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ダラダラと求職中の主婦が漫画原作のテレビドラマについて私見を述べてみる

ツイッター(X)で、とある漫画家の訃報を目にした。自ら命を絶ったとのことだ。

テレビドラマの原作となった漫画の作者が、ドラマ制作側であるテレビ局の対応(脚本やキャラ設定など)に疑問を抱いたことから諸々のトラブルに発展。思い詰めたらしい原作者は前日から行方不明となっていたが、その後、遺体がダムで発見されたという。

地上波テレビと疎遠になってからそろそろ14年くらいになる私は、そのドラマ自体を知らず、原作も知らなかった。ただ「セクシー田中さん」のポスターは電車などで目にしたことがあるのか、あちこちで散見される画像を見て「あ、これか」と認識した。

さぞ個性的なストーリーなのだろうという印象で、なんとなく漫画原作っぽいイメージも同時に抱いていた。

この感覚、他の人にもあるのではないだろうか。

ドラマの番宣ポスターを見た時に「面白いんだろうけど、このキャラクターなんか無理してるんじゃないか?」的なやつ。ドラマ用に一から書かれた脚本の場合、この手の違和感はない。

衣装から髪型から仕草から、無理してやってるな?とわかってしまう感じのやつ。そもそもタイトルからして漫画原作っぽい雰囲気なのであるが。

今回の訃報について、もちろん今後は同じことがないようにと願うし、原作者の方は無念であったろうと感じる。テレビ局側に対しても憤りや怒りのような感情もある。

が、私の中にふつふつと込み上げたものが別にあり、今回はそのあたりを書いてく。


漫画原作のドラマを見たくない個人的な理由

本当に私個人の気持ちを書いていくので色々と申し訳ないかもしれない。

その原作に思い入れがあるかどうかは余り関係なかったりする。その理由もおいおい書いていくので興味があれば最後までお付き合い頂きたい。

自分のイメージとは別の要素を押し付けられるように感じる

あくまでも「ように感じる」だけで、誰も押しつけようとはしていない。わかっているんだが、受け付けないのだ。これは別に私だけではないだろう。

言うまでもなく、それなりに思い入れがある作品の場合が多く、例として「動物のお医者さん(佐々木倫子)」を挙げてみよう。

1987年に連載開始、ドラマ化は2003年とのこと。

「ちびまる子ちゃん」のアニメ化すら、最初は恐る恐る観ていたものだが、こちらに関しては心配なく、原作もアニメも大好きである。

ドラマ「動物のお医者さん」のキャストは豪華だった。菱沼さんも漆原教授も有名な俳優さんだし、選ぶならこうなるだろうなと納得できる。チョビがどうなっていたのか知らないが、おそらくタレント犬なのだろう。

キャストが誰だったとしても、自分が漫画を読んでいた時のイメージを100%担保してくれることなどある訳が無いので、ショックを受けるくらいなら最初から観ないほうがいい。子供っぽくて恐縮だが、イメージを壊されるのが怖いというやつだ。

とりわけ怖いのが主人公のハムテルと菱沼さんだった。この二人は周りと比べてボーッとしているのが特徴で、その「ボーッと」感が、私のイメージと違う=作品全体のイメージが大幅に変わる危険性があるため、チラ見すらできぬまま20年が過ぎてしまった。

会話やカメラ割、場面展開などのテンポがテレビ化してしまう

ドラマ化するとテンポが微妙になる。

NHKの朝ドラに代表される独特な台詞回し。あれはいつ頃に発生し定着したのだろう?と、普通に気になっている。

私が何を言いたいのか?は↓の動画がわかりやすい(多分)。

これは面白いからいい。笑
※舞台なため朝ドラにも増してテンポが遅いが参考まで

ドラマ「動物のお医者さん」が↑レベルのテンポになると思っている訳じゃないが、テレビドラマのパターンとして会話と会話の間に妙な「…」が生まれ、自分のイメージとズレてしまうのだ。

視聴者が聞き逃さないよう、あえてゆっくり話すセオリーがあるのかもしれない。漫画なら読み返せば済むので個人のスピードで構わないし、流し読みでもストーリーは理解できる。

