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ベルリンテーゲル空港、チェコの劇場、庭

田中功起の記事(日付のあるノート、もしくは日記のようなもの(1) 人生について考えると抽象が気になってくる──4月29日から6月10日 https://genron-alpha.com/gb050_01/)を読んだり、港千尋の『注視者の日記』をぱらぱら開いたり、ベルリンテーゲルが閉鎖された記事を読んで2006年にベルリンにいた時のことを考えたりして、そういえば今日からconfinement(外出禁止)がはじまったことだし日記を書こう、とメモ帳を開いている。
たぶん、いつものごとく続かないけど。
毎日日記を書いていた頃のことが嘘のようだ、と言い続けて8年になる。
そろそろその前の8年間の功績なんてもう忘れるべきだな。

ちなみに「ベルリンテーゲルが閉鎖された記事を読んで2006年にベルリンにいた時のことを考えたりして」が「日記」に繋がったのは、ベルリンに住んだ3ヶ月のことは今でもつやつや鮮やかな記憶として残っていて日記を紐解くまでもないのだけれど、当時はネットカフェに行くたびに熱心に旅の記録をブログに残していて、記憶との隙間を埋めきってはいないような気がしているから。


『注視者の日記』を開いたらちょうど著者はザグレブの町にいて、ちょうど今日その町の劇場で踊った友達から送られてきた写真のことを考える。
日記はクロアチア紛争近辺の時代の話で、著者はチェコでビロード革命を目の当たりにしたり、パリではベケットとご近所だったり、紛争後間もないザグレブに宿をとったりしている。

2013年にカナダで銀行口座を作った時担当してくれた若い男の人、(英語も話せず銀行開設の仕組みもわからない私にとても礼儀正しく親切だったのだけれど)彼はコソヴァという名前だった。
自分の名前は母国コソボの名前を借りているんです、と彼は言った。
紛争から逃れてカナダに住んでいるのだという。

3年前にパリ市のフランス語のコースに通った時、ボスニア・ヘルツェゴビナ出身の人がいた。
どうしてフランスに来たの?と聞いたら、奥さんがフランス人なのだと言う。自分はトレーダーなので世界のどこでも仕事ができる、だから今はフランスに住んでいるけれど、ドイツやイタリアでも構わない。
家に帰ってその話をSにしたら、23年前フランス語の学校に通った時クラスメイトにやっぱりボスニア・ヘルツェゴビナ出身の人がいたのだそうだ。
どうしてフランスに来たの?と聞いたら、戦争から逃げてきた、と彼は答えた。

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蝋梅のひこばえ(…の成長したやつ)を剪定して風通しを良くし、無花果の木に登って収穫をし、土に食べ物の皮などを埋め、アスパラに指を刺され、ついこの間まで枯れ草の山みたいになっていたクレマチスが青々茂っているのに驚く。
切ってきた蝋梅の長い枝を花瓶に挿したら、葉先は天井に届きそうだ。
花を飾るのも好きだけれど、こんな風にざくざく切ってきた枝を部屋に置くのは勢いがあっていい。
この先剪定をすることが増えるからこの華奢な花瓶ではとても間に合わない。どっしりとした容器が必要。

無花果の木は高さが5m弱ある。
枝に粘りがあるからかなり枝先の方まで体重をかけられるけれど、実につられて先へ先へと行くと思わぬ高さに自分がいて足が冷える。
葉っぱに触れると痒くなるのであまり先の方まで分け入らないようにする。(それでも腕や、なぜか耳の裏がかゆい)
まだ収穫期なのに人に会えなくなってしまったから食べきれないものはジャムにする。
先日は友人に教えてもらったように八角やクローブ、シナモンで煮たらとても美味しかったのでお隣さん(お階下さん?)にあげた。
引越し祝いだよ、と美味しいチョコレートを頂いていたのでそのお返しに。


夕飯は昨日の残りの、アニスやにんにくやスパイスをまぶしてオーブン焼きにした手羽先とクルジェット、茄子とピーマンの味噌炒め、白しめじを梅酢と海苔で和えたもの、白菜としめじの味噌汁、乳酸菌発酵させたキャベツ。



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