大嫌いで大好きな歌ーSnufkin『仕返しの歌』①2016年〜2019年
2024年 はじめに
僕のオリジナル曲で、
『仕返しの歌』という曲がある。
この曲を作ったのは遡ること2016年。
僕の中で最も歴史が長い曲だ。
初ライブでも披露した曲で、あれから8年が経つわけだが、何も頻繁に歌っていたわけではない。2年ほど全く歌わない期間もあった。
だから厳密に言えば、ライブで"歌い"続けてきたわけではない。言うなれば、
僕の心の中で"生き"続けてきた曲だ。
一度は手放しても、『仕返しの歌』という存在が完全に死ぬことはなかった。
その実、自分の中だけで葛藤を繰り返していたこの曲だが、思い返せば色々な人に支えられたからこそここまで歌ってこれたのだと、強く思う。
今回はそんな大嫌いで大好きな歌。
『仕返しの歌』の変遷について書いていこうと思う。
2016年 春
「そういや、いじめられてたっけなぁ」
早朝の配達中、ふとそんな事を思い出した。
もう5年以上前の話だ。確かに辛い思い出ではあるけれど、とうに吹っ切れている。折に触れて思い出すことはあっても、苛まれることはもう無かった。
しかしその日は何故か、いじめを受けていた当時の自分が脳裏にべったりと張りついて離れない。
モヤモヤした気持ちで配達を終えると、真っ先にギターを手にした。
東京で大きな挫折を経験して静岡で定職に就き、まだライブもやっていなかった僕は趣味程度にギターを楽しんでいた。
いつも通り何の曲をやろうかな、とテキトーにいじっていると、ふとある事を思い付く。
ついさっきまで脳にへばりついていた
過去の自分。
「これを曲にしたら、面白いのでは?」
特に深い意味は無かった。
今朝のモヤモヤを晴らしたい気持ちもあったし、作曲を始めて間もない身としては、貴重なネタの一つでもあった。いじめを受けるという事は、見方を変えれば中々経験できないものである。もちろん経験したかないけど。
カポを3フレットに着けて、Am7を弾く。
辛かったあの日々を、ゆっくりとなぞる。
タイトルは『仕返しの歌』
サビには「ざまぁみろ」って入れてやろう。
拍子抜けするほどスラスラと出てきた言葉は、たったの3時間で歌になった。
誰かに届けたいだとか、自分を曝け出したいだとか、熱情も何もない、
まっさらな『仕返しの歌』
何だか懐かしい。
こうして、『仕返しの歌』は生まれた。
僕がこの歌と真剣に向き合って歌うようになるのは、まだまだ先のお話。
2016年 夏
2016年9月9日
初ライブが決まった。
初ライブに踏み込んだ大きな理由は、
オリジナル曲が5曲になったからだ。
当時の僕は
「ライブでカバーを歌うのはダサい」
とかなり偏屈なヤツだった。
趣味の延長線上でオリジナル曲をちまちま作っていて、ある時ふと思った。
「初ライブで、全部オリジナル曲ってかっこよくね??」
ひょんな思考の勢いそのままに、僕はTwitter(現 : X )で静岡SunashにDMを送り、無事に初ライブが決まった。
実はこの時、初ライブは8月に決まっていたのだが、僕が熱中症でぶっ倒れたためにやむなく延期となった。のっけから迷惑かけっぱなしである。本当に申し訳ない…………。
満を持して、9月9日。
僕は5曲のオリジナル曲を引っ提げて会場入りした。その中にももちろん『仕返しの歌』が入っていた。
