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【小説】青の音#2

第二話

「おはよ。」

 礒谷翔はいつもとなんら変わりない調子で僕の背中を叩いた。礒谷は僕の唯一の(といっていいほどに貴重な)友達だ。僕と話しているところを見て驚かれるくらいに爽やかで明るく、皆から慕われていた。しかもバスケ部キャプテン、定期考査はつねにトップ10入りの、少女漫画に出てくるような青年だった。一方僕は、礒谷以外の生徒とはほとんど口を聞かないような寡黙で暗い青年だった。他のクラスメイトから話しかけられることはまずなかった。だから嫌味を言われたり、からかわれたりすることも一切なかった。(僕みたいな生徒は大抵ジャイアンみたいな「強いヤツ」にいじめられると思われがちだ。)そんなことすらされないくらいに、皆の視界に入っていなかったのだろう。空気のように存在していたし、僕自身それがとても心地よかった。ひとりが好きだった。そんな透明人間のような僕に礒谷が急に話しかけてきたのは、高校二年になったばかりの頃だった。初めて話しかけられたときは、バスケ部キャプテンが帰宅部になんの用だ、と思った。絶対からかっているだけだと思った。からかうくらいに僕の存在を感じているなんて、と関心すらしていた。

「神谷・・・律だよね?一組だよね?次の授業体育だよね?グラウンド一緒にいかね?」

 初対面の学年一の人気者に、怒涛の質問四連続をくらった僕は、二秒固まった。その二秒間で必死に回答を用意した。正直、グラウンドまで靴を履いて外にでるだけだ。誰かと一緒に行く必要など微塵もないと思った。でも僕は今、あの礒谷に話しかけられているのだ。拒否権などない。ならば一番、彼の印象に残らないような振る舞いをすべきだと、その二秒で結論づけた。(人間の脳ってすごい)

「うん。いいよ。」

 おそらく一番自然で一番言葉数が少ないパターンを選んだ。しかしこの僕の一言から、礒谷はその何倍もの言葉を返してきた。無論僕は最低限の受け答えしかしないから、それはほとんど一人語りだったが、礒谷はそれを全く気にしていないようだった。「二年の体育の担当は誰か」「最初の種目は何か」「今日は暑い」「腹減った」・・・。もう思い出せないが、かなりの勢いで話をされた記憶がある。この「靴を履いて外にでるだけ」の僅かな時間で、礒谷は何文字分話したのだろうか。それが礒谷に対する最初の感想であったのは鮮烈に覚えている。それでも不快感はなかった。礒谷はあくまで一人語りをしていたからだ。僕はただ適当に相槌を打っていればよかった。不思議だった。その数分間、僕は高校に入って初めて、誰かと話をしていて苦痛じゃなかった。自分と正反対の人気者に話しかけられたという恐怖は最初の数秒で消えた。そして礒谷はその日から毎日、頻繁に(かなりしつこく)僕に話しかけてくるようになった。初めこそ驚いたし、一人にさせてくれ、とも思ったが、そんな感情はすぐになくなった。礒谷は僕と程よい距離感を保ってくれていた。つまりとても居心地がよかった。

 あの日からしばらく、あの少女を見ることはなかった。少女がいた駅で電車が止まるたびに動悸がした。僕は少女に遭遇したくなかった。また少女を見ることをとても恐れていた。なぜそれほどまでに少女を拒絶していたのか。きっとその頃の僕は分かっていなかった。それが単なる拒絶ではなかったことが分かったのは、それから数ヶ月経った頃だった。

第三話

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