこの日に死にますよ、と言われて、冷静でいられるだろうか。
やりたいことは山のようにあるけれど、そのタイムリミットまでにできるかわからないし、例えばこの人のこれから続く未来を見たいというような願いなら叶えることはできない。
知っていても知らなくてもたぶん後悔は尽きないだろうな。

今日死ぬとわかっていたら、もっとあれをしたのに、これをしたのにという思いを
例えば100日前に知ったって抱いたと思う。
これで充分足りました、といえるのは老衰で亡くなるご高齢の方々だけなのかもしれない。


まぁだから、よくできてるんだよ。
未来は見えない。過去も忘れていく。
それはなるようにしてなった世界の仕組みなんだろな。

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