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大嫌いで大好きな歌ーShin Mizumoto『仕返しの歌』②2021年〜2024年



こちらは後編の記事になります。

上記の前編の記事からご覧ください🙇‍♂️




2021年  大晦日


『仕返しの歌』をボツにしてから2年弱。

2021年大晦日。

僕は静岡Sunashのカウントダウンライブに遊びに来ていた。
普段は新聞配達の仕事をしているため、年末年始は大忙し。前までは時間が読めない中で「ええぃ遅れたら遅れたでやってまえ!」とよく身体に鞭打っては早めの時間に出演し、クタクタの状態で仕事に行っていた。

当時から既にアラサーまっしぐらだった僕はかなり自重していて、お客さんとして顔を出しては先輩と挨拶を済まして、早めにおいとましていた。

その日も例年通り、夕方の4時ごろにサナッシュを訪れて、先輩方の挨拶回りをしていた。

その中で、宗野俊男(そうのとしお)さんという方がいる。


宗野俊男さん




彼はロックバンド LOOSE END (ルーズエンド)のフロントマンで、静岡Sunashのアコースティックイベント【FOLK BOWL】で弾き語りでよく共演していた。彼も『仕返しの歌』を気に入ってくれていた1人だ。

宗野さんともいつも通り
「取り急ぎ、良いお年を〜!」と挨拶を済ませると、彼はビール片手に言った。

「たまには、仕返しの歌聴きてぇな〜」


『仕返しの歌』を歌わなくなって2年。

本当に本当にありがたい話だ。

けど、僕はとうに冷めている。


「いや、あの歌飽きたんすよねぇ〜」

仮に今歌っても熱が入らないし、宗野さんやお客さんもそれでは満足はしないだろう。

僕は特に悪びれることもなく、
やんわりと断った。


僕は相も変わらず小説を読んでは、物語をベースに作曲を続けていた。新年が明けても変わらずそのスタイルで活動を続けるのだろうな、と思っていた。


後に、宗野さんのこの一言が

『仕返しの歌』を再び突き動かしてくれた。




2022年  冬


新年が明けて仕事がやっと一段落終えると、僕は母親の実家である藤枝に向かい、祖父母と家族の時間を過ごした。

超絶ブラック企業である新聞会社は
1月4日から早速、通常通りの業務に戻る。

今年もたーくさんライブしたいな。

仕事の合間を縫って、
いつも通り作曲の作業に入る。

新年が明けてしばらくして、
ふと前述の宗野さんの何気ない一言を思い出す。

「たまには、仕返しの歌聴きてぇな〜」


もう終わった話だ。

もう、歌うことはない。


けれど、この2年間。

ライブをやっていく中で、常に頭の中で『仕返しの歌』の存在はチラついていた。

それほど僕のライブ人生の中で、この歌はガッチリと根付いていた。


気付けばこの時、僕は27歳になっていた。

周りに比べればまだ若かっただろうけど、僕は確実に歳を取っている。


僕がいじめを受けていたのは高校生の時。
2013年まで遡る。

そして時は2022年。

あれから10年弱経つというのに、学校でのいじめは激化するばかりだ。何ならSNSの登場で動画を撮って助けを求めたり、更にはSNSの場で自殺宣言をするような人も現れた。

ちなみに、僕はSNSでいじめの動画を挙げて助けを求めることには賛成派だ。「いや、動画撮ってる暇あったら助けてやれよ」って意見はごもっともである。けれど、その場で注意したところで、先生にチクったところで、何が解決すると言うのだろう。

SNSにおける誹謗中傷によって余計にいじめが横行しているというのなら、SNSで助けを求めるのは至極真っ当だと思う。
常人には理解できないほど、いじめられっ子には心の余裕がない。その心のキャパシティが溢れてしまった時、人は最悪の手段を取ってしまう。

当事者である僕には、よく分かる。


2022年、27歳になった僕の立場で
『仕返しの歌』を振り返ってみる。

僕は今まで、
この歌を自分のためだけに歌っていた。

なのに、多くの人が感動してくれた。


それは単なる偶然だと思っていた。

けれど、それはきっと違う。


僕のありのままの言葉だったからこそ、
響いたのだと思う。


何となく、という理由で作った僕はそれにすら気付かず、自分本位で歌っていた。


『仕返しの歌』が他人のための歌だったら、
どうだったろうか?

