ハタチ、憂鬱なエンドロール。
わたし、ひとりぼっちなんだ。
月並みだけれど、そんなことを考える日がある。それはどうしようもない悲しみと、焦りと、まれに怒りをともなって。
わたしは、不幸だ。と思う。そもそも、人は何をもってして幸せだの、不幸だのというのだろう。親がいないとか、友だちや恋人がいないとかっていうのは、結局、要因でしかないのかもしれない。人が外側から好き勝手に決めて良いものではないのだ。本来。
わたしには、友だちがいる。挨拶を適当に交わすくらいの子も友だちと呼んでいいのなら、かなりの数、いる。親しく話す人だけをそう呼ぶとしても、たくさんの名前と顔が思い浮かぶ。
わたしには親がいる。適度に放任主義の父親と適度に心配性の母親。反抗期もそれなりにあって、でも壁に穴を開けたことなどはない。彼女と違って。
わたしには、恋人もいる。彼女とは、もう八年くらいの付き合いになる。中学一年の時に出会って、彼女がわたしに片思いをしていたのが高校二年の時まで。それからは両想いだった。
わたしはきれいなお姉さんタイプ(しかも巨乳であるならその方が尚よし)が好きだったのに、彼女は正反対の、ボーイッシュな女の子だった。あまりスカートをはかないし、言葉遣いも乱暴なところがある。それでもつきあってるのは、彼女の執念に負けたから、っていうのは少なからず、ある。
「あ、今日はネガティブバージョンだ」
彼女は大学生になってから、髪を伸ばした。今では胸のあたりまで伸びたそれを、わたしはひどく気に入っている。
そう、今日のわたしは少しおかしい。色々と考えすぎる。
彼女はわたしより七センチくらい背が高いけれど、今日は厚底サンダルを履いているから、見上げなくても目を見つめられる。わたしはこういうのが、好きなんだ。
「ううーん」
わたしがうなると、彼女は声を出さずに笑った。その顔がなんだかすごくきれいで、わたしは強烈な嫉妬にかられる。うらやましい。うらやましい。
彼女が手をつなごうとわたしの手に自分の手を伸ばす。わたしはそれを拒まない。どんなに不幸でも、そのことに何の意味がなくても、それが永遠じゃないと知っていても、わたしは拒まない。
前から彼女が見たいと言っていた映画を見るために、駅からは少し離れた場所にある映画館に向かう。チケットを発券する時、わたしはちょうど千五百円を持っていなかったので、彼女に二千円渡して、五百円受け取る。こういうのも、好きだ。
映画行くってわかってんだから、ちゃんとそろえて来なよ、と彼女は笑いながら言う。いつも。わたしはそれを黙って聞いている。そういうのが、好きだから。
わたしには好きなことがたくさんある。好きな人もいる。やりたいことがたくさんある。やりたくないこともあるけど。死のうなんて思ったりしない。
わたしの憂鬱は偽物かしら。そんなことを思う。明日になったらけろっとして、隣で眠る彼女を「つまんない」って言って叩き起こして、一緒に朝ごはんを食べる。大学に行って、ほとんど授業なんて聞かないでスマートホンでゲームをする。友だちとお昼ご飯を食べる。たまには実家に帰んなきゃ、って、お母さんの好きな店のケーキを買って家に帰る。
そんな毎日の繰り返しが、ゆっくりと、丁寧に、わたしを蝕んでいく。そんな一日があるのだ。
「寝てんじゃねーよ」
やめなよ、その男の子みたいな口調。そう言おうとした瞬間に劇場が暗くなったので、私は口をつぐんだ。
さあ、涙は我慢しよう。ラストシーンまで。
わたしは泣くのだ、誰にも知られず。きっとこの世界で生きている誰もがそうするように。
わたしは、幸せなのだから。
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