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《藍色的蟾蜍》Ch1.陶製的鴉(32之32)

  本次內容涵蓋〈陶製的鴉〉一章32中的後22首。同樣地,隨著翻譯與對詩人了解的進展,一切內容都有修訂的可能。
  關於大正15年/1926年大手拓次的自選版,後日會再以便於閱讀的形式重新呈現;這邊先提醒,1936發行的《藍色的蟾蜍》和原案順序有所不同,此外除了後來增選的詩群與詩,第一詩群的原名為〈長耳的亡靈〉,而非我們現在看到的〈陶製的鴉〉:其實為自選版第一詩群的壓軸。

  這次發布我嘗試用了ルビ功能;因為字體過小不適(加上修改其實很耗時),且無法與外部連結共存,之後可能不太會再利用。另,每首詩下面都依照全集後注增添了日期、刊行雜誌與備註,若經翻譯不另附原文。這個工作會相當耗時,目前不保證以後還會註記。從此開始的底本依全集為主。


11.灑水車的小僧們(撒水車の小僧たち)

お前は撒水車をひく小僧たち、
川ぞひのひろい市街を悠長にかけめぐる。
紅や綠や光のある色はみんなおほひかくされ、
Silenceシイランス廢滅はいめつの水色の色の行者のみがうろつく。
これがわたしの隱しやうもない生活の姿だ。
ああわたしの果てもない寂寥を
街のかなたこなたに撒きちらせ、撒きちらせ。
撒水車の小僧たち、
あはい豫言の日和が生れるより先に、
つきせないわたしの寂寥をまきちらせまきちらせ。
海のやうにわきでるわたしの寂寥をまきちらせ。

你是拉著灑水車的小僧們,
悠閒地沿著河畔廣大市街奔走。
所有充滿紅、綠與光的色彩都被蓋著隱匿起來,
只有沉默Silence與廢滅的水色的色的行者在四處徘徊。
這就是我無法隱藏的生活樣貌。
啊啊、將我無盡的孤獨
在城市中撒向四方、撒向四方吧。
撒水車的小僧們,
在淡色豫言的日和降生以前,
請將我無盡的孤獨撒向四方 撒向四方吧。
將如海洋般湧現的我的孤獨撒向四方吧。

大正2年1月12日夜/《朱欒》大正2年2月號

12.披著羊皮的僕人(羊皮をきた召使

お前は羊皮やうひをきた召使だ。
くさつた思想をもちはこぶおとなしい召使だ。
お前は紅い羊皮をきたつつましい召使だ。
あの ふるい手なれた鎔爐のそばに
お前はいつも生生いきいきした眼で待つてゐる。
ほんたうにお前は氣の毒なほど新らしい無智を食べてゐる。
やはらかい羊の皮のきものをきて
すずしい眼で御用をきいてゐる。
すこしはなまけてもいいよ、
すこしはあそんでもいいよ、
よるになつたらお前自身の考をゆるしてやる。
ぬけ羽のことさへわすれた老鳥おいどり
お前のあたまのうへにびつこひいてゐる。

你是披著羊皮的僕人。
一位搬運著陳腐思想的溫順的僕人。
你是披著紅色羊皮的謙慎的僕人。
在那 古老、手熟的鎔爐旁
你總是以盎然的目光等待著。
但其實你 一直吞嚥著新的無智
到了令人不悅的程度。
身穿柔軟的羊皮著物
以明亮的眼神聽候差遣。
稍微懈怠一下也可以的呦、
稍微消遣一下也可以的呦,
等到夜幕降臨 就讓我饒恕你生於內心的想法吧。
連被拔了毛的事都忘了的老鳥
在你的頭頂上跛著腳。

大正2年12月2日夜/《創作》大正3年1月號(第4卷1號)

13.海鳥的結婚(海鳥の結婚)

大きな緋色の扇をかざして
空想の海は大聲にわらふ。
濃い綠色みどりいろの海鳥の不具者ふぐしや
命(いのち)の前にかぎりない祈禱をささげ、
眞夏の落葉おちばのやうに不運をなげく。
命はしとやかに馬の蹄をふんで西へ西へとすすみ、
再現のあまい美妙はいんいんと鳴る。
眠りは起き、狂氣はめざめ、
嵐はさうさうと神の額をふく。
永劫は臥床ふしどから出て信仰の笑顏に親しむ。
空想の海は平和の祭禮のなかに
可憐な不具者と異樣のものの媒介なかだちをする。

