【小説】青の音#5
第5話
そんな出来事を思い出していたら、職員室についていた。礒谷も黙っていたから、きっと僕と同じようにあのときを思い返していたのだろう。職員室に学級文庫を置き、僕たちは教室に戻った。
「俺、あのときお前のこと助けてよかったのかなって思う時ある。」
「え、なんでだよ。お前がいなかったら俺、汚ねえ川に落ちてたよ?臭そうだし最悪だよ。」
礒谷は声を出して笑った。僕はやっと笑った礒谷をみてちょっとほっとした。
「もう死にたいとか思わないよな?」
「お前がNBA出るまでは生きてやるよ。」
礒谷はさっきより大きな声で笑った。
「じゃあ俺がNBAでダンク決めるまでは生きろよ。」
「おう。」
「よし。じゃあ練習行ってくるわ。」
礒谷はいかにもバスケ選手の走り方で(左右に大きく揺れる走り方だ)体育館に向かった。僕は教室に一人取り残された。
僕は生きている。礒谷のおかげで生きている。僕は幸せだ。でもたまに『あの声』が蘇る。するとたまらなく消えたくなってしまう。その衝動を抑えられるのは礒谷の悲しむ顔が真っ先に浮かぶからだ。礒谷はあの時もそしてこの瞬間も僕の命を救っていた。窓から夕日が差し込んだ。窓ガラスを通り抜けたその優しい温かみを持つ光は、僕の首をじわじわと温めた。すると頭も暖かくなった。その温かさはゆっくりと下がって全身を巡った。目から涙が落ちた。僕は少し泣いた。
その日の帰り道のことだ。僕は数ヶ月ぶりにあの少女に遭遇した。今度は駅のホームではなかった。なんと家の近くの海に、彼女はいたのだ。彼女は僕と反対方向へ歩いていた。歩く早さが異常に遅かった。彼女の周りだけ時間がとてつもなく遅れているみたいだった。彼女はただ前を見ていた。いや眺めていた。何かに焦点を当てている目ではなかった。何かを見ているようで何も見ていなかった。制服姿だった。学校帰りだろうか。電車に乗れたのだろうか。僕はここ数ヶ月頭の片隅に必ずあった彼女の存在が、今、目の前にあるという状況に、戸惑った。
第六話
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