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【小説】青の音#6
第六話
彼女がこちらへ来る。僕は彼女をじっと見つめていたと思う。本当にじっと。普通なら睨み返されるほどに見つめていたと思う。でも彼女は僕のことをちらりとも見なかった。僕の存在が見えていないようだった。本当に何も見ていなかったのだ。
彼女とすれ違った。
その瞬間、風が変わった。
恐ろしく冷たい風がすれ違った彼女の背後から吹き込んだ。
僕は思わず振り返った。振り返った瞬間、それは風に乗って僕の耳に鋭く突き刺さった。
『たすけて。』
耳に突き刺さったその声は頭に重く響いた。聞き覚えのある声だ。僕がずっとずっと聞きたかった声だ。それは姉の声だった。体を動かせなかった。時が止まったかのようだった。その声は全身に深く浸透していった。ゆっくりと自分から離れていく彼女の背中が、姉と重なった。その瞬間、姉が消えてしまったあの日のことが鮮明に、走馬灯のような速さで、僕の脳を駆け巡った。姉を助けられなかった後悔。怒り。絶望。もう二度と感じたくない苦しい感情が、ダムが決壊したかのように、勢いよく僕を侵食した。
『まって。』
今度は自分の内側から声が沸き上がってきた。でも音にならない。声がでない。
『まって。』
息が吸えない。吐けない。
『まって。』
早く彼女を止めなくてはいけない。姉がそう言っている。「たすけて」と言っている。僕は彼女を、姉を助けなくてはいけない。
「・・・って。」
僕はあるだけの力を喉に込めた。
「まって!」
彼女の足が止まった。それと同時に彼女の肩が素早く上下した。しかしこちらを振り返らない。
「あの!まって・・ください!」
声が裏返った。今思えば僕は完全に不審者だ。見知らぬ女子高生に突然話しかける男子校生。映画なら運命の出会いのような描かれ方をされそうだが、実際はかなり不審者だ。そもそも運命の出会いなんてそんな生温いものじゃなかった。彼女の命がかかっていた。彼女を止めなくてはならなかった。確証はどこにもなかった。でもそれは僕の中で揺るがない直感だった。僕の中の真実だった。
「その・・・ちょっとだけ待ってみませんか。」
そう言ったとき彼女はゆっくり、ほんとにゆっくりこちらを振り向いた。
振り向きざまの彼女の姿は今でも脳裏にしっかり焼き付いている。彼女の目が彼女の全てを物語っていた。輝きなんてとうに捨てられていた。深く引きずり下ろされそうな闇をその黒目にしっかりと焼き付けていた。僕の目をじっと見た。僕は心臓をえぐられる感覚を覚えた。その目は僕の記憶の中にある、最後の姉の目とそっくりだった。よく見ると顔は全く違う。当たり前だ。他人なのだから。でも確かにその目は姉の目だった。どこまでも引きずり込まれそうな闇を纏った黒い瞳に僕は完全に支配されたようだった。そのときはっとした。彼女を初めて見たときに覚えたあの感覚。彼女の背中から感じたあの恐ろしさ。喉が締め付けられる感覚。ほとんど拒絶に近かったあの感覚。ようやく分かった。僕は彼女と姉を重ねていたのだ。
第七話
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