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ユウキツクバ と マイゾウキン

 郷土は結城市という茨城県西の紬の産地である。この町から見える筑波山は、その美しいシルエットから「結城筑波」と呼ばれており、優美でのどかな田園風景を望む事ができる。

 一方で、武家の歴史も色濃く残り、古い城下町の一面も併せ持つ。
 平安時代末期にあたる1181年、源頼朝の家臣であった結城朝光(ゆうきともみつ)が恩賞として下総結城(しもうさゆうき)の土地を与えらて、この地を統轄する結城氏が誕生した。朝光は、奥州討伐で莫大な藤原氏の黄金を手にしたという逸話もあり、天守閣は無いが築城もしている。但し江戸初期まで400年余り続いた結城氏の栄華も17代結城晴朝(ゆうきはるとも)で終わりを告げる。
 現在は、街の外れにひっそりと城跡公園が残るばかりである。

 しかし、この静かな町には、知る人ぞ知る埋蔵金伝説が存在する。

 末代結城晴朝は、刀剣好きの間では有名な日本三名槍の一つ“御手杵の槍(おてぎねのやり)”を作らせた人物としても知られているが、結城氏滅亡の危機に際し、先祖代々受け継いだ藤原氏の黄金を一族再興の為に隠した人物である、との言い伝えがある。
 この話の信憑性は不確かだが、時の将軍家康や8代吉宗が血眼になって探させたばかりでなく、金塊発見の瓦版が発行されたという史記まで残っている。“江戸時代ゴールドラッシュ”は、庶民の間でも大いに盛り上がりを見せていたようである。 
 また、この伝説を更に神秘的にしているのが、初代朝光の守り本尊となっている金光寺(きんこうじ)である。この寺の山門には埋蔵金の有りかを示すと言われている3首の和歌が彫られており、未だ解読されていない。

 結城埋蔵金伝説は人々のロマンを掻き立てる。財宝の有無ではなく、400年以上も語り継がれてきた物語そのものに価値があるのかもしれない。

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