見出し画像

【小説】青の音#1

あらすじ

「あの世の空はこの世の空よりも美しいと思いますか?」とある少女、百音に投げかけられたその一言が主人公、律の心を大きく揺さぶる。ふたりが抱えていたのは氷となった辛い「生死の記憶」だった。氷が溶け出したとき、彼らの目に映ったのは…。高校生のふたりが彼らなりの「自分の生きる意味」を見つける物語。


第一話

水分を含みすぎた空気は嘘みたいに重かった。
その湿り気は街の色を全てぼかしてしまう。
梅雨の朝は彩度が低い。でも僕はそんな朝が嫌いじゃなかった。

二年目になった電車通学はもうすっかり慣れた。満員電車でも無心でいられるようになった。それどころか、身動き取れないほどに押しつぶされると、かえって安心感を感じるくらいになった。つり革に捕まらなくてもバランスが取れるからだろうか。高校まで約一時間、毎日知らない誰かに挟まれながら、無心で揺られていた。

その日もいつも通り、電車に乗った。普段からもたっとした香りを閉じ込めている満員電車は、梅雨の朝にはいっそうその独特な香りを強める。僕はその匂いが好きだった。

電車の中では、とにかく何もしなかった。スマホも見ない。本も読まない。音楽も聴かない。ただ、景色を眺めているのが好きだった。一見毎日同じ景色だが、よく見ると変化はあるものだ。例えばいつも横断歩道で交通安全の旗を振っているおじいさんが、ひとりからふたりになっていたり、昨日まで工事中だった家のカバーが外れて、綺麗な緑色の屋根に生まれ変わっていたり。窓からの景色はまるで移り変わる絵画のようだ。それも毎日すこしずつ違う。こんなに面白いのに、なぜ皆下ばかり見ているのだろう。僕は心底不思議だった。その日は湿度が高く、全体の彩度はかなり低かった。でもおかげでそのタッチはいつもより優しかった。

ドアが開いた。今日はかなりドアに近いところに立っていた。窓から近いため景色はよく見えるが、ドアが開くたびにいちいち端によらなくてはならないのは面倒だった。そのとき止まった駅は滅多に乗り降りがないから、(僕が乗るときには既に満員で、ほとんどが終点で降りるのだ。)僕は動かずにぼーっと立っていた。すると、ひとりの女子高生が目の前に立っていた。焦った。まさかこの駅で乗ってくるとは。とっさに、すみません、と小声で言って端に避けた。既にかなり人が乗っていた。彼女のスペースを最大限確保するために、僕は壁に体を沈めるくらいに押し付けた。しかし彼女はそこに立ったままだった。彼女が入れるスペースは十分にあった。それでも彼女は乗ろうとしなかった。じっと下をみたまま立っていた。僕は彼女の姿を見て、何も言えなかった。彼女は小刻みに震えていたのだ。発車のアナウンスが鳴った。彼女は一歩後ろに下がった。電車は動き出した。僕は彼女から目が離せなかった。走り出した電車から見えたのは、ホームでひとり座り込む彼女の背中だった。なぜか喉が締め付けられる感覚がした。

電車に降りてからも、学校へ歩くときも、学校についてからも、自分の席に座っても、僕はその座り込んだ彼女が頭から離れなかった。彼女の背中からとてつもない何かを感じたのだ。その彼女の背中は僕にはっきりと「ある事」を思い出させた。そのとてつもない何かとは、ある種の拒絶に近かったのかもしれない。

第二話


この記事が参加している募集

#創作大賞2024

書いてみる

締切:

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?