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面白さのあまり記憶から消えた小説の話をしよう

好きな本はなんですか?
最近面白かった本は?

聞かれたら、ちゃんと答えられる。
ところが その答えを口にするとき。決して名前を挙げることはないけれど、頭の奥に ちらと浮かぶ小説がある。そういう話です。

「気持ちが昂っているときに観たものは記憶に残りにくい」という研究結果をご存知でしょうか?
推しの舞台やライブの内容をすぐ忘れてしまう理由として紹介されていることが多いけれど、それだけではないように思う。
なぜなら私は、小説を読んだあと 面白さのあまり内容を思い出せなくなったことがあるからだ。


高校生の頃に読んだ、東野圭吾の『プラチナデータ』。
おそらく知っている方も多いだろう。

読んだ動機なんて特にない。本屋さんで平積みされていて、なんとなく手に取ったのだ。
しかし そんなきっかけとは裏腹に、この本 とんでもなく面白くて。面白い としか言えない語彙力が悔しいくらい、面白かった。

ページをめくる手が止まらなくて、それでいて自分の読むスピードの遅さがもどかしい。目で活字を追いながら 早く早く と、焦りにも似た気持ちで読み進めた。
窓から漏れる光がだんだんオレンジに染まっていくのを、小説に落ちた光越しに見て。その光が消えて 外が暗くなってもまだ、活字から目を離すことはなかった。

結局その日1日を費やして、一気に読んでしまった。


ところが。
そのあと少し経って 友人にこの小説を勧めたとき、内容の話が一切できなかったのだ。
あんなにも面白かったのに、その内容が まるで思い出せない。こんなことは初めてだった。

時間が経ったから内容を忘れたのではない。
むしろ 時間が経った今も、忘れていて驚いたことを覚えているくらいだ。
それも、思い出せないのは本の内容だけ。
読んでいた時間帯も、部屋の間取りも、季節も、そして ジェットコースターみたいな高揚感も、いまでも全部覚えているのに。


そんな『プラチナデータ』を 再び手に取ったきっかけは、図書館だった。


そもそも この小説は購入したものだったので、読み返そうと思えばいつでも開くことができた。
それでも開かなかったのはなんとなく。片手間にページをめくって「あぁ そうだ、こういう話だった」と思い出すのは、なんだかもったない気がしていたのだ。

だって あのときの高揚感を覚えている。
内容を忘れているのなら味わえるのではないか。あの感覚を、もう一度。そんな期待もあった。

いつか読み返したい なんて言いつつ10年以上たった今、偶然図書館で見かけて。やっとそのときがきたのかもしれない、と そう思ったのだ


家に帰り ソファに座って、さっそくページをめくる。
もしかしたら読み進めるうちに 話を思い出すのではないかと思っていた。ところが、1/4、1/3、そして半分を超えても、思い出すことはなかった。
それどころか、当時と同じ興奮に包まれていた。そしてふと気がついた。

これ、あまりにも私が大好きな展開じゃないか?


実は、私はあまり ミステリーというジャンルに手を出さない。
その理由は、オチに期待しすぎてしまうからだ。
あれやこれやと推理しながら読む私を はるかに上回ってくれないと意味がない。あっと驚くような、それでいて きちんと筋が通った結末を見せてくれ、と。
そして それだけでは飽き足らず、「こんな展開は許せない」という基準が 自分の中に明確にあるという厄介ぶり。むしろコンテンツ側から 私のような読者は願い下げだろう。


さて、話は戻るけれど。この『プラチナデータ』、過去の私からのお墨付きがあるので オチに関しても展開に関しても 特に警戒はしていなかった。
ところが、考えていたのはあくまで「嫌いなオチや展開ではないだろう」程度。まさかここまで好みの展開だとは。
 
というか、そもそも。
ミステリー自体あまり読まないのに  どうしてこんなにも具体的に「私の好きな展開」が確立されているのだろう?

そこまで考えて、やっと気がつく。

もしかして。

この小説が 私の「ミステリーの好きな展開」の原点なのではないだろうか?

内容を覚えていなくても 影響だけはしっかり受けていたのだ。なんて、思わず笑ってしまう。
思い出せないだけで 忘れてはいない。どこかで聞いた、そんなフレーズがふと浮かんだ。

さて。あれから 少しずつ読み進めていたけれど、先日 やっと読み終わった。
当時のように1日中読み耽ることはできなかったけれど、代わりに何日もかけて少しずつ 考えを巡らせながら読んで。

感想は、当時のまま。

すごく すごく面白かった。

10年以上前に読んでから 自分の年齢はもちろん、環境も立場も変わって。
それでも 当時面白いと思ったものを、変わらずに面白いと思えたことが 素直に嬉しい。
そして、執筆当初から 情勢や時代が大きく変わっているにもかかわらず、いつまでも変わらずに面白い。そんな小説であってくれたこともまた、嬉しかった。


ちなみに、結局 最後まで結末を思い出すことはなかった。


今度「『プラチナデータ』面白かったよ」と 誰かに伝えるとき、果たして私はその内容を覚えているだろうか。

また忘れてしまっていたら。と考える。

また忘れてしまっていたら、もう一度 あの興奮を味わえるのか。

そう思うと、それも悪くない。というかむしろ、忘れるのを心待ちにしている自分がいたりして。

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