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かけがえのないあなたとサヨナラするために

17年前、祖父を交通事故で亡くしてから、ずっと言葉にできない気持ちがあった。

大切な人の最期を「かわいそう」と思ってしまうことだ。

その人の笑顔を思い出したいのに、その気持ちが邪魔をして思い出せない。だから、死についてなるべく考えないようにしてきた。

気持ちに変化があったのは、祖母の死を迎えたからだった。

・・・・・

2020年の5月末、緊急事態宣言が解除されたため、県をまたいでの移動が少しだけ緩和され、わたしは地元の名古屋に帰ることができた。

この帰省は、祖母の危篤を受けてのものだった。母から「おばあちゃん、もうすぐ天国逝くかもしれない。お葬式で着るもの持ってきてね」と連絡があったのだ。礼服と黒のパンプスを引っ掴んで、すぐに新横浜駅に向かった。

新幹線で名古屋に到着し実家の最寄り駅に降り立つと、タクシー乗り場のいつもの場所で、母の青い軽自動車を見つけた。

「ただいま、お母さん。大丈夫?」

「おかえり。うん...落ち込んどるわ」

「わかってたことじゃない。おばあちゃん、ずっと意識なかったから」

「うん。でもおばあちゃんにひどいことしたような気がしてね」

「...延命治療のこと?」

「うん、半年間もつらい思いさせてしまったから」

曇った顔で母が車を走らせた。

車の助手席で、わたしはきっと祖母の最期も「かわいそう」と思ってしまうのだろうなと、ぼんやり考えた。

・・・・・

6月4日の深夜0時過ぎ、病院から連絡を受けた。

「おばあちゃん、亡くなったって…」母が泣きそうな顔で言う。スマホを持つ母の手を、ゆっくり握った。

そこからはバタバタで考える暇がなかったように思う。叔父と叔母にLINEして、車に飛び乗り病院に向かった。

病院の一室で、すでに息を引き取った祖母に会った。「命を最後まで振り絞って天国へ逝ったんだ」と思えるほど、祖母の身体はやせ細っていた。

横たわる祖母の枕元で、母が声をあげて泣いた。母の小さな背中をそっとなでたとき、考えたくないけれど、いつかわたしも母の死を泣く日がくるのだろうと思った。

祖母・母・わたしが並んだこの光景は、三世代の人生の縮図のようだった。「人は生きて死ぬことを繰り返しているのだ」と当たり前のことを妙に納得し、わたしは人生の中間地点に近づいていると再認識した。

祖母の身体と一緒に、葬儀場へ向かう。いくつかの段取りを済ませた後、母は礼服の準備のため一度帰宅した。祖母を一人にしないよう、わたしだけ葬儀場に残ることになった。

祖母とふたりきりの時間。祖母のやせこけた顔を見ながら、「あのときの選択は、本当に正しかったのだろうか?」と、思いを巡らせた。

・・・・・

半年前、介護施設で暮らしていた祖母は軽い胃腸炎を起こして入院した。

入院初日は元気に話すことができたが、真夜中にベットから落ちて意識不明の状態で見つかった。脳梗塞だった。

医師の話では、もう意識が戻ることはないという。たくさんのチューブで繋がれた祖母を見ていると、涙が止まらなかった。

静まり返った病室には、母と叔母、伯父そしてわたしの4人がいて、2つの選択を迫られていた。

何も治療を施さないのか?首の血管から点滴を打って延命治療をするのか?

母が重い口を開いた。
「...治療をしないなんて、餓死と一緒じゃない。かわいそうだよ」

叔母がそれにうなずく。

「そうだなぁ。そんなこと、ようできんよなぁ」と伯父。

でも、わたしは記憶の片隅にあった祖母の言葉を思い出して、それを言った。

「でもね。おばあちゃん、施設にいたとき『家に帰らせて』って言ってた......」

この言葉を聞いた3人は静まり返った。母の眉毛は八の字に曲がった。無理もない。祖母の介護施設行きは、3人の苦渋の決断だったのだから。

みんな家庭があり、仕事があり、祖母を介護することはできなかった。「家に帰りたい」という言葉は、祖母から責められているようでつらかったのかもしれない。

伯父が絞り出すような声で言った。

「...点滴をいれてもらおう。延命することしかぼくには選べんよ。ばあちゃんをほっとくなんて、できん」

母と叔母がこくりとうなずく。3人は医師から渡された1枚の書類にサインした。

このときのわたしは「どんな状態でもおばあちゃんを家へ連れて帰るべきだ」と言いたかった。けどわたしだって何もできやしない。それくらい祖母は死の間際にいた。

でも…わたしはあのとき聞いてしまったんだ。祖母の切実な「家に帰らせて」の言葉を。

・・・・・

あれは2019年の11月、祖母のいる介護施設にひとりで赴いた。祖母は満面の笑みを浮かべて「来てくれたのぉ~」と笑った。もうボケてしまって孫の顔を覚えていないと聞いていたが、このときは、おそらくわたしのことを認識してくれていたように思う。

