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『Egg〈神経症一族の物語〉』第2部 第十三章
塾の1シーズンがようやく終わって、1日だけの休みが取れた日、オレこと高藤哲治は自転車でマンモス団地にやってきた。
この白く光るコンクリート造りの5階建ての巨大な建物は、ここ7,8年くらいで鶴川一帯にドカドカと造られているんだ。
ちなみに今日やって来たのは、この辺りで一番最初にできた団地。それでもまだ新しくってピカピカしている。
団地が初めてできたときは驚いたよ。だって、木造アパートよりもずっとおしゃれなデザインだし、小高い丘の上に建ってるから、遠くまで見渡せてすげー気持ちがいいんだ。それに学校やスーパーやグラウンド、あと病院や図書館なんかが全部まとまっていてとっても便利。おまけに家賃が安いんだって。
団地ができたおかげで、この辺が急におしゃれで便利になったんだもん。みんなここに通うようになったのも当然だろ?
ちなみに団地の中に、スーパーや酒屋さん、本屋さん、床屋さんなんかのお店が1階に入っている場所があるんだ。そんな店付きの団地がぐるりと円になっているところに中央広場があってね。そこは夏休みになった子供たちのたまり場になっているんだ。
中央広場でわいわい遊んでいる大量の子供たちをよけながら、オレが駄菓子屋のベンチに向かうと、友達の川上直樹と唐沢隆が並んでアイスを食べていた。
オレは自転車を止めて隣に座ると、道々考えてきたアイディアを二人に思い切って提案してみた。
「あのさあ、一緒に町田に行かない?」
「町田ぁ?」
グレープフルーツ味のみぞれバーを豪快にシャリシャリとかじりながら、唐沢がオレに聞いた。
「うん。唐沢は『スペースインベーダー』っていうゲーム知らない?」
みぞれバーを口にくわえながら、唐沢が思い出そうと上を向いた。
「テレビで見たことがあるぞ。最新式のゲームなんだろお? 敵が動いてるっ!て弟が大興奮してたなあ」
「そう、それそれ! なんと町田にできたんだよ! 一緒にやりに行かない?」
「いいけどさ。ちょっと遠いよなあ、町田は。自転車で行くとどのくらいかかるのかなあ」
パキッと2つに割ったダブルソーダを両手に持って、一口ずつ交互にソーダ味のアイスをぱくついていた直樹が答える。
「1時間ってところだぞ。そんなに遠くない」
「道、知ってるんだ?」
唐沢が直樹に尋ねると、直樹はうんうんと頷いた。
「兄貴のバイクのケツに乗せてもらって何回も行ってるからさ。バイクだと20分もかからないんだけど。この前自転車で行ってみたらそんぐらいだった」
「へえ~バイクに乗せてもらってるんだ。カッコいいな」
オレは直樹がバイクに乗っている姿を思い浮かべて羨ましくなった。うっとりしているオレに向かって唐沢が話しかける。
「哲治は普段町田まで電車で行っているんだろ? 楽でいいよなあ」
「えっ!? 何でそんなこと知っているの?」
驚いて目をまん丸くしたオレを見て、唐沢は大きな体を揺らしてはははと笑った。
「オヤジが毎日改札で、お前のこと見てるんだよお」
「オヤジ? 改札? あああ!」
ようやく合点がいった。
鶴川駅の改札でオレのことをちらりと見た駅員がいたけど、あれは唐沢のお父さんだったのか!
唐沢が続ける。
「お前が夏休みに入ってから、毎日朝早くに駅に来て、夜遅くに帰っているのを見ているから、気になっているみたいでさあ。
『中2の今から猛勉強をしていてすごいなあ、将来は医者にでもなるつもりなのかな?
