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文芸ムックあたらよ創刊号・感想③【創作】篇

 また会いましたね! 初めての方は初めまして。蛙鳴未明です。前回で「あたらよ文学賞篇」は終わり、今回は「【創作】篇」となります。「創作・対談篇」とずっとお伝えしておりましたが、数夜を経て、そのような乱暴なまとめ方はいかがなものか、と冷静になりました。と、いう訳で【創作】として掲載されている六作品について、感想を述べていきたいと思います。

 先に結論を言っておきます。どれも面白いです。厚みと深みがあり、魔力と魅力を兼ね備えています。それぞれが違う夜の面白さを鮮明に切り取っていて――とかなんとか言ってる場合ではない。読んでください。飲んでください。私のつたない言葉よりずっとずっと、その素晴らしさが伝わることでしょう。もし、ご購入されていない場合は、下記リンクよりお求めください。

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 書き忘れていました。こちらの六作品、全てあたらよ文学賞で選考委員を務められた先生方が寄稿されたものです。受賞者と選考委員の作品を横並びで読める、という面白さ。それがまた、この本の魅力をいや増しています。


現の夜、夢の朝 梧桐彰

・あらすじ
 「俺」はアズィーズィ種に乗り、東へ向かう。炎の国を見るために。それはかつて、彼の祖父も夢見ていたことだった。思い返される祖父との日々。そして……

・感想
 すっきりとまとまっていながらも確かなバッグボーンを感じさせるつくりで、とても勉強になりました。馬よりは小さく、鹿よりは大きい使役動物「アズィーズィ種」と「俺」との関係。祖父の語る星の有様。さりげない一文から垣間見える、価値観や社会構造の違い。世界のディティールが細かく、ファンタジーの醍醐味がぎゅっと詰まった作品でした。いったいどれだけの設定が、物語の裏に隠れているのでしょう。短さの中で何を見せ、何を見せないか。取捨選択の巧みさを感じました。夢に始まり、夢に終わる構成は美しく、節ごとに刻まれていく時の流れもまた味わい深かったです。

 祖父と孫の関りには、世界が違えど変わらない普遍の情理が現れているように思います。ファンタジー世界――読者の住まう場所とはかけ離れた舞台で描くからこそ、その輝きがより胸に迫るのではないでしょうか。言葉だけでなく、行動からもたちのぼる「俺」の思いは、とても芳しかったです。

とろけたクリーム 綾坂キョウ

・あらすじ
 龍之介は母の葬儀に立っていた。数年ぶりの対面だった。眠気を追い払おうとしながら、母の言葉を思い出す――「仕方がないでしょう」
 がらんとした葬儀場で、彼は幼馴染の茜と会う。彼女は母に可愛がられていた。彼女と言葉を交わすうち、龍之介は七歳のときの誕生日を思い出す。母の買ってきた誕生日ケーキの想い出……

・感想
 多忙な母と、子のすれ違いの描写が真に迫っており、やるせなさに青ざめながら読みました。龍之介と妹が母に向ける目に、母は気付いていたのでしょうか? 気づいていても、「仕方がなかった」で済ませていたのかもしれません。恵まれていないわけではないものの、どこか歪つさを抱えた家庭。その歪みは外から見えにくく、内からも「仕方がない」と諦められるくらいのものです。しかしそれは、七歳の龍之介に決定的な瞬間を与え、母の死に目にあわないという結果を生んだのです。

 龍之介の母は、立派な教師として多くの人に涙を流されました。しかし、龍之介が涙を流すことはありませんでした。人はいくつもの側面を持っています。側面ごとに、パズルのピースとして、いくつもの小社会にハマっています。同じ絵柄のようで違うその有様が、闇夜にはっきりと浮かび上がってくるような、胸に迫る作品でした。

巡礼者ペレグリヌスたち 百百百百

・あらすじ
 氷原に長く連なる車両、車両、また車両。何十、何百万もの巡礼者ペレグリヌスたちは、横倒しになった地軸を元に戻すため、百日もかけて極寒の道を行くのです。聖域サンクチュアリまであと少し。うるるとはーちゃんは、期待と勇気に胸を高鳴らせながら、行程の末尾を埋めていきます。二人は横倒しになった地球のあれこれについて話しながら、道中亡くなっていった人々に思いを馳せるのでした。そしてついに聖域サンクチュアリが、その姿を現して……

・感想
 人の力強さを感じるとともに、人の儚さも美しい作品でした。うるるとはーちゃんの会話からは、二人が道を共にしながら築かれてきた関係性がしっかりと見え、こちらも胸が高鳴ります。

 何人もの犠牲を背負い、車を走らせる巡礼者ペレグリヌスたちの決意には、どこか哀愁が漂っています。人生とうに詰んでいる。ならばここで何かやるしかない――そういった、切羽詰まっているが故の、妄信的な切ない決意が感じられるように思うのです。少なくない若人が抱えている行き場の無さ、閉塞感。それを写し取った小説であるようにも思えます。

 歴史上でも、途方もない大計画のもとに多くの人が亡くなっていきました。礎となり、進む者どもの足を支える死者の影は、切なく、悲しく、聖域サンクチュアリを色づけます。膨大な数に隠れ、ひっそりとなくなっていった一人の人にも、それぞれの人生はある。それが凍りつき、失われていく哀しさ。氷原の神秘的な明暗も相まって、紙面から祈りの歌が聞こえてくるかのようでした。