寂寥の犬、病氣の牛、
色大理石の女の彫像に淫蕩な母韻の泣き聲がただよふ。
唇に秋を思はせる姦淫者のおとなしい群よ、
惡の花の咲きにほふひとをみたまへ、
勝利をほころばす靑い冠、
女の謎をふせぐ黃金の圓楯よ、
戀の姿をうつす象牙の鏡、
寶玉と薰香と善美をつくした死の王衣よ。
海鳥の不具者は驚異と安息とに飽食し、
淚もろい異樣のものを抱へてひざまづく。

揮舞大大的緋色扇子,
空想的海大聲笑著。
濃綠的海鳥的殘缺者,
在命運面前不斷奉上祈禱,
如仲夏的落葉般哀嘆著不幸。
命運淑雅地踏著馬蹄向西、向西前進,
再現的甜美奇妙隱隱鳴聲。
消散了睡意、覺醒了狂氣,
暴風騷動地拭過神的額頭。
永劫自床榻上清醒,與信仰的微笑相親。
空想的海在平和的祭禮中
成為可憐的殘缺者與異樣之物的媒介。

寂寥的犬、患病的牛、
華麗大理石的女性雕像飄盪著淫亂的母韻的哭聲。
讓唇回想起秋日的姦淫者的溫順的群簇呀,
想像那使惡之花盛開芬芳的無人注意之際被看見,
綻放勝利的青色冠冕,
抵禦著女性之謎的黃金圓楯呀,
映射出戀愛身影的象牙鏡面,
竭盡了寶石、香氣和善美的死的王衣呀。
海鳥的殘缺者飽嘗了驚異與休憩,
跪下擁抱著多愁善感的異樣之物。

大正2年1月10日夜/《朱欒》大正2年2月號
*雜誌上有將倒數第五行的「圓楯」讀音標示為「まろたて」。

※本詩在過往網誌中已有個人解析。

14.慰安(慰安)

惡氣のそれとなくうなだれて
慰安の銀綠色の塔のなかへ身を投げかける
なめらかな天鵞絨色びろうどいろの魚よ、
忍從木陰こかげに鳴らすtimbaleタンバアル
祕密はあだめいた濃化粧こいけしやうして温順な人生に享樂の罪を贈る。
わたしはただ、そらに鳴る鞭のひびきにすぎない。
水色の神と交遊する鞭にすぎない。

隨著惡氣約微地低下頭
我朝慰安的銀綠色之塔投身而入。
光滑的天鵝絨色的魚啊,
在忍從的樹蔭下鳴奏的天巴鼓timbale
秘密畫著婀娜的濃妝,將享樂的罪孽贈予溫順的人生。
我不過是 在空中作響的鞭的回音罷了。
不過是與水色的神明交遊的鞭罷了。

大正1年11月14日夜/《朱欒》大正1年12月號

15.蛇的道行(蛇の道行

わたしの眼を、ふところ(だ)いた(*1)眞珠のやうに暖めて、
懶惰の考へ深い錆色をした蛇
若いはちきれるやうな血をみなぎらして蠟色臥床ふしどにありながら、
おほやうの叢(*2) に舞ふ光の魂を招いたのだ。
それも無理もない話だ。
見たまへ、お互ひが持つてゐる慾の火壺のなかには可愛らしい子蛇と光りの卵が無心にふざけてる。
だんだんに子供たちの眼がふくらんできて、
ありもしない翅をはたつかせた
そのたびに幻影はいきほひよくをどつた 。
いたづらな神樣は
かうして二人に罪と惠みの樂しみを料理してくれた。

將我的眼,如在懷中擁抱的真珠玉般溫暖著、
深入怠惰的腦海的 銹色的蛇群
盤踞在把年少氣盛的血液澎湃了的蠟色臥床上時,
招來了安穩的空的叢集中舞動的光之魂。
這是理所當然的事。
看啊,我們互相抱有的慾之火壺中有令人憐愛的小蛇和光亮的卵天真地嬉戲。
漸漸地,孩子們的眼膨脹、
拍動起不存在的翅膀。
一次一次地,幻影因此愈發盛大。
淘氣的神明
就如此為兩人料理罪與恩惠的快樂。