今まで考えもしなかったことだ。


でも冷静に考えてみれば、
いじめに苦しんでいるのは、僕1人ではない。


今もどこかで、いじめに苦しみながら生きている人たちがたくさんいる。

『仕返しの歌』が存在する以上、
この事実から目を背けてはいけないと思った。

宗野さんの一言を受けて、
僕は『仕返しの歌』の改変を試みた。


こうして振り返ってみると、周りの先輩方の言葉で、"当たり前の事実"に気づかされてばかりだ。

さらに言うと、前編で登場したインスタンツあつみさんも、今回登場した宗野俊男さんも、パンクバンドを経て、まっすぐな言葉で歌を歌う生粋のロックンローラーだ。

自分の中で例外であるはずの『仕返しの歌』がパンクの性質を帯びて、この2人に響いたのは必然だったのだと、強く思う。


あの時燃え尽きたはずの歌に、
再び小さな火が灯った。

こうして『仕返しの歌』は
自分の外側に向けて、大きく変わり始めた。





2022年  春


幸せの意味を問い正して
虚しい分だけ  言葉にした
歌になる直前の涙は
嘘偽りなく本物だった
どれだけ月日が流れようと
真っ直ぐな言葉には敵わないね
だって  あの日
歌となって弾け飛んだ時
酸素が足りなくて  嬉しかったからさ

ーAmayjigen『仕返しの歌 2022』


2022年  3/12(土)
静岡Sunash【FOLK BOWL】


僕は3年以上の時を経て
改変した『仕返しの歌』を披露した。


辛いのが僕1人だけであったなら、
この歌は僕1人だけの歌で良かった。

でも、3年経っても相変わらず、いじめの絶えないクソッタレな世の中だった。


だからこそ、この歌は新しい意味を帯びて息を吹き返したのだと思う。


この日のことはよく覚えている。

この歌を歌う直前のMCで、
僕はこう言った。


「今の自分がこの歌を歌うことで、何を思うのか、何を感じるのか、僕自身が楽しみです」


一度は完全に切り捨てた歌だ。

この歌を実際に歌うまで、
僕は正直不安だった。


いざ歌い始めて、

その不安は一瞬で吹き飛んだ。


『仕返しの歌』がぶち壊れた時。

自他共に、魂の底から震えていたあの日。


僕は幼い自分と、たった今の自分を一緒くたに背負って歌った。



生きて  歌っていた
死ぬくらいなら  ここで溢れよう
これまでに降り積もった
誰かの死にたい想いを  忘れんなよ
こんなんじゃ終わらない



「死にたい」って思いは

僕1人だけのものではなかった。

いじめに限らず、
誰もが抱き得る負の感情だ。

この日叫んだ「ざまぁみろよ」の言葉は

全世界に存在するいじめっ子に向けた言葉だった。

長らく自分1人で抱え込んだこの歌は

外側の世界に向けて、
もう一度大きく"ぶち壊れた"。


最高のライブだった。


ライブ終わり、この日共演したYuji(ユージ)さんに話しかけられた。

彼はロックバンド Unfinished(アンフィニッシュド)のギタリストで、弾き語りのソロ名義ではY's Ring(ワイズリング)と名乗っている。

例によって、彼もまた『仕返しの歌』を初期から気に入ってくれていた1人だ。

「今までで、ベストライブだったよ!!」

彼は親指を立てて、はっきりとそう言った。


『仕返しの歌』が
本当の意味で報われた瞬間だったと思う。

その他出演者やお客さんからも多くのお褒めの言葉をいただいた。

本当に、本当にありがたい話だ。

本当に多くの人に支えられて、この歌は生き続けている。





2022年〜2023年
遥奈『銀河へひとっ飛び!』





真ッ冬の活動が本格化してきて、
弾き語りソロでの出演がめっきり減った。


大きく変化を遂げた『仕返しの歌』

もっと歌いてー!!!

