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まほうにかかった夜【羊文学】

音楽は魔法みたいなところがある。

音楽を聴いて感動するし、ハッとする。

自分の気持ちを代弁してくれる時もある。
本当に魔法みたいな存在だ。


そんな魔法みたいな音楽を浴びに、
12月11日、ビルボード大阪で行われた羊文学の【まほうがつかえる 2021】に行ってきた。


人生初のビルボードライブ。

ライブハウスとは違う、ホテルの受付のような受付カウンターで入場前の確認を済ませ、会場に入る。
会場に入ると何人ものウエイターさんが目に入る。
いつもの動きやすい軽装で来てしまった私はなんだか場違いのように感じてしまい思わず縮こまってしまう。
周りをキョロキョロするのも恥ずかしく、近くにいたウエイターさんに座席の案内をしてもらった。(聞いた所から5歩ほどのところだったので、確認しなくてすみません…という気持ちで席に着いたのはここだけの話。)

ライブを楽しみに来たはずなのに、会場自体にソワソワしてるなんて、なんて笑い話だ!!と思い、とりあえず平然を装って席に座ることにした。

席に着いて置かれているメニューに目を通す。
(飲食しながらのライブ!?あ、そっかここビルボードか…!!)という1人ツッコミを心の中でするくらいには動揺していた。笑
軽く深呼吸して、改めてメニューを見る。
目を惹かれたのは、羊文学オリジナルカクテル"まほう"
じっと見つめていると、ウエイターさんがドリンク注文に来てくれた。
が、全然他のメニューを見ておらず、注文を決めてなかった私はとっさに目の前のメニューを指差し"まほう"を注文した。

オリジナルカクテル"まほう"には、レモンジュースのスポイトがついており、それを入れることでカクテルの色が変化する、というまさしく"まほう"のような飲み物だった。

私はアルコール入りの方を頼んだので、ブルーの綺麗なカクテルが目の前に運ばれた。
スポイトを摘み、ブルーの液体がパープルへと変わっていくのを見届け、"まほう"を口に含んだ。
(そういえば私、ジン苦手だったな……)
と今更ながら気づく。
久々のアルコールにキツさを感じながら、開演の時間を待つ。



羊文学は今年ツアーがあったが、先行、一般共にチケット落選し、このビルボードライブが私にとっての今年初の羊文学だった。
フジロック含め配信ライブでは何度か見てきたが、実際にライブを見るのはいつぶりだろう、とカレンダーを振り返ると、2019年夏の『きらめき』リリース後のツアー以来で、思った以上にお久しぶりのライブなことに驚いた。

今でもあの時のライブで見た光景は鮮明に思い出せる。
それほど色褪せないライブとして、私の中で残っている。

(かなり拙い文章ではありますが、よければその時のレポも是非。)


そんな懐かしい記憶に想いを馳せていると、会場のライトが落ち、ステージ脇からいそいそと3人が現れた。


SEなしの登場に、少し驚きながら、1曲目何から始まるのだろう、というワクワク感に包まれる
少しの静寂の後に鳴り響いた1曲目は、3人のセッション
今まで何度か羊文学のライブに行ったことはあるが、セッションを聞いたのは初めてかもしれない。
3人のセッション姿に新鮮さを感じつつ、ギター・ベース・ドラムの音に心躍りながら、ライブはそのまま『ロマンス』へと続いていく。


19年夏のツアーでも演奏された『ロマンス』
「いつだって女の子は無敵だよ」と可愛らしい歌詞と、Cメロの弾き狂うようなギターノイズ。
このアンバランスさにやっぱり魅了されてしまう。

そのまま『Step』へと曲は続く。
初の全国流通盤EP【トンネルを抜けたら】でこの曲と出会い、そのEPから羊文学を追うようになった。
憂いや儚さを感じる曲。でもこの曲もCメロのギターノイズでハッとさせられる。
初めて聞いたあの時と変わらぬ衝撃とワクワク感を今日もまた味わうこととなった。


2年ぶりに見たステージに照らされる3人の姿に、私は一気にまほうがかかったみたいに釘付けになった。
そして舌が慣れたのか、それともアルコールにやられて脳みそが正常に反応しなくなったのか、まほうのカクテルをどんどん喉に流し込む。
私はアルコールですぐ顔が赤く、熱くなってしまうタイプなのだが、その日はその熱すら心地よく感じた。