だからドラマの場合は仕方ない。
わかりつつ、観るのが怖い。嫌だ。

落語や漫才、コントなど、お笑いは特にテンポが大事だ。
「動物のお医者さん」=「お笑い」ではないが、どちらかというとコメディだと私は思っている。

同時に、できるだけ日常に近いテンポで会話をして欲しいと言うのは私のわがままで、ドラマではなかなか難しいことも承知している。

思い入れが強いからこそ、そういう個人的なわがままが増えていく。怪しいものは最初から観ないに限るのだ。

漫画とドラマは別物

原作漫画のファンからして、ドラマ化に最初から期待などしていない。

テレビ側がドラマをやろうとする目的について深く知らないが、何よりスポンサーに説明しやすいストーリー展開が求められるだろうし、作品そのものが万民受けしやすいものでなければ視聴率を獲得できず、コスパにも見合わず、誰も得をしないというやつだろう。

話題性、キャッチーで今までになかった切り口の設定とタイトル…などなど、すでに出来上がっているパッケージを使って、中身は都合のいい形へと改変する。

かーらーの、脚本なのだから目的が変わっているし、羊の皮を被ったオオカミというか、蓋を開ければまったくの別物だったとて不思議はない。

それにしても、漫画をアニメ化したり、さらに実写化するにあたっての現場経験者は少なくなかろうに、どうして今回のような結果になったのだろう。

やはり、皆が口々にいう「作品への愛情」ということだろうか。

ただ金の成る木としか思ってない可能性は十分にあるのだが、業界の方々には、原作漫画を「使わせていただく」的な視点が不足している。

さほどリスペクトがないなら、大幅な改変を前提にした上で真摯な気持ちで原作者に依頼すべきだし、条件が付けられたなら、どのくらいドラマ側が折れることができるのかを慎重に検討すべきだ。

何より、同じパターンを繰り返すテレビ側の神経が理解できない。どんな仕事でも「同じ失敗をしない」「一度指摘されたら次から改善する」などは当然であるし、人と人とのコミュニケーションを欠いてはよい作品など作れないと思う。

まあ、テレビ局に対して謙虚になれというのは亀にウサギを追い抜けレベルで無理な注文であろう。ここまで書いてバカバカしくなった。笑

ファンがファンでなくなる瞬間

泣き寝入りと言う言葉がある。
言いたいことを言えないこんな世の中でポイズン飲むこともできず枕を涙で濡らす的なやつだ。

今回の件は、そもそもテレビ局の配慮の無さが大きい。
とはいうものの、原作者が命を絶つという結果になった要因として、SNSはじめネットにおける「言葉のやりとり」が挙げられる。

ドラマの脚本家がインスタで述べたとされる内容を要約すると、
「終盤の脚本は原作者が書いたのであって私ではないが、今回のような流れは初めてのことで困惑している」という感じ。

これに対し、原作者もひとこと述べたくなったのだろう。
長くなるので控えておくが、まとめると、
「原作に忠実にして欲しい等の希望が受け入れられなかったため不慣れながら終盤2本分は自ら脚本を書いた」等の説明をしていた。

双方の投稿はすでに削除されている。

どっちがどうという意見を言うつもりはない。
良し悪しではなく、このやり取りが災いを生んだことは確かだ。

自分がその投稿をした結果、世間がどう動くかという点には配慮が必要だろう。これは今回だけでなく、誰にも、どのような場合にも当てはまる。

何も反論するなと言いたいわけでもない。本人のことは本人にしかわからない。そして、どちらかを非難するにも、双方のことは本人達にしかわからないのだ。

自分の意見をすべて削除して命を絶った。

今の私の感覚に照らすなら、
「こんな騒ぎにするつもりはなかった、消えて無くなりたい」である。

「私に非はないが、もう疲れた」との主張をもって死ぬならブログは残しておくだろう。

うっかり騒ぎになってしまったことを嘆くなら「もう放っておいてくれ」と自分の存在にかかわる全て+投稿の削除とともに命を絶つだろう。

つまり、ファンや関係者を含めたすべてから解放されたいという願いだ。

理解してくれなかったテレビ局だけでなく、そのテレビ局や脚本家に対して非難を浴びせるファンや一般人を含めて嫌気がさしたのかもしれない。あくまで私個人の感覚であるが。

正義を振りかざす顔も名前も知らない無関係な人々ほど、厄介なものはない。

テレビ局は、専用のお抱え漫画家を選出し、その作家からのみ提供してもらうシステムにしたらどうだろうか。

大幅に改変されても報酬が大きいなら使ってもいいという作家とメディアをマッチングする業者が仲介してもいい。

私がテレビドラマを観ることはないだろうが、再発防止のためにできることは山ほどある。一般の人は冷静になるのが一番ではないだろうか。

素晴らしいクリエーターを、本当の意味で守れるファンでありたい。
そしてテレビは、やっぱり、いらない。

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