とは思っていたのだが、

それより何より、
真ッ冬の活動が楽しかった。

その勢いそのままに、
アルバムのレコーディングも始まり、
2022年12月3日にはレコ発も敢行した。


さて、真ッ冬でのレコ発も無事終わって肩の荷が降りたところで、来年からソロも再開していこう!と意気込んでいたところに、

『仕返しの歌』は思わぬ場所で顔を出すことになる。


真ッ冬『ホワイトエッセイ』
Jacket : 遥奈


別の記事でも触れているが、
真ッ冬の1stアルバム『ホワイトエッセイ』のジャケットは、僕の尊敬するシンガーソングライター 遥奈(はるな)さんに描いていただいた。

アルバムの完成にあたり、僕はレコ発の前に遥奈さんにCDを送ったのだが、その際にもう1枚、同封したCDがある。

僕がまだSnufkin(スナフキン)と名乗っていた頃に出した
1st デモ『Snu-T"okey』(スナドケイ)だ。

このデモを出したのは2018年。
3曲入りで、『仕返しの歌』も入っている。

リリースしたはいいものの、人生で初めてのレコーディングで手探りだったこともあり、振り返れば振り返るほど「もっと上手くできたなぁ」と反省するばかり。

納得できない部分も多く、いつしかライブの物販でも持ち込むことがなくなった。

遥奈さんにこのCDを送ろうと思ったのは、
「ホワイトエッセイのついでに聴いてもらえればいいな」というちょっとした気まぐれである。


後日、遥奈さんから無事にCDが届いた旨の連絡があり、さらには「今度『銀河へひとっ飛び!』で紹介させてください!」とのこと。

『銀河へひとっ飛び!』は、
遥奈さんの音楽作品の制作過程や、時にスピリチュアルな内容をテーマにしているYouTube番組だ。僕も毎回楽しみにしていた。

ジャケットを描いていただいた上に、自身の番組で宣伝していただけるなんて、こんな光栄なことはない!


そして、
遥奈さんが29歳の誕生日を迎えた直後

2022年12月7日
『銀河へひとっ飛び!』第6回


この時の遥奈さんは『無明』(むみょう)という新曲を出されたばかりで、この曲に対する僕の感想メッセージも読んでいただいた。

その流れで、我々の『ホワイトエッセイ』も紹介していただいた。
身に余る光栄だ…………。

遥奈さんからそれはそれは嬉しいご感想をいただき、悦に入っていると…………

「もう1枚CDを送っていただいたので、そちらも紹介しますね」

そうして出てきたのが
例の『Snu-T"okey』である。


え?  

それも??

前述の通り、僕がデモを同封したのは単なる気まぐれで、ついで程度のものだ。
まさか紹介してくれるとは思わなかった。

そして、遥奈さんがこの音源の中で最も気に入ってくれたのが、

『仕返しの歌』だった。


『Sun-T"okey』に入っている『仕返しの歌』は改変前のもので、時期的にもかなり迷子になっていた頃のものだ。


初ライブでこの曲を披露したあの日。

何故この曲なんだろう??

あの感覚に近い。


正直嬉しい反面、
ちょっと複雑な気持ちだった。


また、遥奈さんのお母様もこの曲を聴いてくれたそうだ。

お母様曰く、

「この曲はただ憎んでいるようで、
実は過去を許している」
とのこと。


長らく内側で消化し、外側へと向いたこの歌は、この一言により再び内側へと向き直った。


僕は本当に許したんだろうか??