大正1年12月10日午後/《朱欒》大正2年1月號

 *1:懐(ふところ)可以是物理上的環抱,也可以是心中的想法。玉(たま)是珠寶、寶玉沒錯,但我不確定作者是否有意要玩卵(たまご)或魂(たま)的文字遊戲。
  加上「抱く」,情況就更為複雜了:抱く也可以是環抱的動作,但還有孵卵的意義在,更別說大家愛講的性交了。我們不知道作者寫什麼品種的蛇,不過某些蛇會在溫暖的季節靠陽光維持體溫,同時圍繞在四周孵化與保護卵。這是否會使一個不需要溫度的「真珠玉」被「暖めて」的畫面合理化?
  蠟色乍看可能會使我們想到象牙乳白的蠟燭,不過在日本傳統中有工藝用的、近全黑的精美蠟色。這種美麗黑色的臥床,又會不會有夜幕之義?如此,「懶惰の考へ深い」可做入夢之感解釋;全詩開始的眼,便是看到了夢境的眼吧。
  嗯,還真是色情的詩呢!

 *2:「空」有兩個很容易能聯想到的意義:天空(くう),以及空虛(うつほ);兩者皆可讀そら。個人不清楚這裡無讀音是否有留空解釋之意,不過以空虛來詮釋,主角作為「空虛的集合體」被神明賜予的罪的恩惠撫慰之感便可得到充分、豐滿的畫面解釋。

16.樹懶的幽靈(なまけものの幽靈)

ある日なまけものの幽靈が
感奮して魔王の黑い黑い殿堂の建築に從事した。
ひとあたり手をつけてみると
妙にをかしくてつてきて、またどうやらきしてしまつた。
しかし、仕事をつづけるといふことが怪し殘りをしかつたので
靑い斧をふりあげては働いた。
そして、炎のやうに冥想の遺骸が質朴な木造車にのせられて通る
黑い殿堂は休むことなく
ふだんの事のやうに工事が進められてゐる。
なまけものの幽靈は今更のやうにあたり前の誇りをみせびらかしたくなつた。
――みると幽靈の足には草色の瘤が出來てゐた。

某天,樹懶的幽靈
感奮而開始了魔王黑又黑的殿堂的建築。
剛開始做起這工作時
奇妙而有趣,卻又不知為何愈發厭倦起來。
可是,不把工作繼續正常完成是會被責罵的
只好揮舞著青色的斧頭工作。
於是,如火炎般的冥想的遺骸被質樸的木造車載著通過了。
黑色的宮殿不眠不休地
一如往常持續建築。
樹懶的幽靈現在才想到想要炫耀那份理所當然的驕傲。
——仔細一看,幽靈的腳上長出了草色的瘤。

大正1年12月9日夜/《朱欒》大正2年1月號

17.冒泡的陰鬱(泡立つ陰鬱)

女のかひなのやうにあわだつてくる
むさぼりきの陰鬱いんうつよ、
あのくろい いつもよくかしこまつてゐる小魚こうを
そらきぬをひいた(*1) やうにあまいので、
今日けふは なだめやうもないほどむづかつてゐる

像女人的上臂般冒起泡沫
樂於貪婪的陰鬱啊,
那條黑色的 總是畢恭畢敬的小魚
因為像是讓空操縱絲綢一般的甜蜜,
今日 已經達到難以撫慰的不適。

大正2年7月1日
*草稿初題名〈塔的遊戲〉,後來只擷取了詩的前段改命名〈泡だついんうつ(冒泡的陰鬱)〉。後半詩句如下:そしてむしや(、、、)腹を立つて\甲斐もない、\壊れかけた塔の積みなほしに耽ってる。\わたしは可笑(をか)しいので笑ひかけると\怖い、大きな仮面(おめん)が立ちふさがる。

*1:【小魚が/空が/絹をひいた】,個人直譯為【小魚讓/天空操縱了絲綢】。
  此處的空有音標為そら,有可能是常見的天空,但也可能對應到〈蛇的道行〉中推論的空虛的空。

18.長耳的亡靈(長い耳の亡靈)

うこん色にひかる遊戲のなかに
追ひたてられた亡靈はつまづいてたふれる
きらびやかな荊棘(いばら)の杖をついて
足のすわらない生活がせまつてくる
くるしい、そしてつんぼの窓(まど)には
亡靈のうとい耳がひつかかつてゐる。
灰色のだらつたれた長い耳は
あへぎあへぎ空想をはらんでゐる。