『ソーダ水』、『砂漠の君へ』と続いた後、アコースティック編成での演奏へと移り変わる。
実は会場入りした時からずっと気になっていたアコースティックベース。
ベースもアコースティックベースに変えるのかー!と驚いた。
というか、ユリカちゃんがメインベース以外を使うところ初めて見たかもしれない。(なにせ記憶が2年前で止まっているので、この2年でそんな変化が…という驚きと発見の瞬間だった。笑)

そしてもう1つ。
ドラムのフクダヒロアくんによるグッズ紹介、という驚きがあった。笑
いつもはユリカちゃんのふわふわ〜っとしたグッズ紹介だったので、的確な説明をするヒロアくんのグッズ紹介は新鮮味があった。
MCでもヒロアくんが話すところをあまり見たことがなかったので、2人を差し置いて話すところ自体珍しいかもしれない…。
「もうこれからはグッズ紹介任せようかな〜」と笑いながら語るモエカちゃんとユリカちゃんの様子にこちらも思わず笑顔になる。


「実は今回のライブは、クリスマスライブなんです。知ってましたか?」
というモエカちゃんのMCで、クリスマスライブなことを知る。笑
「前にも「まほうがつかえる」という名前で企画をしてーーー」
という発言で、1999のカセットテープが発売された、企画ライブのことを思い出す。
そういえばあの時はまだ学生で、東京まで遠征ができずに、泣く泣く諦めたんだったなぁ、、と思い起こしながら、あのライブ企画の延長線上のライブなのか…!とまたも新たな発見(発覚)。

そして、”クリスマスライブ"ということで、アコースティック編成で、今月配信されたクリスマスな曲、『1999-English ver』が演奏される。
音圧が少なくなるアコギ編成だが、やはりこの曲にはアコースティックが抜群に合う。
楽器の音がシンプルになったことで、よりモエカちゃんの歌が引き立つ。
歌のコーラス部分の神聖さも、より迫力が増す。


「次は海外のことわざから作った曲を演奏します」
というモエカさんのMCから『ミルク』が演奏される。
この曲は【きらめき】の中でも特に好きな曲で、シンプルな音構成ながら、なんとも違和感のあるどこか不安定さを感じるメロディで、後を引くいい違和感のある曲だ。(半音階で少し耳馴染みが悪い音階のメロディで、それが逆に頭にこびりつく。)
それにしてもこの曲が、海外のことわざから連想して作られた曲、ということに驚いた。
あとで調べると、「こぼれたミルクを嘆いても仕方がない」ということわざで、日本でいうと「覆水盆に返らず」と同義らしい。
調べたあとで、そういえばそんな意味が含まれているって、インタビューか何かで読んだなぁ、、と2年前の記憶がじわじわと滲んできた。
もともと記憶力に自信はないものの、初めて知ったような反応をしてしまうほど覚えていないとは……。
なんとも記憶は曖昧なものである。

アコースティック編成最後の曲は、
ジョンレノンの『Happy Xmas』のカバー。
このカバーがとっても良かった。
1999のEnglish verがリリースされた時にも思ったが、モエカちゃんの英語詞はすごく聞きやすくって、原曲の良さを残したまま自分のものとして歌い上げる様は見事だった。


アコースティックでの演奏が終わり、『優しさについて』が続く。
私の2年前の記憶を呼び起こすかの如く、今回のセットリストでは【きらめき】からの選曲が多くあった。私はこのビルボードで、2年前のステージで体験した音楽を、図らずとも追体験をすることになったのだ。
目の前で見る羊文学は2年前に見たあの時となんら変わっていなかった。
ステージ上でモエカちゃんはニコニコと本当に楽しそうにギターを弾いて、ベースのユリカちゃんと時々向かい合いながら、全身で全力で”楽しい"を表現しているようだった。
(ビルボードだからなのか、流石にステージ上で横になってギターを弾き鳴らすモエカちゃんの姿はなかったけど。)
私がライブで見ない間も、羊文学は私の知るままの羊文学であることに、どこか安心し、それと同時に嬉しい気持ちで溢れた。


初めて生で聞いた『マヨイガ』は、音源で聴くよりも心踊る曲だった。
優しく語りかけるようなAメロ・Bメロから、サビにかけての盛り上がり。
ライブが終盤に差し掛かっていることもあったからなのか、

