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外出禁止

政府から15日間の外出禁止令が出た。
外に出かけることもできずこうしてパソコンの窓から世界を覗いていると、いやがおうにも震災後を思い出す。違うのは、あのときはもっとがむしゃらで必死だったということだ。何か少しでも役に立つ情報はないか、自分ができることはないかと右往左往した。
もちろん今もそういう気持ちはある。有用な情報を読みにいったり、この状況下で友人たちと共有できることはないか探したり…。
けれどあのときみたいには、何かを変えられると信じていない。
自分にできることがあるとしたら、投げ入れた何かがすぐさま変化を起こしたり、かたちになったりするようなことではない。そういう種類のものごとに裏切られることにはすこし疲れてしまった。
だからって何かを諦めたり、なにかから遠ざかってしまいたいわけではまったくなくて、口をつぐんだまま、考える時間が多くなっただけ。

涼子さんの『カタストロフ前夜-パリで3.11を経験すること』を少しずつ読んでいることも、9年前に引き戻されている要因のひとつ。
震災から今までの時間というかたまりを持ちながら、再び当時を体験しているような。
そういう自分勝手な連想は止めよう。何でも過去に結びつけすぎる。
本を読みながら、私もあの震災の当日に演じようとしていた舞台の作品名が『終わりの予兆』だったことを思い出す。舞台上に服や本や小物…つまり生活用品を撒き散らし、一方通行のセリフが駆け回るような内容だった。2ヶ月後に再演するとき、これをほんとうに今やるべきなのかずいぶん言い争ったのを覚えている。

※後日、この本の中の「声は現れる」についてのメモを書いたのでこちらにリンクします。


自分があれから何をしてきたのだか、あまりに変遷があってよく思い出せない。
一度死んで生まれ直したような気もする。
そういう意味では「あなたは40歳で死にます」というあの占いは、当たっていたとも言える。
けれども、どんなに足が重いときも、目がよく見えないような気がするときでも、浮かれちゃってふわふわしているときでも、ぴんと張ったいっぽんの線を常に触れていたのは確かなように思う。自分が実際に何をして何を考えてきたかは嵐のようでもう見えないけれど、その糸だけが、ここからずっと9年前までぶうんと唸りながら続いている。

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この15日の間に、というか15日間でこれが済むとは思えないので、自分のためにふたつのことを決めた。
規則正しい生活を計画することと、料理の幅を広げること。
料理は困らないくらいにできるようになったけれど、気持ちの上ではまだ苦手意識があって負担を感じている。これから一生逃れられずつきあうことなのだからこの機会にちょっと上達しておこう。
ということで昨日と今日で里芋をおばあちゃんの味風に煮て、肉味噌を大量に作り、さつまいもをレモンと黒糖で煮て、ひき肉と豆腐とひじきとしいたけでハンバーグにし、もやしのナムル、おくらはさっと茹でてだし醤油。いつも腐らせるのが怖くて少ししか作らないから残らないのだけれどちょっと思い切って量を増やしてみた。(それでも恐る恐るなのですぐに食べきってしまう)
作り置きに関する記事を見つけた。一品ずつ作ることしか考えてなかったけど、鍋とフライパンが時系列で何を調理していけばいいか、順を追って作業をしていくうちにできてしまう感じがいい。


規則正しい生活を計画する、というのはこれはなかなか自分にとってはやっかいで、子供の頃から「計画性のない」という形容詞をずっと母や先生に戴いてきた私。どういうわけか、過去に戻ることはとても得意なんだけど、未来のことが全然計画できない。私がインプロで踊ることばかり好きなのはそのせいもあるんだけど。自分の中に積み上げられたこと、たった今感じることは濃厚にできるのに、先のことと言われると途端にぽかんとしてしまう。
でも自分を律さないとできないことがこれまでもあったし、これからもそういうことで困りたくないからちょっと心がけてみる。
まあ、もう何十年も重ねてきた性質なので15日やそこらで治るとは思っていないけれど。

朝の8時、イスラエルから届くgagaのレッスンでからだを目覚めさせ、家の中を片付け、勉強したり本や映画を見たりして、ご飯を作る。
夜の8時には現在もコロナウィルス対策に奔走している医療関係の方へ地域のみんながベランダから拍手を送る。

もう3日も閉じこもっている。
許可証があればジョギングなどで外出することはできるから、外に出ようかな。

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