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映画『悪は存在しない』

先月観て、何か実態の知れない「不穏」に包まれたまま、一言思ったことをメモに残すだけ残して、感想を書くかは迷っていた。

今、ふとしたことから思い出し、「不穏」の靄も取れたし、書いてみようかなと。

とは言え、何か具体的に感想を書けるわけではないのだけれど、一言だけ書き残したメモは
"悪は「悪」として目に見えるとき安心する"
だった。

この映画の感想で、「映し出す自然の風景が美しい」という声をいくつか聞いたけれど、私は、それらの映像でさえ終始「不穏」を感じていた。
映画の前情報が大きく影響していたとは思うけれど、私にとっては映像と共に流れる音楽が一層そういう感覚にさせた。

けれど同時に、作品に描かれる自然の中での暮らし、共生、地元の方々の声は、まるで冷たい湧水を飲んだ時の様に、私の喉を小さく刺激し身体を潤す様に胸へと静かに沈んだ。

そして「悪は存在しない」というタイトルとラスト。
そこに何を見るかは観客それぞれなのだろう。
私は、悪が「悪」として見えない時、それはある意味で「存在していない」時、それが何より冷んやりと迫る恐怖に思えた。

それが実態のない「不穏」となって、鑑賞後私を包んでいたのかも知れない。

この感覚を作り出し得る「人間」の歪み、或いは真実性、それと知性を想うと、この映画を簡単に消化することはできない。