「ここから終わりへと紡いでいくよ」と、優しく囁かれているかのような感覚になり、静かなワクワクが心の中でむくむくと膨らんでいくようだった。
そして『あの街に風吹けば』『あいまいでいいよ』と、思わず身体を揺らして羊文学の音楽に浸ってしまうような穏やかで優しい曲たちが続いた。



本編最後は、やはりクリスマスにふさわしい『1999』で締めくくられる。
今回のライブで特に印象深かったのもこの曲だ。
ステージにポツリポツリと置かれている、ゆらゆらと揺れる間接照明のようなものがステージをわずかに照らしていたのだが、この照明がゆらゆらと揺れ、暗がりの中キャンドルの灯りを見ているような感覚に陥った。
まさに『1999』のMV・世界観を彷彿とさせるかのような演出だった。
ライブの最後の曲であることや、私が感じたビルボードという会場の格式の高さからも、よりこの曲の荘厳さを感じた。
『1999』を目の前で聞いている、というよりは、
気づいたら『1999』の世界へと足を踏み入れていた、というような感覚だ。

これは確かに、"クリスマスライブ"だな、と、
曲という”まほう"で会場を包み込んだ目の前の羊文学に賞賛の拍手を送る。



暫くの拍手の後、
再びステージへと登場した3人。
「羊文学として、今年最後のライブで、正真正銘今年最後の曲ですよ〜」
というMCで、これから演奏される曲がより特別感のある物へと変わる。

そして、「すごく私たち(羊文学)らしいと思う曲を最後に演奏します!」というモエカさんのMCで演奏された羊文学らしい曲『夜を越えて』


憂いと儚さのあるロングトーン。
曲間のギターノイズ。
安定性のあるメロディを奏でるベースとドラム。
羊文学の楽曲は、切なさ、というよりもどこか秘めたる”キラキラ"が曲の中に散らばっている、そんな印象を感じていた。
特に、この曲には、そのキラキラがたくさん垣間見えた。
儚い憂いの中にある期待やワクワク感。
羊文学が創りあげる世界にはそんな宝物みたいなものがたくさんあるんじゃないかと思った。

このキラキラ。そしてワクワク感。
まさに羊文学らしい曲だな、と感じた。
そう思うと同時に、
このキラキラはなんだかクリスマスの夜、サンタを待ち眠る幼い子供の夢に近いのかもな、とも思った。
本編最後の『1999』、そしてこのビルボードという会場が見せた幻影かもしれない。


間違いなく、今日はクリスマスライブだ。
そして、間違いなく、羊文学はこの会場にまほうをばら撒いたのだ。


たくさんの拍手で会場を包んだ後、ふとテーブルのグラスを見る。
淡いパープルカラーに変わった”まほう"はライブが終わる頃に水の味だけの透明な液体と化していた。
気づかぬうちにまほうは溶けてしまったようだ。
アルコールでわずかに火照った頰をマスクで隠したまま、私はまほうが溶けたビルボードを後にした。



やっぱり音楽は魔法だ。
いろんな景色を見せてくれるし、いろんな想いや幻想を抱かせてくれる。
来年も羊文学の”まほう”を目の前で体験したいなぁ、そんな思いを抱きながら、
今日も明日も、私は再生ボタン1つで簡単に魔法にかかる。




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羊文学を観るたび、初めて羊文学のライブを観たときのことを思い出します。

【トンネルを抜けたら】のリリースツーマンツアー。
東京公演はソールドアウトにも関わらず、大阪公演ではお客さんはポツリポツリと数える程しかいませんでした。
その日、私は岡山から高速バスでライブのために大阪に向かいましたが、大阪でのお客さんの少なさに驚きました。
そんなバンドが、数年後にロッキンに出て、全公演ソールドアウトになるくらいたくさんの人から愛されるバンドになるなんて。
チケットが取れないことは悔しいけど、、それだけ多くの人に愛されているという事実に、なんだか私までも嬉しくなります。
たくさんの愛すべきバンドの音楽の続きが見れなくなった姿も知っているからこそ、やっぱりバンドって存在自体が奇跡みたいなものだと感じるし、大きなステージで演奏する彼女たちを見ると本当に夢の具現化みたいな存在だな、と改めて感じます。

だからこそ、こんなにも音楽に魅了されてしまうんだろうなぁ…。



きいろ。


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