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編集者という仕事を分解してみた(2)

前回は、編集者の仕事で一番大切なことは、作家との信頼関係を作ることだ、とお伝えしました。

今回はその先、作家からいざ作品の卵が出てきたあとに、私が編集者としてやっている内容についてお話ししようと思います。

「校正」と「吟味」の違い

出版編集に携わっていない人には何のことだ、という感じだと思いますが、編集者にとっては大事な「校正」と「吟味」。自分が書いた原稿であっても、この2つは意識的に切り分けて扱っています。
まず「校正」ですが、これは書かれた文章の素読み、「て・に・を・は」などの使い方や誤字・脱字のチェック、ファクトの確認などの、文章を読んだ際に読みづらいところがないか、間違っているところがないかを主にチェックする行動を指します。
例えば、商品紹介のページを作っているときは、特にファクトチェックは命でして、商品名や金額、メーカー名などは元データと首っ引きで1文字1文字突合せをし、それこそ何重にもチェックをかけます。また、文章が誤読されるような表現になっていないか、意味不明な文章になっていないか、ページ数(ノンブルと言います)が最初から最後まで通っているか、章立ての番号が飛んでないか、といったことを1つ1つチェックしていきます。
つまり「校正」というのは、「読者の目線に立った時に、誌面に掲載される文章自体がきちんと読める正しいものになっているのか」を確認する作業と言い換えることもできます。

次に「吟味」ですが、これは書かれた内容が企画の狙い通りになっているか、なっていない場合はどうしたらもっと伝わりやすくなるのか?を検討する行動を指します。
例えば、スマホの機能紹介をする場合、誌面のターゲットが新しい技術に目がない人たちであるならば、最新の機能紹介を専門用語バリバリで出す方が喜ばれそうですよね。逆にスマホで電話とメールしか使わない人たちがターゲットであるならば、いかに簡単に電話とメールがつながるかを丁寧に紹介した方がよくなります。
つまり「吟味」というのは、「発信者の目線に立った時に、作りたいものが誌面でしっかりと具現化されているか」を確認し、よりレベルアップさせるための改良をする作業と言い換えることができます。

校正をかけても文章の内容が変わることはあまりありませんが、吟味をかけると文章がガラッと変わることが往々にしてあります。具体例を以下でご紹介します。

吟味は作家の魅力を引き出す魔法のツール

『アメガミチルヨ』の原稿を何度も吟味して改良していく中で、ある時、私はナカソネさんに「沖縄の言葉を入れましょう」と提案しました。
具体的にはこんな感じに修正されました。

<Before>

最初は標準語でした。

<After>

沖縄の言葉使おうぜ!

もちろん、沖縄の言葉を私は使えませんので、修正はナカソネさんがしてくださいました。ですが、「沖縄の言葉を入れた絵本にしましょう」と言い出したのは私です。
絵本がここまで固まるまでに8か月ほど、私はナカソネさんとずっとお話をしてきました。そのうち私の中に何か違和感が出てきました。ナカソネさんが話す言葉と私が話す言葉のリズムが微妙に違っていたのです。話せば話すほど、たとえそれが標準語であろうとも、違いが私の中で大きく感じられるようになってきました。
お話を聞くと、ナカソネさんのご家族は何世代も沖縄で生きてこられた家系でした。おじいさんやおばあさんは今でも沖縄の言葉で日常的に会話されています。沖縄の土地と空気、そして生活の蓄積が、ナカソネさんという人間そのものを形作っている大切な要素なのだ、と実感できました。
であれば、ナカソネさんが語る文章に沖縄の言葉が入っていないのは奇妙だろう、大切な文章こそ沖縄の言葉で語るべきだろう、と思ったのです。

最初は私の提案に戸惑っていたナカソネさんでしたが、主人公の気持ちが切り替わっていく過程で沖縄の言葉を使うことに同意してくださいました。本当の自分に孵っていく話だから、沖縄の人としての自分もよみがえる。そんなイメージになっていった気がします。

このように吟味は、表現したいものや表現したい人を、その当事者以上に理解し感じ取り、修正方針を決めていくことが必須の作業です。「その作品・作家の一番のファンは私だ!」そんな熱意を持って作品にあたり、「こんな素晴らしい作品を世の中の人にも読んでもらいたい、この感動をみんなに伝えたい!」 そう思って作品に磨きをかけていくのです。
おそらく作家だけでここまで磨き上げるのは至難の業です。私も作家として活動しているのですが、自分の作品をここまで徹底的に扱えるか、というと正直難しい笑。自分にはどうしても甘くなります。こんなに頑張って書いたんだからって。
でも編集者はしょせん他人ですから、その頑張りだけで評価することはしません。作品の出来がすべてなんです。その立場の違いは相当大きいと思います。

編文家という仕事があってもいいかもしれない

と、ここまでつらつら書いてきましたが、もう少し別の角度から話してみます。
作家と編集者の関係を音楽に例えるなら、作曲家と編曲家の関係が近いだろうと思います。要はアレンジャーです。
「この楽器を使うとこんな表現になるのか!」「伴奏が入ったら全然別の曲に聞こえてきた!」
そんな驚きが編曲にはあるのだと思います。編曲家のお仕事も、曲や詩やアーティストや作曲家について深く理解していないとまるで務まらない仕事でしょう。そういう意味では、編集者も全く同じです。

となると、私がやっている仕事は文章のアレンジとして、それだけでも成立しそうなもんです笑。しいて言うなら、「編文家」とでも言ったらいいかもです。そんなものが存在できるのかはわかりませんが。。。

・・・
おっとまた長くなってしまいました。
予定ではあと3回、全5回で書くつもりです。
編集者という地味な仕事に興味を持ってここまで読んでくださったあなたに感謝しつつ、もし続きを読みたくなったら「スキ」マークにポチしていただけますと嬉しいです。そのポチが私がこの文章を書き続ける唯一の励みです笑

ちなみに今回題材にしている『アメガミチルヨ』はAmazonで購入できます。よかったら手に取ってみてください。

ではまた次回!

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