今思えば、この歌は自分の気持ちを置き去りにして、外へ外へと意識が向いていたような気がする。


この時の僕は、結論を急がなかった。

むしろ大きな課題として持ち帰ることにした。

あまり気にしなかった、と言う側面もあったかもしれない。


遥奈さんに番組で取り上げてくれたことの感謝の意と共に、この感想について真剣に向き合うことをお伝えした。

とうに吹っ切れていて、僕は幸せを感じている。急ぐ必要はない。


レコ発を終えての翌年、僕はチョロチョロとソロ活動を再開した。


そんな中で、内側に向き直った『仕返しの歌』は、また一つ、小さな変化を遂げることになる。






仕返しの歌  2023


『仕返しの歌』の本質は"憎しみ"だ。

自分の中で溜め込んだ憎しみが、やがて外側へと向いて「誰かのため」の歌になった。

「誰かの死にたい想いを忘れんなよ
こんなんじゃ終わらない」

今後一生、いじめが無くなることはないだろう。

だから僕はいじめられっ子を鼓舞する意味で、この歌詞に変えた。

僕は決して許しちゃいない。

許されるべきことではない。


もしも許してしまったら、根底から何もかも覆ってしまうようで怖かった。

その反面、許せたらどれだけ楽だろうと思った。

許せたら、どれだけ楽だろう…………



ふと、閃いた。


「いっそ、許したことにしてしまおうか」


創作は自由な世界だ。

だからこそ僕は小説やエッセイの言葉を引用しながら、物語ベースで曲を作っている。

となると、『仕返しの歌』はやはり異質だ。

100%のリアルを歌っている。

けれど創作である以上、
100%リアルである必要はない。

ぶっちゃけ嘘をついたところで分りっこないし、それは決して罪なことではない。


僕は『仕返しの歌』の最後の4行を書き換えた。

次のソロライブではこのバージョンで歌おう。

もし気に入らなければ、また変えればいい。

何せ『仕返しの歌』はこれまでも、何度も何度も生まれ変わってきたのだから。



どうして今まで歌っていたのか
今理解した
いつかきっと  全て許そう
ざまぁみろよ  仕返しの歌

ーAmayjigen『仕返しの歌 2023』


「いつかきっと  全て許そう」

この歌詞を加えることで、今まで思い悩んでいた時間や道のりを、いつか許すための布石と思える。

同時に、今まで許せなかった自分への免罪符としての意味合いも込めた。

僕はあの時、『仕返しの歌』を内側から少しずつ認め始めていたのかもしれない。


2023年  2月5日
静岡Sunash【FOLK BOWL】

久々のソロライブ。


僕は果たして、許せるだろうか??

不安な反面、ワクワクしている自分がいた。

いざ、本番。

最後に『仕返しの歌』を披露する。






歌い終わった時、僕はいつも放出している熱とは別に、不思議な脱力感に襲われた。


『仕返しの歌』は、
間違いなく僕が作って、僕が歌う曲だ。

けれどあの時、『仕返しの歌』は僕から切り離された、別の血の通った何かだった。

「いつかきっと  全て許そう」

僕が歌った。

いや、僕じゃない。

『仕返しの歌』が歌っている。

「全てを許そうよ」

優しく語りかける。

『仕返しの歌』が、僕を許してくれた。


おかしいけれど、そんな感覚。


あぁ、気楽だ。



「どこまでが本当だったろう。過去は変えられるなぁと書きながら思ってました。希望を足せるなぁって。自分にとって小説は希望です」

ー燃え殻『ボクたちはみんな大人になれなかった』



僕がついた小さな嘘は、"希望"を見出したようだった。

その嘘は、本当以上に価値のあるものだった。


僕は何をどうやったって変わりようのない過去に囚われていた。

でも、過去は変えられる。

創作の上では、何だってアリだ。

僕はこの時、現実と創作を切り離して、
『仕返しの歌』を独立した意思のように受け取っていたようだ。

出所は自分だけれど、

過去を変えてくれる
希望を見出してくれる

僕ではない、優しい何か。



「いつかきっと  全て許そう」

僕ではない何かが言う。

同時に僕である僕も思う。

僕はいつかきっと、全てを許すだろう。

『仕返しの歌』が歌っている。


僕は

いつかきっと

全てを許すんだ。


そうに決まってる。



弱音を吐いたら楽になるか
泣くだけ泣いたら楽になるか
死にたいと言えば気持ちいいか
そこから踏み出したくはないか
どっかに忘れ物をしたよ
教室か母のお腹の中
恒久的な欠落を  愛してこその幸福だ

ーamazarashi『空っぽの空に潰される』


"恒久的な欠落"を


『仕返しの歌』を愛した僕は


きっと、幸福なのだと思う。





2024年  おわりに




前後編合わせて1万字を越える、どえらい文章量になってしまいました😅

1曲に対する8年分の歴史を語るには、どうも限界があったようです…………。

ここまでお付き合いしていただいた皆様、
ありがとうございましたそしてお疲れ様でした🙇‍♂️🙇‍♂️


『仕返しの歌』は最終的に妙な神秘体験を通じて、本当の意味で独立したのだと思います。

"独り立ち"と言っていいかもしれません。

『仕返しの歌』は元々僕の外側に存在していて、最初から僕を守ってくれていたような、そんな感覚でした。


最後になりますが、

痛快な言葉で鼓舞してくれた
インスタンツあつみさん

「また聴きてぇな」と言ってくれた
宗野俊男さん

『仕返しの歌』を再び歌い始めた時
「ベストライブだったよ!」と言ってくれた
Y's RingのYujiさん

ご自身のYouTube番組で紹介してくれた
遥奈さん

その他、僕に関わる全ての音楽関係者様

『仕返しの歌』を愛してくれた皆様。

この歌は僕の心の中で生き続けた曲ですが、

間違いなく皆様に生かされた曲でもあります。


本当に、ありがとうございました!!!!


『仕返しの歌』は、変化を怖れない歌。

だからこれからも、この歌は僕と共にずっと変化し続けていくのだと思います。

いつか本当に全てを許して
「ありがとう」と歌うかもしれないし

はたまたひょんなことから
「てめぇら殺してやる!」と開き直るかもしれない。


どちらに転んでも、本質的には何も変わらない

僕の『仕返しの歌』です。

何かと慌ただしい曲ですが、
今後もどうか愛していただけたら幸いです。


また、次回の記事でお会いしましょう。


それでは🐳


Shin  Mizumoto.


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