在閃耀鬱金色光芒的遊戲中
被追逐的亡靈絆倒後就此倒下了。
倚賴華美的荊棘之杖、
腿腳無法支撐的生活正在迫近。
痛苦、而失聰的窗戶
把亡靈的陌生的耳夾住了。
灰色垂軟的長耳朵
孕育著痛苦地喘息的幻想。

大正2年12月3日夜/《創作》大正3年1月號(第4卷1號)

19.睜開眼的過去(目をあいた過去)

この放埒(はうらつ)空想は
行きつまつて(*1) みづからのからだのうちへ沈んだ。
みづからをとめどもなく掘りくづすわたり(*2)の金鑛夫きんくわふ
わたしの過去はなまなましくくづれてくる。
過去よ、決して聲をあげるな、
お前は隱呪の箱のやうにただ暗く恐ろしくあれ。

這放蕩的空想
受阻不前 陷入了自己的軀體之中。
無止盡地自我掘毀的旅渡的金礦工,
我的過去在面前漸漸地崩塌。
過去啊,絕對不要發出聲音,
你應像隱呪之箱 僅有黑暗與可怖。

大正2年5月26日夜

*1:行詰る(ゆきづまる)とは? 意味・読み方・使い方をわかりやすく解説 - goo国語辞書 這邊的つ沒有濁音也不確定是不是促音,先使用這個片語做解釋。

 *2:※(240504)譯註:「旅渡」這一詞我不知如何有美感地傳達其「沒有固定居所地旅行」的感覺,單純按字呈現意義的到位又稍嫌不足;不吝指教。


20.作響的鉤(なりひびく鉤)

年のわかい蛭のやうに
みづみづとふくらんだ眼から眼へ、
はなやかな隱者の心が(とも)つてゆき、
わけ知らずの顏の白いけものたち、
お前は幽靈のやうにわたしのまはりにすわつてゐる。
そら、海が女のやうに媚びてねむるとき、
絲をはなれて、はればれと鳴る黑いはりおとをきいてごらん、
やはらかい魚はだまつてききとれてゐるだらう。

像年歲仍少的蛭一樣
水亮地膨脹了的從眼至眼,
將絢麗的隱者之心點亮,
不懂人間情愛的白顏的獸群,
你就像幽靈一樣環繞坐在我的身旁。
來呀,當海洋如女性般媚人地入睡,
請鬆開絲線,聽那清亮作響的黑色鉤音,
柔軟的魚會靜靜地傾聽吧。

大正2年2月8日晝/《朱欒》大正2年3月號

21.蔓延的殘缺(のびてゆく不具)

わたしはなんにもしらない。
ただぼんやりとすわつてゐる。
さうして、わたしのあたまがのけむりのくゆるやうにわらわら、、、、みだれてゐる。
あたまはじぶんから
あはう、、、のやうにすべての物音ものおとに負()かされてゐる。
かびのはえたやうなしめつぽい木靈(こだま)が
はりあひもなくはねかへつてゐる。
のぞみのない不具かたはめが
もうおれひとり(*1)といはぬばかりに
あたらしい生活のあと食ひあらしてゆく。
わたしはかうしてまいにちまいにち、
ふるい灰塚のなかへうもれてゐる。
神さまもみえない、
ふるへながら、のろのろしてゐる死をぬつた消しぬつたり消ししてゐる。

我什麼都不知道。
只是茫然坐著。
然後,我的腦海像香薰煙霧的繚繞般被紛紛擾亂。
腦海自己
像阿呆似地落敗於所有物音。
彷彿發霉般陰濕的的木靈(*2)
只是毫無抵抗地迴響著。
不抱希望的殘缺者們
只因發現不再是自己孤單一人
便把新生活的殘渣啃得亂七八糟。
我就這樣日復一日地,
被埋沒在古老的灰塚之中。
神明也看不見,
我在顫抖中、緩慢地,反覆塗抹死亡與蹤影,逐漸消失了。

大正2年12月7日夜/《創作》大正3年3月號(第4卷3號)
*初題名同現題。曾將「不具」消去改為「片輪」(譯註:兩者皆為殘障的殘缺之意),後改回。

 *1:御山の大将(オヤマノタイショウ)とは? 意味や使い方 - コトバンク (kotobank.jp)
【お山の大将】の意味と使い方や例文(語源由来) – ことわざ・慣用句の百科事典 (proverb-encyclopedia.com)
關於おれひとり(己一人)我只能查到這個有關的慣用句,不確定其用於此處的意涵。
*2:「木靈」在此指山、谷間迴盪的聲音;此詞緣由是古代日本人認為回聲是神靈的回應。
木靈 - 維基百科,自由的百科全書 (wikipedia.org)

