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『Egg〈神経症一族の物語〉』第七章

 
第七章 
 
 一晩ぐっすり眠ったことで、高藤恵美はすっかり落ち着きを取り戻していた。頬に血色も戻り、看護婦さんとも微笑んで話す。その様子を見て、母の正子はほっと胸をなでおろした。
――――いつまでも子供みたいなところがあるから心配していたけど、このまま母親としての自覚が出てくれば、大丈夫かもねえ……――――

 赤ん坊の哲治を抱っこして哺乳瓶で授乳を始めた娘の姿を見て、正子はよっこらしょと立ち上がった。
「ちょいと清太郎に電話をしてくるよ」
「お兄ちゃん?」
「ああ、退院の日に車で迎えに来てもらう話になってんだ。電車だと大変だからね」
「収穫が終わっていてよかった。お兄ちゃんにお礼言っといて」
「うん。伝えとくわ」

 財布を握りしめて病室を出る母を見送った恵美は、ミルクを飲み終わった哲治を縦抱きにして背中をポンポンと叩いてやった。そのうち、げぷっと大きな音がして、哲治の口からげっぷが出た。口周りをきれいにぬぐって抱っこしなおすと、布おむつが湿っている。おむつカバーを外すと水のようなうんちがべったりとおしりについていた。それを全部きれいにふき取り、新しい布おむつに取り替え、カバーをつけ、自分の手を洗う。
「はい、きれいになりました」
とつぶやくと、恵美は哲治を横抱きにした。

 赤ちゃんは頭が重く、じっとりと湿って熱い。まもなく冬になるけれど、赤ちゃんを抱っこしていると、全く寒さを感じない。それに昨日までは感じなかったが、赤ちゃんは恵美が抱っこすると、腕の形に合わせて体を密着させるらしく、自分の体の一部になったかのような錯覚さえ覚えた。
 窓の向こうから聞こえてくる救急車の音を聞きながら、恵美は自分がこの世ではない別の場所で、赤ちゃんを寝かし続けるゆりかごに生まれ変わったのだ、と思った。
 
 そして退院の日がやってきた。白いおくるみに哲治を包み、荷物をまとめ終わったころ、日ごろの農作業で日焼けし、がっちりとした体つきをした兄の清太郎が、農作業で愛用している小型トラックのトヨタ・トヨエースで迎えに来た。
「恵美、出産おめでとう! この子が哲治か! 安産でよかったよかった!」
「お兄ちゃん、これからしばらくよろしくお願いします」
 普段から力仕事をしている清太郎は、大きな体に似つかわしく声も大きい。大量にある恵美と哲治の荷物を軽々と抱え、荷台に乗せると、正子に
「おふくろ、忘れ物はないかあ?」
とさらに大きな声で尋ねた。
「ああ、大丈夫さあ!」
と、これまた大きな声で正子が答える。
 二人の田舎者っぽいやり取りをそばで聞いていた若い看護婦が、くすっと笑うのを恵美は見逃さなかった。そして自分もこの二人と同じように見られているのだと思うと、背筋がぞっとし、赤面するのを止められなくなった。
 しかしそんな恵美の様子に気が付くこともなく、清太郎は正子と哲治を抱っこした恵美とが3人掛けの座席で落ち着いたのを見届けると、自分は運転席に座り、早速自宅に向かって車を走らせた。

 しばらく進むと、清太郎が右側の遠くに見える真新しい長い橋のような白く光る道路を指さした。
「ありゃ、高速道路だろ。オリンピックに間に合わせたって聞いたけど、日本も立派な道路を作れるようになったもんだなあ!」
 恵美もその橋を眺めた。空中にそびえたつ真新しいコンクリートの道路はつやつやとし、日光でてらてらと輝いている。
「日本橋のどぶ川も、高速道路を敷いた時に蓋をして隠したんだってさ。悪臭がひどかったから、住民は大助かりだって聞いたよ」
 清太郎の話を受けて正子が言った。
「お前たちが生まれたころは日本が戦争に負けたばっかりで、東京は焼け野原だったんよ。なーんにもないがれきだらけの街だったのに、まさかここまで復興するとは思ってなかったねえ。こんなに立派なものまで作れるようになって、ありがたやありがたや…」
 高速道路に向かって手を合わせて涙ぐんだ正子を見て、清太郎がはっはっはっと豪快に笑う。
「大丈夫じゃ! おらの世代が日本を世界一の国にしようとがんばってるからな! 日本は変わる! これからもっともっと変わって、もっともっと良くなるさあ!」

 二人の話をぼんやり聞きながら、恵美は東京の喧騒から自分がどんどん引き離されるのを感じていた。
「『トリコロール』にもう一度行きたかったな……」
 恵美が呟いたのは、銀座にあるレンガ造りの2階建ての喫茶店のことだ。こげ茶色をベースにしたシックな店内に、白い陶磁器が美しい。大好きなオードリーヘップバーンが『マイフェアレディ』で愛用していそうな雰囲気を、恵美は心から愛していた。妊娠してつわりがひどくなったころから、銀座には行っていない。そしてこれから私は、東京にすらいられなくなるのだ。

 窓の向こうに流れる都会の景色が、涙で滲んだ。

#小説  #群像劇   #神経症  #1964年

 

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