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【小説】青の音#10

第十話

その絵は姉の絵ではないのではないかと思うくらいに、美しく鮮やかな青色で彩られていた。姉の絵はそのほとんどが、基本的に黒を基調とした背景に、泣いている女の子のキャラクターがひとり、ぽつんと描かれているものだった。その絵が上手いか下手か正直僕には分からなかったし、どうしてこんな不気味な絵を書くのか不思議だった。でも今思い返せば、それが姉の姉なりの心の葛藤の表現だったのかもしれない。僕の目の前にゆっくりと舞い降りたその絵は、そんな姉の絵の中でもひとつ全く画風が異なるものだった。本当に美しい青。ただの青ではなかった。いろんな色が混ざり合ってとても複雑な彩りで描かれた青だった。そんな青が広がる紙の左下になにやら看板のようなものが立っていた。そしてそこには小さな字が書いてあるようだった。そこでようやく僕はその絵を手にとった。そしてそこに書かれている字を見た時、僕は驚きのあまり、ガタガタと震えた。そこにはこう書かれていた。


「この上がほんとうの空だ。間違いない。」


『これだ』僕は直感でそう思った。これだ。見つけた。間違いない。姉が描いたこの絵はきっとどこかの場所を描いている。この空を彼女に見せなくてはいけない。すると絵は風に乗ってゆっくりと裏返った。そこには、

『鈴の音山にて』 神谷花音

と姉の字で書かれていた。鈴の音山。とても懐かしい響きだった。幼いころ家族でよく出かけた隣町の小さな山だった。鈴の音山にこんな場所があっただろうか。僕は全く思い出せなかった。大きくなってからは家族で出かけることはほとんどなくなった。鈴の音山にも、もう十年以上行っていなかった。姉はこの絵を描いたということは、大きくなってからもひとりで足を踏み入れていたのだろうか。ふと気がつくと、姉の声は消えていた。冷たい風も止んでいた。これはきっと姉が僕に伝えたかったことだ。あの日姉が僕に、彼女のことを止めようとしたのは、あの絵の場所に彼女を連れて行って欲しかったからなのかもしれない。そして姉は僕をこの部屋に呼んだ。この絵を見せてくれた。僕が彼女をこの絵の場所に、鈴の音山に、連れて行くのだ。僕はそう確信した。彼女に、この世で一番美しい空を見てもらうために。彼女に、生きてもらうために。

第11話


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