お前も見習って野球部の謹慎処分の間くらい勉強したらどうだ?』
って説教されてさあ。まったくいい迷惑だよお」
「うーん。そりゃすまん。でもオレの場合、バカすぎるだけだからさ……」
しょぼんとしたオレの肩を直樹が優しくたたいた。
「おし、今から行くべ」
「行くのかあ?」
唐沢があごの下をポリポリかいて言った。
「じゃあ、おふくろに昼飯は後で食うって言ってくるかなあ。それまでに戻れそうにないし」
「オレもお母さんに言ってくる!」
町田に行けることが決まって、オレはウキウキしてベンチからぴょんと立ち上がると自転車にまたがった。
「30分後にここに再集合でいい?」
いいぞーという二人の返事を聞いて、オレは自転車をこぎ出そうとして思い出した。
「そうだ! スペースインベーダーは1回100円だよ。お金忘れないでね!」
それだけ言い残すと、オレは思い思いに走り回る子供たちの群れをよけながら、自転車を元気よくこぎ始めた。
まだアイスを食べている直樹と唐沢は、溶け落ちそうになっているアイスを慌てて口に突っ込んだ。もぐもぐしながらオレの自転車が団地の広場を抜けてあっという間にいなくなるのを見送る。
「哲治のあんなに元気な顔、初めて見たなあ」
唐沢がゴミ箱にアイスの棒を投げ入れながらつぶやいた。直樹も頷く。
「家が厳しいらしいからな。勉強ばっかで他の事やってる暇なさそうじゃん。
俺ん家は誰もいないから、勉強しろって言われなくて気楽でいい。哲治の家に生まれなくてよかったぜ」
唐沢も同意して頷き、何かを思い出したように話し出した。
「そういやあ、弟の周がさあ、由美ちゃんと同じクラスなんだよお」
直樹がアイスの棒をゴミ箱に投げ入れながら、ふーんという顔をした。
「由美ちゃんって哲治の妹だよな?」
「そうそう。周の話だと、由美ちゃんはクラスで一番頭がよくてかけっこも速くて、学級委員もやってる優秀な女の子らしいんだあ」
直樹が叫んだ。
「うわー哲治は嫌だろうなあ。そんなできる妹がいたら、余計に比較されちゃうじゃん」
「だろお? 哲治があんなに勉強頑張るのも、妹に負けたくないって気持ちが強いからじゃないかなあ」
カキーン!
突然バットの音がして、軟式野球の白いボールが広場の中央から駄菓子屋目掛けて飛んできた。唐沢が巨体を翻し、俊敏な動きでボールをキャッチする。ボールが当たりそうになった小さな女の子がキャッと叫んだ。
「ごめんなさい!」
小学校の低学年っぽい男の子たち5人がわらわらと唐沢の元に駆け寄ってきた。唐沢が腕組みをして彼らをにらむ。大きな中学生ににらまれて、男の子たちは縮こまった。
「打ったのはお前かあ?」
ジャイアンツの野球帽をかぶり青い金属バットを手にした男の子が、硬直したまま答えた。
「はい、僕です。ごめんなさい!」
唐沢がふうっと息を吐いてにやりと笑い、ボールを男の子に手渡した。
「ナイスヒット! でもちょっと危なかったぞお」
ボールとバットを持った男の子を中心にしてほかの4人も集まり、みんなでジャイアンツの野球帽のつばを手にし、一斉に帽子を脱いで頭を下げた。
「ごめんなさい。ボールをありがとうございます!」
唐沢は先輩風を吹かして、偉そうに頷いてアドバイスをした。
「お前ら三角ベースをしているんだろお? ボールが店に飛ばないように、ホームベースの位置を変えたほうがいいぞお。
店側をバッターの場所にするといいんだ。そうすると広場一杯にボールを飛ばしても店に飛び込むことはないし、人に当たりにくくなるからなあ」
5人の男の子たちが目をキラキラさせて唐沢を見上げる。尊敬されているのがわかって唐沢はくすぐったい気持ちになった。
「ほら、もう行けよ。気を付けて遊ぶんだぞお」
「はい! ありがとうございました!」
5人が広場に戻っていき、ホームベースの場所をチョークで書き直しているのを見ながら、唐沢も自転車にまたがる。
直樹はすでに自転車にまたがってにやにやしながら唐沢を見ていた。その視線に気が付いて唐沢が直樹をにらみつける。
「あんだよお」
「いや、別に。たださ」
「ん?」
「お前にはやっぱり野球が似合うなって思っただけだよ」
「ちぇっ」
唐沢は青空を見上げて舌打ちをした。
「あーくそ! いい加減野球がしてえなあ!」
「タバコ吸わなきゃいいだけじゃん?」
「うるせえ! もう癖になっちゃってるんだよお。今更やめられねえ」
やれやれと直樹が首を振った。
「現実世界に『ドカベン』の山田太郎が現れたって評判になって、有名な高校からスカウトの人が来たんだろ? キャッチャーの才能あるんだから、もったいねえよ」
むうとふくれっ面をして唐沢がぼやいた。
「野球を取るか、タバコを取るか、それが問題だあ…」
「なんだよ、それ」
「シェークスピア」
「はっ! 知らねえ!!」
笑いながら直樹が手を振る。
「じゃあ、あとでな!」
「おう!」
唐沢も手を振り、二人はそれぞれの自宅に戻っていった。
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