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『Egg〈神経症一族の物語〉』第2部 第二章

 深夜の誰も通らない山道を、オレこと高藤哲司は友人二人と自転車で走っていた。まだ体の芯が暴走族の奏でる爆音と振動でびりびりとしびれている。耳もぼうっとなってしまってよく聞こえない。口の中は煙草の苦みで一杯だ。
 下り坂に入った。リーゼント頭の川上直樹が

「うおおおおおっ!」

と叫んで猛烈な勢いで自転車をこぎ始めた。ばっちり決めた短めのリーゼントが、突風にあおられてバラバラと崩れていく。
 
 そうそう。オレたちが通う公立の明光寺中学校は、校則がそれほど厳しくない。生活指導をしている体育の関先生、通称セッキ―は、男子の髪の毛が耳にかかるくらいならOKだし、ズボンの幅を多少広げても太すぎなければセーフという、今どき珍しい先生だ。
 それだからか、セッキ―は生徒からの人望が厚い。生意気な後輩の女子を更衣室でリンチしたことで騒ぎになった中3の女子の先輩たちだって、スカートの丈をひざ下3センチよりちょっとだけ長めにしても、おおめに見てくれるセッキ―には一目置いているのだ。
 そして暴走族やワルに憧れている中3の男の先輩たちは、紺色のブレザーの前を全開にして、ワイシャツの第一ボタンをはずして裾をズボンの上に出し、えんじ色のネクタイを二つ折りにして第二ボタンのあたりでなるべく小さな結び目を作って垂らし、ちょっと太めのズボンを履いて、上履きのかかとは踏む、というスタイルにしている人が多かった。
 だからといって調子に乗ってやりすぎると、セッキ―は怖い。髪の毛をオキシドールで金色に脱色してバリバリのリーゼントスタイルにセットしてきた3年生の先輩を見つけたセッキーは、授業中にも関わらず大声をあげて学校中を追いかけまわし、金髪先輩をとっつかまえた。ふてくされた先輩とセッキ―はそれから3時間、生徒指導室でにらみ合った。おかげでオレたちのクラスでは体育が自習時間になってしまい、体育だけを楽しみに学校に来ている唐沢は、大きな肩をしょぼんと落としてプリントを解いていて、とてもかわいそうだった。

 とはいえ、逃げ道はある。
 直樹は2つ上の兄貴にアドバイスされて、一学期の期末テストが終わってから前髪を伸ばし始めた。この時期は、先生たちは定期テストの丸つけと一学期の通知表を作るのに一生懸命だ。まして期末テスト後の休み期間は全学年合同の球技大会が開催される。体育主任のセッキ―はやることがいっぱいで、生活指導が甘くなるのだ。
 ようやくなんちゃってリーゼントが作れるくらいまで髪を伸ばした直樹は、中3の先輩に目を付けられないように、夏休みに入ってから髪型をリーゼントにセットするようになった。
 
 今日も直樹は兄貴のポマードを借りて髪をセットしてきたんだけど、そのつやつやとして丸みを帯びた髪型が、オレや唐沢にはとてつもなくかっこよく見えた。
 だって、野球部の唐沢隆は部活のルールでスポーツ刈りだし、オレはお父さんの高藤隆治に似たチリチリの天然パーマだ。一度、前髪を伸ばそうとしたら、かえってうねってしまって、海藻みたいだと家族に笑われた。そんなわけで、オレはリーゼントにするのは諦めたけど、直樹のセットしやすい直毛の髪の毛がうらやましくてたまらない。
そうそう、直毛といえば、オレのお母さんの高藤恵美や妹の由美もサラサラのストレートロングヘアなんだ。オレもお母さん似の直毛に生まれたらよかったのになあ。

 さて、あっという間に坂道を下っていったリーゼントの直樹のあとに続いて、スポーツ刈りの唐沢が

「だああああっ!」

と、叫んで急な坂道を下り始めた。唐沢の巨体を乗せた自転車が暗闇の中でどんどん小さくなっていく。オレも負けじとペダルをぐいっと踏んだ。
 周りは森と田んぼしかなくて、街灯もまばらだ。そのせいで、下りでスピードを上げると、視界が狭まり、暗闇の中に突っ込んでいくようなぞくぞくする感覚を覚える。
 オレはあたり一面で鳴き散らすカエルの大合唱をかき消すような大声で

「うりゃあああああ!」

と叫び声をあげながら夢中でペダルを踏み続けた。

#小説  #群像劇   #神経症  #1978年

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