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窓と本、演じると演説、私の体の動きのはじまりはいつなのか

窓際で本を読んだのは久しぶりだ。
ぜんぜん進まない。
そよぐ葉音、鳥を探したり、雲の早さに見とれたり。
本の中と、窓の外の景色を、意識が行ったり来たりする、そうしているうちにだんだんそれが混ざりこんでゆく。

小澤征爾と武満徹の対談(『音楽』)を読む。
音楽をするというのは人類の大きな波のうねりのひとつに加わるようなこと、というようなことが書いてあって、先日見たOndine Cloezの舞台を思い出す。
舞台は、私たちは13世紀の文献から当時の生活習慣を知ることはできるけれど、彼らがどんな話し方をし、どんなジェスチャーをしていたか全く分からない、というところから始まっていた。
けれどももし私たちの所作のなかにお母さんやおじいさんに似たものがあるとしたら、800年前のそれが残っている可能性はある、そんなことを舞台のなかで言っていた。


木が揺れているのを見てふと、デッサンしたい気持ちになる。
わたしが今見上げているこの木、これをiPhoneで撮ったとしたら近くの枝も遠くの枝も同じように写る。
でも実際に私が見ているこの枝とあの枝の間には、体に近いか遠いかという違いがある。
きっと一眼レフで撮れば、平面上に、遠近を表すことはできる。
でも私が今見ているものはそういうものじゃないんだ。
この枝は私の皮膚に近くて、あの枝はその向こう、皮膚から遠いところにある。そのことがすごく大事なんだけど。

雲は、あんなに遠いのに「見えない」ってことがないな。
私は目が悪い方なのだけれど(0.3〜0.1くらい?長年測っていないから分からない)、上空高いところにある雲と、手前にある雲との境の、ちぎり絵の繊維のような部分まではっきりと見える。
2m離れた本の背表紙の文字も見えないのに、ものすごく遠い空の上にある雲はあんまりぼやけて見えないのは何故なんだろう。

もちろん実際にはぼやけて見えているんだろう。それでも端の詳細が見えるような気がする。
見える目にも、見えない目にも、それぞれの目にとってのディティールが見える。そういうことなのか。


文化とか生活の中で、私達は共通のからだの使い方、お互いに通じるジェスチャーを持っている。
でも同時に、たとえばうちに「私の家だけの一風変わったルール」があるように、母や祖父を通じて私に伝わった「うち」だけのジェスチャー、体の感覚のようなものがあるのかもしれない。
「動き」といえるほど大きな痕ではなくて、もっと溶け込んだ欠片のようなものかもしれない。


港千尋の『注視者の日記』の中で、ビロード革命の時に真っ先に自由や開放を掲げて声を上げたのは劇場だった、という記述がある。
共産党政権が破れたあとに大統領になったヴァツラフ・ハヴェルは劇作家だ。
チェコの民衆の自由、どんな人にも与えられるべき権利というもの、まさに現在の世界を生きている人間として果たすべき責任、そういうものについて劇場が中心になって声をあげる。社会に対して(作品としてではなく)抗議・反抗の場所として共有される。
日本とチェコとでは劇場のあり方や歴史が違う。けれど、日本の社会にとって果たして劇場は、こういった広い視野と覚悟を持ち得るだろうかとページをめくる手が止まってしまった。(劇場というよりは劇場関係者というべきだな)
演じる側の思いや、助成を受けないと成り立たない状況のことを訴えることも大事だけれど(もちろんとても大事だ)、けれどとりわけ非常時のさなか、劇場とはいったいなんであり得るのか、という視野を失ったままではいけないということにはっとさせられた。
劇場という場が一部だけの、演ずる者だけのもので終わるのか、社会にとって必要不可欠なものとなり得るのか。
そんなようなこと。

砲撃で屋根が壊れてしまった劇場の、壊れ落ちた木材が舞台上に取り込んである(あとでその木材を使って修繕するから)。その舞台上で「ゴドーを待ちながら」の稽古が行われる。まるでその様子がそのまま「ゴドーを待ちながら」の舞台背景に見える。
夜な夜な、反抗のための演説がひといきれのなかで行われる。
劇場はパフォーマンスをする場所なのだ。
人前で声を上げて演じることと演説すること、フィクションとノンフィクション、その境目が溶け込むような。

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写真は、13年前に柊有花さんに撮ってもらったもの。
主人公がいつも見上げる窓辺で本を読んでいる幽霊の役をしたときの広告のための写真。

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