黒い烏 輝井永澄

・あらすじ
 夜の繁華街を奥へ奥へと分け入り、「カル」という女性を探す「私」。彼は夜に魅入られていた。昼は会社でそつなく仕事をこなし、夜は繁華街で彼女を探す。道中、路地に鳥の死骸があれば、「私」はそれを写真に収める。何枚も、何枚もカメラロールを圧迫させる。やがて、「私」は「カル」への手掛かりを手に入れる……

・感想
 昼――まじめで、規律から外れない、品行方正な世界――で生きてきた主人公は、「カル」との一件を切っ掛けに夜――何があるか分からない、暴力性を持った無法地帯――に魅入られていきます。次第にオチてゆく主人公の姿は狂気的でありながらどこか魅力を放っており、研ぎ澄まされていくナイフに似ているように思います。研がれれ切った時、彼は誰も触れられない夜の奥底に一人佇み、快哉を叫ぶことになるのでしょうか。憧れ、失望し、情欲に突き動かされる「私」の感情の動きから目が離せませんでした

 幾度も登場する黒い烏の死骸が印象的でした。烏は死が近づくと山へ帰り、その死骸を人里に残すことはほとんどありません。そんな烏をも殺してしまう夜の強大さ。空飛ぶ鳥をも射落とすその荒々しさに、主人公は憧れたのでしょう。

 「死」とは「生」の枷から外れた状態であり、ある意味では最も自然で自由なありかたと言えるかもしれません。生きるなかで歩んできたレールを取っ払ってしまいたい。今まで手に入れて来なかったものを手にしたい。そういった欲望の変形が、死んだ鳥を撮る奇妙な行動でもあったのでしょうか。


明日にのぞむ夜 蒼山皆水

・あらすじ
 遠藤は引きこもっている。「とるにたらない」ことのせいで、二週間ほど学校に行っていない。日が落ちてしばらく経ち、遠藤のもとに鹿島先生がやってくる。遠藤が、夜なら学校に行けるかもしれない、と言ったから。鹿島先生は教師らしくない。いつも気の抜けた調子で諸々をこなしている。二人は車に乗り込んで、夜のドライブが始まった。

・感想

 思春期特有の感情の揺らぎがリアルで、まるで時間を巻き戻されたような気がしました。「夜」の非日常感や、クラスメイトとの微妙な距離感など、全てに現実味があって、青春の写生として完璧ではないでしょうか。

 「とるにたらない」ことが、もし人を傷つけていたらどうしよう。そう思ったことがある方は数多くいることと思います。かくいう私もその一人。かつては随分悩み、未だに思春期から若干抜け出せておりません。そういった心の柔らかいところを的確に掬い取った短編であり、読後に清涼感を残します。

 鹿島先生のキャラクターがとにかく良くて、こんな先生に出会いたかったなあ、と溜息を吐いてしまいました。誰にでも対等に「人と人」として接するというのは、なかなかできることではありません。そのキャラクターが、物語全体の展開に納得感を生み出しており、蒼山先生、上手いなあ、とどこから目線か嘆息してしまいました。鹿島先生には幸せになって欲しいです。

この夜を焚べる 小谷杏子

・あらすじ
 福田と黒瀬の夜のドライブ。後部座席には黒瀬の妻が横たわっている。黒瀬が川で奥さんを洗っているところを、福田が偶然見つけたのだった。三人は山奥へと進んでいく……

・感想
 重く沈んだ逃避行のはずなのに、まるでちょっと休日にドライブへ出かけているだけのような、場違いに明るい主人公が印象的でした。読み始めは明暗のコントラストで気が変になりそうでしたが、不思議と物語に引き込まれ、読み終わった後はムックの中で一番好きな作品となっていました。読後に胸に広がる何とも言えない情動、たぶんこれを「あはれ」と言うのでしょう。「エモい」ではなく「あはれ」です。闇のあはれ、夜のあはれ、炎のあはれ。全てがすとんと心の臓に収まって、心電図で和歌が読めそうです。

 「夜」というヒミツの世界で交わされる会話。それらは互いの耳を揺らした後、一時もその場にとどまることなく、車の速度に置いて行かれて夜風に溶けていく。一夜限りの逃避行。今ここにしかない夜。その味わい深さ、「あはれ」です。

 死体運びという非日常に差し挟まれる珈琲の描写とか、地理案内だとか、普段の仕事姿とか。そういった日常が現実と非現実を接続する働きをしているのでしょうか。没入感がすごかったです。いやもうまったく言葉足らずで申し訳ないのですが、とにかく好きです。皆さんも是非! 何度も読み返してみてください

おわり!

 いかがだったでしょうか、【創作】篇。どれも面白く、言語化できない良さが多分に含まれていて、是非多くの方々にお読みになって欲しいと思いました。構成、文体、キャラクター。それぞれが緻密に組み立てられており、学び学びの連続でした。これだけ良いものを書かれる方々に選考されて、私は幸せ者です。この方々の小説をもっと読みたい、と思わされました。

 さて、次回は馳月基矢先生と百百百百様の対談、「書いて、調べて、駆け抜けて」について所感を述べていきたいと思います。この対談、とっても勉強になりますし、何より面白いので、万が一まだ読んでいないという方は、是非々々お読みください。

 語彙力不足のつたない感想が並ぶなか、ここまでお読みいただきありがとうございました! ではまた!


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