22.燒灼的鑰匙(やけた鍵)

だまつてゐてくれ、
おまへにこんなことをお願ひするのは面目ないんだ。
この燒けてさびた鍵をそつともつてゆき、
うぐひす色のしなやかな紙鑢(かみやすり)にかけて
それからおまへの使ひなれた靑砥(あをと)のうへにきずのつかないやうにおいてくれ。
べつに多分のねがひはない。
ね、さうやつてやけあとがきれいになほつたら、
またわたしの手へかへしてくれ、
それのもどるのを專念に待つてゐるのだから。
季節のすすむのがはやいので、
ついそのままにわすれてゐた。
としつき()げたこのちひさなかぎ
またつかひみちがわかるだらう。

請不要說話——
對你提出這樣的要求 實在讓我無地自容。
請將這把燒灼過的生鏽鑰匙悄悄拿走、
蓋上鶯綠色的光滑砂紙,
接著將它用不會受損的方式放置在你常用的靑砥上。
我應別無他願。
若是如此便能將燒痕修補無暇,
再拜託你,交還到我的手中吧,
只因我正一心等候它的返回。
季節卻變換得太快,
我又不小心就這麼忘記了。
這把被歲月燒焦的小小鑰匙
應該還能再找到新的用處吧。

大正2年12月8日夜/《創作》大正3年3月號(第4卷3號)

23.美的遊行者(美の遊行者)

そのむかし、わたしの心にさわいだ野獸の嵐が、
初夏の日にひややかによみがへつてきた。
すべての空想のあたらしいたねをもとめようとして
南洋のながい髮をたれた女鳥をんなどりのやうに、
いたましいほどに狂ひみだれたそのときの一途(いちづ)の心が
いまもまた、このおだやか遊惰の日に法服をきた昔の知り人のやうにやつてきた
なんといふあてもない寂しさだらう。
白磁のもられたこのみのやうに人を魅する冷たい哀愁がながれでる
わたしはまことに美の遊行者であつた。
苗床のなかにめぐむ憂ひの芽《め》望みの芽《め》、
わたしのゆくみちには常にかなしい雨がふる。

好久以前,曾在我心中喧囂的野獸的狂風,
隨著初夏時節的微涼甦醒了。
如追尋著所有幻想的新核種的
南洋的長髮垂落的女鳥般,
那時幾近悲痛地狂亂不已的一途之心
如今再次,在這寧靜的閒逸之日穿上法袍 像個舊識一樣地來了。
那是何等無所依憑的寂寞啊。
如同盛裝於白瓷碟中的嗜好品 魅惑著人心的冰冷哀愁流出。
我確實曾是美的遊行者。
在苗床中萌生的不安之芽與希望之芽,
我的行路總是下著悲傷的雨。

大正2年5月17日

24.秋日(秋)

ものはものを呼んでよろこび、
さみしい秋の黄色い葉はひろい大樣おほやうな胸にねむる。
風もあるし、旅人もあるし、
しづんでゆく若い心はほのか化粧づかれに遠い國をおもふ。
ちひさな傷のあるわたしの手は
よろけながらに白い狼をおひかける
ああ 秋よ、
秋はつめたい霧の火をまきちらす

萬物以物類聚的欣喜,
寂寞秋日的黃葉在廣闊安穩的胸懷中睡去。
清風吹,旅人行,
沉靜下來的年少的心在對化妝淺淺的疲倦中 追想遙遠的國度。
有著小小傷痕我的手
在蹌踉中追趕著白色的狼。
啊啊 秋日呀,
秋日灑落著寒冷的霧之火。

大正2年10月6日午後

25.裸體之森(裸體の森)

鏡の眼をもつた糜爛びらんの蛇が、
羚羊かもしかの腹を喰ひやぶる蛇が、
凝力の強い稟性ひんせいの痴愚を煽つて
炎熱の砂漠の上にたたきつぶす
冷笑の使おびた駝鳥が奇怪なづうたいのさばらす
死ね……
淫縱の智者よ、
芳香ある裸体の森へゆかう。
なめらかな(かも)の上に 化粧の蛇は媚をあふれこぼす

