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シネマセラピー5 取り返しのつかない傷を抱えるあなたに

シネマセラピー
映画をひとつ、心の小さな処方箋に

(ネタバレ注意)
 

2016年映画 『マンチェスター・バイ・ザ・シー』

 

​マット・デイモンがプロデューサー、ケイシー・アフレックが主演を務め、数々の映画賞を席巻したヒューマンドラマの傑作です。

ボストン郊外で暮らす便利屋のリー。
兄が亡くなったのを機に帰郷し、そこで16歳の甥パトリックの世話をしつつ、自身が抱える過去と少しずつ向き合う姿が描かれます。

人間の喪失感とその後の人生の歩み方が、たくさんのメタファーによって表されている作品になっていて、アカデミー賞の脚本賞を受賞しています。(ケイシー・アフレックは主演男優賞)

自分の過失により、子どもを失った父親リー役のアフレックがとてもいいです。

過去のトラウマをどう乗り越えて生きようとするのか、という視点で観客は映画の中を進んでいきます。

過去と現在のシーンが入り乱れ、これは誰だろう?これはいつのことだろう?と、少し混乱しつつ進むのですが、それがそのままそっくり、リーの混乱を表しているのでしょう。
時がたっても、過去がまるで現在に流れ込んでくるように常にリアルに存在しているのです。

兄の死によって、甥のパトリックとしばらく暮らすことになったリーは、父親を失って孤独になったパトリックの喪失感を目の当たりにします。

死の実感がわかずに、いつもの日常をいつもの通りに過ごそうとしたり、突然おそってくるパニック発作に対処してみたり。
自分と同じく、近い存在を失うことでの戸惑いに向き合うことになります。

ここから2人が立ち直っていけば、安易な物語なのかもしれません。少しずつ、何か違うぞ、という感じに包まれます。
一人の男の再生物語を見ていたつもりが、どうもそうではないことに気づくから。

リーのセリフに「乗り越えられないよ、辛いんだ」というものがあります。

実際、心に抱えてしまったものは簡単には手放せません。
忘れればいいのか。
逃げればいいのか。
諦めればいいのか。
それもかなわないまま、人生はどんどん時間を進めていくのです。

この映画のコピーは、「癒えない傷も、忘れられない痛みも、その心ごと生きていく」というもの。

乗り越えられず、すべての思いを捨てられず、でもそのすべてを抱えて生きていくということがどういうことなのか。

特にリーは自分のせいで子どもを失ったと思うことで、自分を責めて生きています。

その様子は、何の生きる意味も、生きがいも、気力もないものです。

リーが欲しいのは過去に対する救いではなく、罰だから。
いったんは銃で死のうとしますが止められ、その後は生きることこそが罪のつぐないのようで、無気力で不愛想に生きていくしか選ぶ道がないように思っています。
心を閉じているからです。

元妻のランディと偶然に道で出会ったシーンが映画のポスターになっています。

リーとパトリックの物語でありながら、映画の象徴が妻になっていることは、またひとつのメタファーでしょう。

「子どもを亡くした親」であった同じ立場のランディは、その後リーと別れ再婚し、新しい子どもを産みます。

ランディにもとてつもない悲しみがありましたが、新しい家庭で子どもを得ることで自分自身と向き合い、人生を進めていくことを選んだのでした。

​これが決定的にふたりの別れになりました。
過去の思い出が入り混じるリーの現在が、ランディにとっては過去になっていたのです。

ランディを見て、彼女にも人生の選択があったことと、抗いがたい命の強さを知り、それぞれ一人一人が、自分の人生の進み方を選択して生きていかなければならないことをリーも知るのでした。

​兄の所有していた船のエンジンが故障していたことも象徴的。
リーとパトリックの壊れた心を表しているようで、それをリーは売って処分しようとしますが、結局2人は修理しました。
これが2人の人生の選択の象徴であり、生きていくことの決意を表す場面でもありました。

人生とは自分で決めるしかないもの。すべてが自分の選択の結果で進んでいくのです。

この映画でもすべての人がそれぞれ、選択によって生きています。

誰もが、選択することは怖いことで、不安になります。これでいいのだろうか?失敗しないだろうか?面倒なことにならないだろうか?

それでも、日常はただ生きているだけで大事件が起こるものです。
その時自分はどう生きるのか、何から始めるのかを、常に選ばなければいけないのです。

止まってしまう時があってもいい、休んだっていい、何かを無理やり変えなければいけないわけでもない。

それでも、その先には必ず選択するときがやってきます。

早く立ち直り、ふつうに生きることだけが正解ではないでしょう。
いい選択か悪い選択かもあまり問題ではありません。

自分にまずは向き合うこと。ゼロか100かで考えずに、今何をしようかと選ぶこと。その小さな繰り返しで日々が成り立つこと。。

そして時には転びながら、そんな自分も受け入れながら、目の前のものを目を見開いて見ることで生きていく。

人生の良し悪しではなく、成功や失敗ではなく、そのすべてを抱えたまま心ごと生きていく。ただそれだけでいい。それが人生なのでは?という一つの提示をしてくれるような映画なのかもしれません。
 
 
さて、ちょっとブレイクとして、これは私の持論ですが、
選択によって結果がある、とはそもそも小さなレベルの話であり、もっと大きな目で人生を見ることができるなら、最後はすべておさまるところにおさまる、という考えです。
だから逆に、安心して選択すればいい。安心して失敗すればいい。
どの道を行くかが選択によって変わるだけで、最後はちゃんと決められたところにおさまる。そしてそれはどんな場合でもどんな意味でもハッピーエンドであるはず、と。そう思ってるんです。
(そういえば、そういうセリフの流れる映画もあったなあ)
 
 

​映画に戻ると、この作品は観る人の心には、それぞれ、さまざまな思いがわくのだと思います。

冒頭と最後のシーンが同じようなセリフになっているのも、また脚本の技でしょう。
最後まで観たら、きっと最初の場面をもう一度観たくなる映画です。

 

このテーマの映画作品を選ぶのに、他にも候補がいろいろありました。

​「水曜日のエミリア」「ものすごくうるさくて、ありえないほど近い」「LOVE LETTER」「ともしび」などなど。

​他のところで書く機会があれば、と思っています。

 

 

 

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