祖母はテレビの前で競馬を見ていてた。青々とした芝生の上を、茶色い馬と騎手がゆっくり歩く。その姿を一緒に眺めた。

「あんな馬に乗ったら、さぞかし見晴らしがいいんだろうねぇ。いいなぁ。ばあちゃんも一度でいいから馬に乗りたいわぁ……」テレビを眺めながら祖母は言った。

祖母はもう自分の力でトイレに行けないし、手がリュウマチで硬直してるから、一人でご飯を食べることもできない。馬に乗るのは不可能に近い。

「うん…」とだけ、うなずいた。

続けて祖母は言った。

「じゃあ、今日はもう一緒に家に帰ろうかねぇ。連れて帰ってくれる?」

突然そんなことに言われて戸惑った。祖父が亡くなったあと、わたしと祖母はふたりで暮らしていたのだけど、そのときに戻っているような口ぶりで言うのだ。

「おばあちゃん、おばあちゃんはこの施設に住んでるんだよ?」

「帰りたいんだよ。お願いだから帰らせてぇ。 あそこにいる人に、帰ること頼んできてよぉ」

祖母が強い口調で懇願するので、ただ事じゃないと思い施設の方に聞いた。

「あの、すみません。祖母が家に帰りたいと言っているんです」

すると施設の方は「あぁ、いつもおっしゃってるんです」と苦笑いを浮かべ、耳の遠い祖母に対して大きな声で言った。

「あのね、帰ってもご家族が迷惑でしょう。帰れないのよ。ここにいてくださいね」

「そうですわねぇ。そりゃしかたないですわねぇ…」祖母は丁寧な物言いで返した。

その態度を見て、ここは祖母にとって本当の家じゃないのだと、当たり前の現実を見せつけられた気がした。

それでも祖母は、めげずにわたしに言うのだ。

「ねぇ、じゃあ今度はあっちの人に聞いてきてくれない?」今度は別の介護施設の人を指差した。

おばあちゃんは帰りたいって思いでいっぱいなんだ、と思った。久しぶりにわたしと会ったことで、家に帰りたい気持ちが強くなったのかもしれない。

ここに長居をしてしまうと、施設に迷惑がかかりそうな気がして「おばあちゃん、そろそろ帰るね」と慌てて言った。

「そうか…じゃあねぇ」と祖母は小さな声で言って、ひらひらと手を振った。わたしは胸が痛くて、その手をぎゅっと握った。

後ろ髪を引かれる思いで、エレベーターのボタンを押す。

なんだろう。このモヤモヤは。もう祖母の人生は長くないってわかる。直感的にそれを感じるのに、祖母の願いをきいてあげられないなんて。家に帰してあげたくて仕方がなかった。

「こんなの、かわいそうだ..….」

そう、小さくつぶやいた。

・・・・・

母は、祖母の延命治療を後悔していた。

「緊急事態宣言が出て、面会できない状況が続いちゃったでしょう。ひとりぼっちでチューブにつながれたままなんて。なんてひどい選択をしてしまったんだろうって……」

かけがえのない人の死を選択するなんて、できるわけがなかった。みんな祖母が大好きだから。

「わたしの意識がなくなったら、延命治療はしなくていい」

そんな意志のわかる手紙を祖母が残してくれていたら、わたしたちは苦しまなかったかもしれない。

人生の最期に、好きな場所で好きなように過ごす。そんな願いをこの国で叶えられないのだろうか。

 介護する人がいない。 在宅医療の体制が整っていない。 お金があればできる? そんなのおかしいじゃないか。死に際を選べないなんて、そんな世界はおかしい。

思い出すだけで幸せになれる場所。祖母にとってそれは家だった。祖父と暮らしたあの一軒家。たとえボケていても、大切な思い出は失っていなかったのだ。

・・・・・

亡くなった祖母の枕元で、母が天井を見上げながら言った。

「同じ日に逝くなんて、おじいちゃんが迎えに来たのかなぁ」

奇しくも17年前の同じ日、6月4日に祖父は亡くなったのだ。

祖父は歯医者に行く信号待ちのさなか、直進車と右折車の衝突事故に巻き込まれた。2メートルほど飛ばされ、ほとんど即死だったという。

はじめての近しい人の死。「人によって殺された」という怒りと悲しみが同時に溢れ、家族全員すぐに立ち直ることができなかった。

でも、祖母だけは違った……。

祖母は、祖父の死ついて多くを語らなかった。葬式の日、泣きじゃくるわたしと家族のそばで、祖父の遺影をぼんやりと見つめて、ただ静かに葬儀を見守っていた。

事故を起こした加害者を罵ることは一度だってなかったし、悔やみごとも一切言わないから不思議だった。

誰もが祖父を「かわいそうな死に方をした」と言う。けれど、祖母は「おじいちゃん、おもしろい人だったのよ」と思い出話に花を咲かせた。

ふと、祖父と祖母の、ふたりが並んだ姿を思い出した。

「ばあちゃんがいるから、オレはしあわせ者なんだぞ!」と威張っておどける祖父。

「ふふふ」と嬉しそうに笑う祖母。

そこには「かわいそう」なんて言葉は、一文字だって思い浮かばなかった。

祖父の遺影を見つめる、祖母の小さな背中。寂しそうな横顔。

「そうか。おばあちゃんはおじいちゃんのこと、かわいそうって思ってなかったんだ……」

ふたりは、お互い愛しながら、懸命に人生を歩んできたのだろう。遺影を見つめる祖母の横顔は、取り残されて寂しい。そういう顔だった。

先に逝ってしまったかけがえのない人を、かわいそうとは思いたくなかった。だから笑顔で偲んで、残された家族と精一杯生きる。祖母はそう決めていたのではないか。

残された人は、亡くなった人への思いで苦しむ。でも、どうか苦しまないでほしい。きっと旅立った人は、「しあわせな人だったね」って言ってほしいはずだから。

いつか出会うかもしれない、子どものことを考えた。

わたしの最期を迎えるとき、「かわいそうと思わないでほしい」と伝えよう。

かけがえのないあなたとサヨナラするために、今日もわたしは「しあわせ」に生きる。

(記∶池田アユリ)

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