前述の通り、当時の僕にとってこの歌は情熱も何もない、言わば全くこだわりのない曲だった。セットリストに組み込んだのも、タイムテーブルの都合上"仕方なく"の事だった。さらに輪をかけて「自分語りの歌なんてダサい」と考えていた。
(ライブやったことないくせに
随分ひねくれてんなコイツ笑)
ガッチガチの緊張の中、僕はトップバッター。
正直歌っている時のことはよく覚えていない。気付いたら終わっていた。お客さんの話によると、『仕返しの歌』を歌う前だけ、ボソボソと長めに喋ったらしい。
noteでも度々書いているが、ライブ終わりに先輩方から背中を押され、僕はライブを続けることになる。
厳しい意見もグサッときて悔しかったけど、その反面たくさん褒めてくれて嬉しかった。
ただ一つ、大きな気掛かりを除いて。
叱咤激励の中で、
出演者、お客さんは口々に僕に言った。
「仕返しの歌、すごい良かったよ!」
「最後の曲、感動した!」
仕方なく歌っただけなのに。
自分語りなんてダサいのに。
全くこだわりのない曲なのに。
『仕返しの歌』以外に披露した4曲はもう覚えていない。とうにボツにしている。
けれど、当時の僕にとってその4曲は『仕返しの歌』よりもよっぽどこだわって作った。
褒めてくれるのは嬉しい。
けれど、何故この曲なんだろう。
僕は先輩方からの賛辞を、ましてや『仕返しの歌』すらも素直に受け止められないでいた。
その後も僕はダラダラと『仕返しの歌』を歌い続けた。と言うとちょっと語弊があるが、ライブ自体にはその都度真剣に取り組んでいた。
先輩の紹介もあって、サナッシュ以外にも静岡UHU(ウーフー)や藤枝KOKOPELLI(ココペリ)など、色々なライブハウスに足を向けた。そして行く先々で、この歌の評判は良かった。
少しずつオリジナル曲も増えて、段々カバーも演奏するようになり、『仕返しの歌』をセットリストから外す選択肢もあった。
だけど僕は受け入れられないなりに、この歌に固執していた。
ライブを始めたばかりの僕にとって、先輩方からの褒め言葉は間違いなく原動力になった。
ただ、その言葉を向けられるのは決まって『仕返しの歌』だ。
何で?
何故この歌の評判が良いのか。
多くの人に受け入れられるのか。
長らくその答えを見出せないでいた。
誰かを救いたい。
自分の過去を知ってほしい。
そんな思いはサラサラ無かった。
ただ、いじめられていただけだ。
ある種の呪い。
囚われていた、と言ってもいい。
僕は答えを見つけられないまま、
しばらく煩悶を繰り返すことになる。
そして約1年後。
とうとうこの歌に嫌気がさした僕は、とある先輩にアドバイスを求める。
その先輩の言葉をキッカケに、
『仕返しの歌』は化けた。
2017年 秋
静岡Sunashでは月に1度
アコースティックイベント【FOLK BOWL】
が開催されている。
僕が初ライブで出演したのもこのイベントだ。
そこでよく共演する
「インスタンツあつみ」さんという方がいる。
パンキッシュでパワフルな歌声に、思いっきり腕を振り下ろして弾くギターが強烈にカッコいい人だ。
ちなみに写真では見えないが、あまりに強く弾くためボディが月面クレーター並みにボコボコに削れている。
ROCKだねぇ。最高かよ。
そしてこの人もまた、
僕の『仕返しの歌』をとても気に入ってくれていた一人だ。
2017年初秋、【FOLK BOWL】
リハ終わりに時間があったため、僕はあつみさんに『仕返しの歌』で悩んでいたことをそれとなく持ちかけると、
「難しいこと考えるなぁ!
