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『Egg〈神経症一族の物語〉』第十三章

「ああーん! 白組が優勝しちゃった~!」
 高藤隆治が取材のために宿泊している大阪のアパートで、NHKの「紅白歌合戦」を食い入るように見ていた義理の妹の高藤弘子が無念そうに呟いた。
「美空ひばりの『柔』がトリだから、絶対紅組が優勝すると思ってたのに」

 四畳半の木造アパートで、隆治は妹の弘子と二人、お正月を迎えようとしていた。小さな白黒テレビの中では、NHKの建物と日本にできたばかりの高速道路の舞台セットを背景に、歌手たちが視聴者に手を振っている。二人が座っている小さなコタツのテーブルには年越しそばとミカンと熱燗、煙草に灰皿。灯油ストーブの上では酒を温める鍋が湯気をくゆらせている。近くのお寺から除夜の鐘の音が聞こえ始めている。
 隆治が言う。
「柔道が東京オリンピックに正式採用されてから、『柔』が流行ったよな。歌詞がいいんだ。柔道はただのスポーツじゃない。道なんだ。飲み屋で歌ってる人たちがたくさんいたから、僕もすっかり歌詞を覚えてしまったよ」
 
 隆治のおちょこが空になったのに気づき、弘子が熱燗を注ぐ。夜の仕事をしているだけあって、弘子の酌は様になっていた。酌が終わると、小首をかしげて弘子が言う。
「でも、勝つと思ったら負けだ、なんて変なことを歌っている歌だと思わない? 柔道のような勝負事で勝とうと思わなかったら、勝てるものも勝てなくなると思うのよね」
 おちょこで口を湿らして隆治がにやりと笑った。
「それは直截的に過ぎるよ、弘子。その歌詞の意味はね、勝負が決まる前に勝てると思ってしまうと心に油断が生じる。その油断が敗北を招くから、勝負の最中にゆめゆめ勝った気になってはならない、ということなんだ」
「ふーん。相手をうち負かす話じゃないのね」
「ああ。自分の欲に打ち克って修行を続ける若者の思いを歌っているんだ。まさに道を究めようとする者のための歌なんだよ」
「さすが松本真志高校で一番を取り続けた人は違うわね」
 感心したような弘子のセリフにプライドがくすぐられた隆治は気分がよくなった。
「高校の授業は簡単すぎて、途中で先生たちが教えられることがなくなってさ。高2のときに早めの卒業を進められたよな」
「お母さんが驚いていたわね。この辺りで一番優秀な学校なのに、うちの子に教えることがないんですか?って」
「まあ、高3のときに好き勝手に勉強できて政治経済に興味が持てたのは良かったよ。そのおかげで今、面白い仕事ができているんだから」
 隆治の空になったおちょこに酒を注ぎながら弘子が言う。
「あたしはお父さんにゴミ捨て場で拾ってもらえなかったら、今頃どうなっていたかわからないから仕方ないんだけど。お兄ちゃんみたいに大学に行く選択肢もあったらよかったなあ」
 ふと隆治の頭の中に、高校から帰るとすぐに濃い化粧をし、髪を巻き、背中の空いたピンク色のドレスに着替えて店に出勤する弘子の姿が浮かんだ。
 おやじの経営している店は自宅の隣にあるから、弘子は深夜まで毎晩のように店を手伝っていた。隆治は弘子の艶やかな姿を思い出していた。
・・・
 大学の夏休みに実家に戻ると、隆治もよく店を手伝った。
 そんなとき、絨毯とソファが紫色のベルベッドでコーディネートされた薄暗い店の中で、ひときわ目立つ弘子の姿が必ず目に入った。
 若々しい素肌とピンク色のすべすべしたドレス、そして大きく見開いた瞳がライトの光で怪しく美しく輝き、その姿に男たちの視線が遠慮なく群がっている。
 弘子は自分の美しさを十分理解していて、お客に自分がくわえた煙草の火をつけさせたり、灰皿を持ってこさせたり、一番高い酒をねだっては浴びるように飲んでいた。気の強さは若さで魅力に引き立てられ、弘子は店の女王様として君臨していた。
 隆治はこの店でスターとして輝いている弘子の存在感に正直当てられていた。客が弘子の腰に手を回したり、首筋にキスする様子を見るたび、嫉妬の炎が胸を焦がした。
 そんな隆治の気持ちを知ってか知らずか、弘子はこういうとき必ず隆治に視線を送った。
「ほら、いいでしょ?」
と言わんばかりの自信たっぷりの眼差しで。
・・・
 当時の隆治は、義理であっても妹だから、恋人の恵美がいるから、という学生らしい純真な思いで、弘子のあからさまな誘惑を跳ねのけていた。しかし、まさか初めての子供が生まれたこのタイミングで、弘子と男女の関係になってしまうとは……。
 あの頃我慢に我慢を重ねていた自分を裏切った悲しさと、あっさり抱けた弘子の肉体に満足している喜びとが、隆治を二つに切り裂いていた。
 どっちにも転ぶことができない、優柔不断な自分……。それを忘れるかのように、隆治はぐいと酒をあおった。
 
