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痛み

何度も本屋で見かけては手に取り、レジに運ぶか悩んで元の場所に戻していた辻村深月さんの『噛みあわない会話と、ある過去について』をついに読了した。
何気に、初の辻村深月作品。開拓時代です。今。

いつも通り、引っ掛かった言葉をピックして感想をしたためようとしたしnotionでは☆4つを付けたんですが。
読み終わってすぐの感想は、「もう読みたくない。文章は読みやすかったが、胸糞が悪い」という何とも子どもみたいなものだった。
普段から、まあ中学生レベルの作文能力なことは置いといて。劣化、幼稚、粗末、手抜きなという意味での、子ども。

それではいかんという自戒を込めて。
前置きが長くなったが、いつも通りの感想。

ナベちゃんのヨメみたいなやつも、ナベちゃんみたいなやつもよくいるよなって思う。
私は学生時代はずっと女ばかりの文化系部活に所属していたから分かってしまう。ナベちゃんみたいな人間は確かに存在する。池田たちとは少し違う感じで、男のようで女のような絶妙さ。
生物学上男だと分かっていても、「まあ○○は女みたいなもんだから」って過去の私はそう言っていた。と思う、のが重要で。
言っている側は全く自覚がなくても、本人はその場で吐き出すには憚られる感情を抱いているかもしれないというのが本書の主題な気がする。
絶妙と敢えて表現したことは、当時の自分の傲慢さに向き合うためです。
記憶はいかようにも自分の理想通りに改ざん、というより事実がどうであれ都合通りにできるということも考えさせられた。人間の汚いところを、いや、自分の汚いところを鋭利な刃物でぐいっとされるような痛みすら感じる。
まあ、ナベちゃんもナベちゃんのヨメも、幸せならいいんじゃないですか。未来がどうにかなっちゃってても、その時の自分が頑張るんだし。

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