ぶち壊れちまえばいいんだよぉ!!」
缶ビール片手に迷いなくそう言った。
パンクロック精神全開の姉御肌よろしく、
単純明快、痛快な言葉だ。
ライブ前。
楽屋であつみさんの言葉を思い返してみる。
今でこそギターも歌も色々なアプローチを出来るようになったが、当時の僕はテンポ通り、メロディを間違えないように、それだけで手一杯だった。良くも悪くも当たり障りのないライブをやっていたように思う。
だから、あつみさんの豪快なギタープレイや、楽しそうに歌う姿には憧れがあった。
あつみさんみたいに歌えたらなぁ。
歌詞の内容を振り返れば、反骨精神剥き出しだが、感情が伴っていない。
ざまぁみろよ。
だけど、どうでもいい。
僕はどうやら、
過去の自分と今の自分を完全に切り離して考えていたようだった。
ライブを始めて1年。
ようやくそのことに気付く。
『仕返しの歌』に必要だったのは理屈ではなく、ただの勢い(感情)だけだったらしい。
だからこそ、先輩の単純明快な言葉に突き動かされたのだと思う。
何故この歌を作ったのか。
何故この歌が存るのか。
今がどうでもいいとて、
この歌で登場する僕は
あの日許せなかった僕だ。
あの日死にたかった僕だ。
うしろの正面。
過去の自分が鏡合わせで僕と重なる。
今が幸せだからって何だと言うのだろう。
目を背けているだけだった。
忘れているだけだった。
僕は決して、許しちゃいなかった。
この日から、『仕返しの歌』は
言葉通りの感情を帯びて、
見事に「ぶち壊れた」。
ステージ上で泣きそうになったのは、後にも先にもこの日が初めてだ。
先輩方からの賛辞も素直に受け止め、僕は本当の意味でこの歌を受け入れられた。
トップバッターで完全に燃え尽きた後、すぐにインスタンツあつみさんの出番。
自分も最高のライブが出来たと思っていたけれど、あの人のライブを見る度に
「やっぱり敵わないなぁ」と思う。
『仕返しの歌』を変えるキッカケをくれた人は、僕以上にアツいライブで会場を盛り上げていた。
MCの合間に缶ビールをプシュッ。
「カンパーーーーーーーイ!!」
スゲー楽しそう。
2019年
それからと言うもの、僕は文字通りの仕返しのためにこの歌を歌い続けた。振り返ってみると、まだこの時点では誰かに伝わってほしいとか、そう言った感情は無かった。
ただひたすら、自分のために歌い続けた。
「どうでもいいよ 今 幸せだから」
過去を受け入れた上でこの歌を歌い、
僕はステージ上で幸せを噛み締めていた。
こうして周りの支え合って化けた『仕返しの歌』だったが、
この熱もそう長続きはしなかった。
件のライブでぶち壊れてから2年ほど経ったある日。2019年某日。
僕はいつも通りに最後に『仕返しの歌』を歌った。
だが、何かがおかしい。
いつもよりも歌に身が入らない。
どうしたのかな?
ライブ終わりに、常連のお客さんに
「今日の『仕返しの歌』どうでした?」
と聞いてみると、
「前の方が良かった」と言った。
僕はここで確信する。
本当の意味でどうでもよくなったのだ、と。
この2年間、僕は本当に幸せだった。
同時に長い時間をかけて、
自分の気持ちを吐き尽くしたのだと思う。
一度は真っ向から受け入れた曲だが、過去は過去だ。間違いなく地続きではあるけれど、今の僕ではない。
この時点で自分なりの作曲ロジックは確立していたし、現に『仕返しの歌』のような歌が生まれることはついぞ無かった。
「また聴きたい」という声も多かった。
これからも歌い続けたいとも思った。
でも、何の感情も湧いてこないのなら
歌ったって無意味だ。
伝わりっこない。
決して無駄な時間ではなかったし、自分を見つめ直すいい機会だったと思う。
幸せだから、もういいんだ。
その日のライブ終わり、
燃えるような2年間をゆっくりとなぞりながら
『仕返しの歌』を正式にボツにした。
冒頭でも触れた通り、『仕返しの歌』は歌うことは辞めても、完全に死ぬことはなかった。
この歌が息を吹き返したのは、さらに3年後の2022年のこと。またもやとある先輩からの一言によって、この歌を見つめ直すことになる。
本当に本当に、周りに支えられてばかりだ。
『仕返しの歌』を歌わなかった3年間も、
『仕返しの歌』は間違いなく生きていた。
今回も長くなってしまったので、2022年〜は後編の記事に次ごうと思います。
今回は特に自分の「気持ち」の変化についてフォーカスしましたが、ここからはマインドも歌詞もガラリと変化していきます。
毎度長文になって申し訳ありませんが、
どうか最後までお付き合いください🙇♂️
お楽しみに!
また、後編でお会いしましょう。
それでは🐳
Shin Mizumoto.
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