 白く細い指でおちょこのお酒をくいっと口に運び弘子が言う。
「高校に行っていた頃は、お店は楽しかったし、夜こそがあたしの時間だった。だから昼間はいつも眠たくて、学校なんてどうでもよくてさあ。そういえば学校の休み時間に教室を移動するために歩いているのに、その間の記憶がまったくないの。歩きながら寝ていたのね。我ながら器用だわ」
 煙草に火をつけて弘子が呟く。
「しばらくして妊娠しちゃったから、高校を退学したじゃない? 大きなおなかじゃお店にも出られないし、家でぶらぶらしていたんだけど、そんなとき学校生活がふいに頭をよぎるの。でも、クラスメイトの名前とか、授業で何を勉強したかとか、ちっとも思い出せなくって。
『ああ、あたしってあの小さなお店の世界以外、何も知らないし、知りたいとも思わなかったんだなー』
って今更のように感じるようになってさ。
 もう少し学校生活を味わっておくんだったなって。ちょっともったいない気分になっているんだよね」
 ふうっと吐き出された煙がゆっくりと天井に上っていく。隆治はぼんやりとその行方を見つめた。
「ねえねえ、初詣に行かない?」
 弘子が上目遣いで隆治に尋ねた。その瞳は頼めば嫌とは言えない隆治の性格をよくわかっている、と言いたげに自信のある光を放っている。
「初詣か」
 蕎麦をすすって隆治が返した。弘子が言う。
「住吉大社はどう? ここからそんなに遠くないし」
 ねだられるまま隆治は支度をして外に出た。
 
 外気はきりっと冷たく、辺りはしんとしている。除夜の鐘が部屋の中にいたときよりはっきりと聞こえてくる。隆治は白い息を吐いて弘子と並んで歩きながら、1964年まで続いた「ある時代の終わり」がそこにあることを感じていた。
 日本政府が「もはや戦後ではない」と『経済白書』で宣言してから10年。それ以降、高度経済成長で三種の神器である「電気洗濯機・電気冷蔵庫・白黒テレビ」が各家庭に行きわたり、「東京タワー建設・新幹線開通・東京オリンピック開催」と、国家的なイベントが次々に起こった。
 この派手な変化によって、日本人は「敗戦」の2文字を意識の後ろにすっかり追いやり、「戦後」という時代意識からの卒業を目指した。それが日本の走ってきたこの10年という「時代」の姿なのだろう。
 来年は1965年。昭和40年になる。今はオリンピック景気の反動で不景気になっているが、この後の大阪万博を皮切りに、きっと日本はより一層の経済成長を遂げるに違いない。
 
 そのとき僕は何をすればいいのか、何ができるのか……。
 人生は「道」だ。
 哲学者の西田幾多郎先生のお言葉
「人は人 
吾はわれ也 
とにかくに 
吾行く道を 
吾は行なり」
 が頭をよぎる。
 
「弘子。話がある」
 住吉大社に向かう路上で隆治が言った。隆治の真剣な目に弘子がはっとした顔をした。
「何よ」
「明日僕は東京に戻る。お前は松本に帰りなさい」
 弘子が自分の足元を見つめている。しばらく二人は黙って歩き続けた。住吉大社が近くなり、人の出が徐々に増え始める。
「わかった…」
 ちょっとふてくされたような声で弘子が言った。
 大きな西鳥居が見える。あれをくぐったときから新しい時代が始まるのだ、と隆治は思った。

 #小説  #群像劇   #神経症  #1964年

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