窓から、河川敷で花火を楽しむ人たちを多く見てきた。8月はほぼ毎日見かけたがもう最近は全く見かけなくなった。

 この前、河川敷に腰をかけている時に、私が見た花火がある。

 その日はコンタクトレンズを外し眼鏡をかけていた。その眼鏡を外し、数多の電球の光るマンション群を眺めると、そこには花火が咲いていた。

 目がしっかり見える時は、街の灯り一つ一つなんて、ただの光る豆粒か何かの集合体にしか見えないが、その一つ一つが朦朧となり、霞み、抽象化され、円形に爆散する。その姿がまるで打ち上げ花火のようであった。またその花火というのは、爆散して消えることなく光り続ける、私の見える範囲では半永久的に消えない。夜通し咲き続ける花火であった。

 最近、わけもなく涙が出ることがある。その時街を眺めると街灯や車のライトが花火へと変貌しているのを見ることができる。

 光の抽象化、散り散りになる光。私が人生に求めているもの。だが、そんなものが世の中が認めてくれないから。

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