長著鏡之眼的糜爛的蛇,
撕咬著羚羊的腹部的蛇,
煽動凝力強大的天性的愚昧
在炎熱的砂漠之上擊潰。
被冷笑的苦惱纏身的駝鳥以奇異的巨身橫行跋扈。
死吧……
淫縱的智者呀,
向芬芳的裸體之森前行吧。
在柔軟的毛氈之上 化妝的蛇流溢媚色。

大正2年4月26日午後/《創作》大正2年8月號(第3卷1號「復活號」)

26.罪的拜跪(罪の拜跪)

ぬしよ、この「自我」のぬしよ、
空虛な肉體をのこしてどこへいつたのか。
ぬしの御座は紫の疑惑けがされてゐる。
跳梁てうりやうほしいままにした罪の涙もろい拜跪は
祈れども祈れども、
ああ わたしの生存の(しるし)たるぬしはみえない。
ぬしよ、囚人の悲しい音樂をきけ。
據りどころない亡命の鳥の歌をきけ。
ぬしよ、
罪の至純なる懺悔はいづこまでそなたの影を追うてゆくのか。
ぬしよ、信仰の火把ひたばに火はつけられんとする。
死は香爐の扉のやうににほうてくる。

主啊(*1),名為「自我」的主啊,
留下空虛的肉體後 汝行向何方?
主的御座被紫色的懷疑所玷污。
不論縱心地跋扈了的那罪孽脆弱傷感的拜跪
是如何反覆祈禱,
啊啊 作為我生存之證的主卻是不可見的。
主啊,聽聽囚徒悲傷的音樂吧。
聽聽無處歸去的亡命之鳥的歌聲吧。
主啊,
罪那成為至高純粹的懺悔 將追尋君之影直到何方?
主啊,信仰的火把竟無法點燃。
死亡如香爐之門瀰漫芳香。

大正2年5月13日

*1:ぬし可有兩義:一是主上,二是第二人稱單數,從日文才能感受到兩者模糊界限、距離曖昧的美;基於第三行中使用了「御座」,此譯本的ぬし目前以前者為解。

27.肉色的薔薇(肉色の薔薇)

うまれでた季節は僞らずに幸福をおくる。
おお はづかしげにはだかになつた接吻よ、
五月はわたし達に果てもない夢である。
此汎愛の思想のよわよわしい芽生えは
旅の空をうろついてあるく女藝人のやうに人知れず涙をながしてゐる。
今、偏狹者の胸に咲いた肉色の薔薇よ、
今、惡執者の腕に散る肉色の薔薇よ、
遍在の神は吾等の上に楽しい訪れをささやく。

歡びにみちた季節は悲哀の種をまく。
うれはしげに鎧を着た接吻よ、
戦闘は白く白く波をうつてゐる。

降生的季節送來毫無虛偽的幸福。
噢— 羞澀地赤裸的接吻呀,
五月正是我們無盡的夢境。
這汎愛思想柔弱的萌芽
如在旅之空中徬徨徘徊的女藝人般,流下不為人知的淚。
現在,在偏狹者心中盛開的肉色薔薇呀;
現在,在惡執者臂膀上散落的肉色薔薇呀,
遍在的神明於吾等之上耳語著愉快的來訪。

洋溢歡樂的季節播下悲哀的種子。
在擔憂中著裝盔甲的接吻呀,
戰鬥在白又白的波浪間相爭。

大正2年5月17日午後

28.失聰的犬(つんぼの犬)

だまつて聽いてゐる、
あけはなした恐ろしい話を。
むくむくと太古を夢見てる犬よ、
顏をあげて流れさる潮の
はなやかな色にみとれてるのか。
お前の後足のほとりには、いつも
ミモザの花のにほひが漂うてゐる。

靜候傾聽,
那坦露真實的恐怖故事吧。
夢見了滾滾浮現的太古的犬呀,
你會抬起頭來 為那流潮
絢麗的色彩而癡迷嗎。
你的後腿旁,總是
飄著含羞草的花香。

大正2年6月9日午前

29.致野之羊(野の羊へ)

野をひそひそとあゆんでゆく羊の群よ、
やさしげに湖上の夕月を眺めて
嘆息をもらすのは、
なんといふ瞑合をわたしの心にもつてくるだらう。
紫の角を持つた羊のむれ、
跳ねよ、跳ねよ、
夕月はめぐみをこぼす………
わたし達すてられた魂のうへに。

