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シネマセラピー4 ひとつの価値観に縛られているあなたに

シネマセラピー
映画をひとつ、心の小さな処方箋に

(ネタバレ注意)

 

2007年映画『幸せのレシピ』

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​マンハッタンのレストランで総料理長を務めているケイトは、完璧主義で実直に生きてきた女性。

お客のクレームには厳しい態度で応対し一歩も譲らないが、料理の腕は確かなので、オーナーもクビにはできないでいる。
オーナーは彼女にセラピーが必要だと進言。
ケイトはセラピストの元で理由もわからずにカウンセリングを受けている。

そんなケイトの元に、シングルマザーの姉が娘を連れて向かう途中、事故で亡くなってしまう。
残された娘のゾーイを姉の遺言により引き取って育てることになるが、今まで自分のことだけ頑張って生きてきて、子育ても、子どもへの接し方すらも未知の世界のケイトにとって、それはとんでもなく難しいことだった。

事故後の生活の変化で、しばらく休んでいたレストランに戻ってみると、そこには自由奔放なイタリア料理の達人ニックが厨房を仕切っていた。

生き方や価値観の違いから、ニックに反抗し拒否するケイト。
しかし、ゾーイやニックの存在に振り回されることによって、ケイトは、やがて自分の今までの人生に足りなかったものに触れていくことになるが・・・

    

    

『幸せのレシピ』、原題は『No Reservations』(予約なし)。
この映画はドイツ映画の「マーサの幸せレシピ」のリメイク版です。
「マーサの」が2001年公開ですから、どちらもすでに昔の映画の部類になってきていますが、いつ観てもじんわり心に沁みる映画です。

原題がやっぱり素晴らしいですね。人生を表現した粋なタイトルになっています。

ハリウッド映画になる過程で、二作は少しストーリーの観点が変わるわけですが、本作はアメリカ映画にしてはとてもシンプルに、まあ魅せるところは魅せて、でもわりと静かな映画に仕上がっていると思います。
ヨーロッパ的な何か雰囲気を、意識しているようにも思えます。

とにかくキャスティングの成功。ただの30代の恋愛物語に終わってしまわないような大人っぽさがあるのは、俳優たちの彩と言えるでしょう。

そしてこれは、恋愛ものというより、一人の女性の心の成長物語です。

  

ケイトの性格をキャサリン・ゼタ=ジョーンズは、その物腰やしぐさや、視線やあごの使い方まで、とにかくよく表現していると思います。

完璧主義なところがある人というのは、自分にとても厳しいものです。
一見、それは自分の能力に対する自信の表れのようなのですが、たいていの場合、自分の弱さ、不甲斐なさのようなものをよくわかっている人が多いようです。
でもうまく立ち回ることはできず、人付き合いもクールで、つまりは自分を律しているようでコントロールするのにとても苦労しているようにも思えます。

それは崩れてしまいそうな自分を、守るためなのかもしれません。

  

ケイトも、同僚とは「仕事のつきあい」以上のものはなく、同じアパートの住人に対しても親切をさらりとかわしながら、自分の生きる枠のようなものを決めています。

その枠からはみ出さないのを良しとして、「しないと決めていること」がたくさんあるのです。

そして重要なのは、これでいいのだと彼女自身が思っていること。

自分が作り上げた「こう生きるべき自分」「それ以上でもそれ以下でもない自分」(これこそが枠ですね)に満足しています。

  

  

​私がふだんカウンセリングの場で思うのは、「こうでいいんです」「これしかできないんです」「私なんてこんなもんなんです」と言う人こそ、でも何か変わる手段はないだろうか?何か違うんじゃないだろうか?これで本当にいいのだろうか?という気持ちがほんの少しだけどこかにあるもの、ということです。

だからカウンセリングにでも行ってみて、少し可能性をさぐってみようか、自分を見つめてみようか、と無意識にでも思って、来てくださるわけですね。

ケイトのその様子が、この映画ではとてもよく描かれていると思います。
 
自分に厳しく、満足している様子、突然のゾーイとニックとの暮らしの変化や出会い、そのとまどいと怒りと歯がゆさの中で、無意識の底の底にあった「今までの自分はこれでよかったんだろうか?」という気持ちが少しずつ浮き上がってくるのです。

  
翻弄されながらも受け入れていく様子には希望があります。

大事なところで信じきれずにニックと喧嘩にもなりますが、最終的にケイトは「自分はこれでいいのだろうか?」という浮き上がってきた無意識の底にあった気持ちも、受け入れていく勇気を持ちました。

もしかして、枠から出ても私は大丈夫かもしれない? 枠の外にも人生はあるのかもしれない?と薄々、気づいたからです。

  

映画ですから、限られた短い時間で描くと都合のよいタイミングが訪れますが、現実の世界ではここまでくるのにとても時間のかかるものです。

自分の現実を直視すること、受け入れること、無意識の底の気持ちを浮き上がってこさせること、それを受け入れて行動にうつしていけること。
これはカウンセリングの中ではそんなに簡単なことではありません。

本人ひとりでは気づきは限定されますから、やはりカウンセラーという第三者の存在は、映画の中のケイトにとってのセラピストであり、ニックであり、ゾーイである必要があるのです。

  

​人生の成功とは何でしょう?

お金でしょうか?地位でしょうか?満足のいく仕事を得ることでしょうか?家族に必要とされ愛されることだけでしょうか?自分の静かな世界をしっかり守れることでしょうか?

  

自分が歩いていく道は常に一本道です。

ただし、こう歩いていく、と決めていたとしても人生には何があるかわかりません。

何かぶつかってくるものがあるたびに、自分を守るために枠や殻を強固にしてしまっていたら、窮屈な壁だらけの世界です。

  

何が向こうからやってくるのか、恐れずにワクワクできるとしたらどうでしょう?糸の切れた凧のように心もとない気持ちになるでしょうか?

そうだとしたら、あなたの人生にはケイトのように何かが足りないのかもしれません。
あなたは、あなたに必要な自由と引き換えに、もったいない枠をつくっているのかもしれません。

​決めていない人生(No Reservation)にこそ、幸せはあるかもしれないのに。

  

枠を超えて広がり始めた世界を信じ切れずに、また枠の中にもどってそれを強固にしようとしているケイトに、ニックは言います。

「時には心を開けよ」

この映画で一番大事なセリフかもしれません。

枠の外に心を開く、この映画の場合は他人を信じることは、つまりは自分を信じることにつながるからですね。

  

離れていってしまったニックとの関係から、ケイトは自分の枠にまた戻ればいいのだろうかと考えあぐね、セラピストに、ため息と共につぶやきます。

「人生のレシピが欲しいわ・・」

​それに対するセラピストの答えは、映画の中でぜひご覧ください。

  

自分で決めた人生の枠の中が、どんなに穏やかで居心地のよいものだったとしても、その枠の外にもあなたの人生はあるのだと考えてみてください。

もし、少しでも気になるとしたら、外の世界を覗いてみるのに必要なのは、勇気より好奇心であってもいいはずだと、私は思っています。
 
 

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