原野中悄悄走過的羊群啊,
溫柔地眺望湖上的夕月,
這般不覺間的合一 要如何裝入我的心中呢。
長著紫色的角的羊群,
跳吧、跳吧,
夕月流露恩寵………
流入我們被遺棄的靈魂中。

大正2年6月8日夜

30.威嚇者(威嚇者)

わたしの威嚇者がおどろいてゐる梢の上から見おろして、
いまにもその妙に曲つた固い黑い爪で
冥府から來た響の聲援によりながら
必勝を期してわたしの魂へついてゐるだらう。
わたしはもう、それを恐れたり、おびえたりする餘裕がない。
わたしは朦朧として無限とつらなつてゐるばかりで、
苦痛も慟哭も、哀れな世の不運も、
據りどころない風の苦痛にすぎなくなつた。
わたしは、もう永遠の存在の(はし)へむすびつけられたのだ。
わたしの生活の盛りは、空氣をこえ、萬象をこえ、水色の奧祕へひびく時である。

訝異地從樹梢上俯視著我的威嚇者,
至今仍如此奇妙地彎曲的堅硬黑爪
伴隨來自冥府的響音聲援
是在期待它必然的得勝 想擄獲我的靈魂吧。
我已經——沒有能去害怕,或恐懼它的餘裕了。
我只是朦朧地 與無限緊密相連,
苦痛或慟哭,又或是哀傷的世界的不幸,
都不過是無處歸去的風的苦痛罷了。
我——已經被緊緊束縛在永恆的存在的邊緣之上。
我的生活的全盛期,超越了空氣、超越了萬象,已是進入水色奧秘迴響之時。

大正2年5月21日夜

31.憂傷守護著我(憂はわたしを護る)

憂はわたしをまもる。
のびやかに此心がをどつてゆくときでも、
また限りない瞑想の朽廢おちいるときでも、
きつと わたしの憂はわたしの弱
身體からだを中庸の微韻のうちに保つ。
ああ お前よ、鳩の毛竝けなみのやうにやさしくふるへる憂よ、
さあ お前の好きな五月がきた。
たんぽぽの實のしろくはじけてとぶ五月がきた。
お前は このひかりのなかに悲しげにゆあみして
世界のすべてを包む戀を探せ。

憂傷守護著我。(*1)
不論是在這顆心悠然跳躍時,
又或是在陷入無盡的冥想的朽廢時,
一定 是我的憂傷讓我虛弱的身軀在中庸的微韻中維持住了。
啊啊 你啊——如鳩鳥的列羽溫柔輕晃的憂傷啊,
看哪 你喜歡的五月已經來了。
蒲公英果實的白色繁盛地飛翔的五月來了。
你 在這光明之中沐浴悲傷
尋找那包裹了世間一切的愛戀。

大正2年5月7日夜/《創作》大正2年8月號(第3卷1號「復活號」)

*1:雖有在推文中提及個人體感是sorrow、sadness,但基於〈孤獨の箱のなかから〉記敘提及「出於本質的憂鬱(わたしの憂鬱は本質的でどうともすることが出來なかつた)」及詩集中其他有關憂字之內容等等,這邊仍要暫時抱持疑問。

32.從河原的沙之中(河原の沙のなかから)

河原の沙のなかから
夕映の花のなかへ むつくりとした圓いものがうかびあがる
それは貝でもない、また魚でもない、
胴からはなれて生きるわたしの首の幻だ。
わたしの首はたいへん年をとつて
ぶらぶららちもない獨りあるきがしたいのだらう。
やさしくそれを(み)とりしてやるものもない。
わたしの首は たうとう風に追はれて、月見草のくさむらへまぎれこんだ。

從河原的沙之中
夕陽輝映的花裡 緩緩浮出一個圓潤的物體。
那既不是貝殼,也不是魚兒,
而是脫離身體活著 我的頭顱的幻影。
我的頭顱 年歲已久之又久
是想要獨自去 無邊無際地漫步了吧。
已經沒有什麼必要溫柔地看護它的臨終了。
我的頭顱 最後被風追逐著,悄悄地消失在月見草叢中。

大正2年8月19日夜/《創作》大正2年10月號(第3卷3號「自選歌號」)
*草稿出提名〈頭顱的容儀〉。後抹消改成現名。


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